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「一パック二百七十円⁉」  最近、やたらと卵が高い。  社会人一年目、一人暮らしを始めたばかりで自炊のほとんどを卵料理に頼っている私にとって、この高騰化は死活問題だ。  今まで一パック百二十円で買っていた卵に、二百七十円というとんでもない値札がついていることに驚愕した私は、卵売り場の前で踵を返し、スーパーを飛び出した。  一パック二百七十円。安売りの時には一パック九十八円で売っていた卵に、二百七十円もの大金をはたいてたまるものか。  どうせ二百円以上も払うのなら、産みたての美味しい地卵を買ってやると思ったのだ。  私は携帯電話で直売所を調べ、郊外に向かってひた走った。そして、だだっ広い畑の真ん中にはためく、〝産みたて地卵販売中!〟の、赤いのぼりを見つけた。 ロッカー型の無人販売機が置かれており、中には褐色の地卵がカゴ盛りになっている。 「一カゴ八個入りで、三四〇円! お高いけど、地卵だからなあ……」  そう、許せる。  なぜなら地卵だからだ。  広々とした鶏舎の中で、のびのびと育てられた健康的なニワトリが今朝産み落とした、超新鮮で美味しい地卵だからだ。 「よし、買おう‼ 給料日だし、贅沢してもいいよね。どうやって食べよう。卵焼き、オムライス……いやいや、まずは基本の卵かけごはんでしょ! ――あれ?」  財布から千円札を引っ張り出そうとしたそのとき。  ロッカー型自販機の一番高い場所に、一つだけ、白い卵が売られていることに気がついた。 “一日一個限定の特別な卵です。必ず、本日中にお召し上がりください!” サインペンで書きなぐられた内容にも驚いたけれど、本当に度肝を抜かれたのは値段だ。 「い、いいい一個一万円っ⁉ いやいやいやっ! ありえないって‼ 某有名ユーチューバ―が卵かけごはんに使ってた超高級卵だって、千五百円くらいじゃなかったっけ⁉」   ウコッケイだかナニコッケイだかしらないが、どんなニワトリをどんな風に育てたら、そんな値段になるのだ。 「……まあ、こんな値段がするんだから、美味しいんだろうけど」  しかも、一日一個限定だ。 一個一万円の卵の味か……どんな味がするかは、確かに気になる。 「買わないけど、気にはなるな。気にはなるけど、一万円分の味はしないでしょ! こんな一個一万円もするバカ高い卵、誰が買うんだろうねー、あははは……!」                    ***  買ってしまった……!! 「つい、興味本位で……っ! 欲望に忠実な私のバカッ!! ただの好奇心に勝てないなんて……っ‼」  後悔の叫びが、狭いアパートの一室に響き渡る。  しかも、それだけではない。 “必ず、本日中にお召し上がり下さい”と、注意書きされていたにもかかわらず、どうやって食べるかに悩みすぎて、昨日のうちに食べることができなかったのだ。  悩み抜いた挙句、土曜の朝の今に至る。 「悩みすぎて賞味期限過ぎちゃったよ! まあ、過ぎたところで大して味なんか変わらないんだけど。――よし、決めた! 卵かけご飯にしてやる。下手に手を加えるより、シンプルが一番!」  米+卵。  結局のところ、日本人にとってはこれが至高なのだ。  せっかくだから炊き立てのご飯で食べようと思い、朝っぱらから米を炊く。  大盛りのご飯をよそった茶碗とお箸と醤油を、いそいそとテーブルに並べて―― 「さて、肝心の卵っと!」  ガチャッと冷蔵庫を開けた私は、卵ポケットの白い卵を見つめて固まった。 「……あれ? 卵が二個ある」  おかしい。  買った卵は一つのはずなのに。 「えっ? なんで⁉ 一日一個限定だから、買ったのは絶対に一個なのに!」  あ、そっか。買った卵は一個。それなら、もう一つの卵は、もともと冷蔵庫に残っていた卵だ。 「なーんだ! 驚いて損した。一万円の卵に悩みすぎて、見落としてたんだ。……なんか、どっちも同じ卵に見えるような気がするけど……いやいやいや‼ 見た目じゃないから! 味だから、卵は‼」  たぶん、ぼったくられたのだ。 だが、美味しければそれでいい。  一万円に値する美味しさだと満足しさえすれば、この胸のモヤモヤは晴れるはずだ。  せめて、無茶苦茶美味しくあってくれ!  祈るような気持ちでテーブルにつき、パンッと両手を合わせる。 「いただきますっ!」          *** 「――はっ!?」  気がつけば、日が暮れていた。  夕陽が差し込む部屋の中、私は一人で椅子に座って放心していたらしい。天井を見つめていた視線を下ろすと、テーブルの上に置かれた空の茶碗と、卵の殻が目に入った。 「……っ! お、思い出した。私、あの卵を食べて、そのまま――」  気を失ってしまったのだ。  その、あまりの美味しさに。 「美味しいなんてもんじゃない。分厚い殻の中から飛び出すみたいだった生卵。真っ赤な夕陽みたいな色の黄身。あんな色の濃い黄身、見たことなかった……!」  新鮮な卵は黄身が箸でつまめるというが、つまめるどころか、そのまま軽く上下に振っても平気だった。白身を先にご飯と混ぜておいて、あとから黄身を混ぜた方が濃厚な卵かけごはんになるという話を思い出し、実行してみたのだ。 「濃厚なんて一言じゃ言い表せない! 味が濃すぎてお醤油かけるの忘れてたくらいよ! 卵ってあんなに……あんなに美味しかったっけ……⁉」  思い出せば思い出すほどに、口の中に涎が溜まっていく。  一万円の卵なんて、ふざけんなちきしょう、思わず買っちゃった私もバカだけど、売った奴一生許さんと思ってたけど。 「これ、また買っちゃうレベルだわ! 次の給料日に絶対買いに行っちゃう! これが本当の麻薬卵だって! 中毒性があり過ぎるって‼」  脳に痺れるような感覚が走る美味さを、生まれてはじめて知った。  あんな卵を知ってしまったら、もう普通の卵には戻れない。 「もう一個食べたい‼ けど、冷蔵庫にあるのは普通の卵だし。今、普通の卵を食べたら、あの一万円の卵の味が邪魔されちゃうし……っ! ああ! 早く、次の給料日にならないかなあ!」  リピート決定だ。衝撃のあまり放心し、貴重な土曜日を半分以上無駄にしてしまったことなど、もうまったく気にならない。  無駄?  いや、無駄になんかしていない。  あの卵の味にひたすら浸る至上の時間は、有名アーティストの生ライブに最前列で参加するに等しい。  一噛み一噛みに、深い幸福を感じる時間を、あの一万円の卵は与えてくれたのだ。 「絶対、また買いに行こう! そうだ! 今度はその日のうちに食べられるように、食べ方を考えておこう!」  そして、私はその日の深夜過ぎまでネットサーフィンをし、ありとあらゆる卵料理を調べまくった。          *** 「……あれ? 卵が二個ある」  日曜日の朝。  寝不足の目をこすりながら冷蔵庫を開けた私は、卵ポケットに二つ並んだ卵を見つめて立ち尽くした。  あれ?  なんで?  昨日、二つあった卵のうちの一つを食べたはずなのに。  残りの卵は一つのはずなのに。 「……もしかして、昨日卵を食べたのって、夢だったのかな?」  そうかもしれない。  いや、きっとそうだ。  よく考えてみたら、いくら美味しい卵かけご飯を食べたからといって、夕方まで放心するなんておかしい。  昨日、私は一万円の卵をどう食べるか悩んだせいで、酷い寝不足だった。だから、卵を食べる直前で力尽き、とてつもなく美味しい卵を食べる夢を見たのだ。  そうに違いない。  でないと、この状況に説明がつかない。  卵が勝手に増えるわけがないのだから。 「卵の食べ方に悩みすぎて、卵を食べる夢を見るなんて、疲れすぎよ、昨日の私! でも、二回も食べられるんだから得した気分かも。夢では卵かけご飯を食べたから、今度は目玉焼きにしようっと!」  生の卵もいいけれど、火を通した卵にはまた別の美味しさがある。  いつもならハムを二枚敷いてハムエッグにするところだけど、今日はこの一万円の卵の味だけを堪能したい。  やがて、真っ白な白身に、夕陽色の黄身が乗った完璧な目玉焼きが出来上がった。 「これを迷わず、ご飯にオン! さーて、いっただっきまーす!」  ご飯を炊いたところまでは夢ではなかったのか、炊飯器に入れたままになっていたご飯を大盛にし、目玉焼きを乗せて、迷わず黄身を潰した。  ブツリ、と箸の先から伝わってくる弾力感。  白身からご飯へと流れ落ちていく夕陽色の黄身は極上のソースだ。  醤油なんていらない。そんな確信をもって、黄身と白身、ご飯を一緒に口の中に押し込むようにかきこんでいく。 「――っっ⁉」  昨日のことは、夢ではなかったのではないか。  そんな考えが頭をよぎるほど、鮮烈な卵の味が、口から脳へと突き上がった。   美味い。  ――美味いっっ‼ 「やぶぁい……‼ これよ、この味だってっ‼ 夢じゃなかったのかなあ⁉ もしかして、予知夢ってやつ⁉ そんなことどうでもいいくらい美味いんですけど――っっ‼」  黄身をかきまぜ、白身を崩し、夢中になってご飯をかき込み、本当に、呼吸も忘れてるんじゃないかってくらいに食べ進んで、――はっ! と気がついたら、時計の針はいつの間にか十二時を過ぎていた。夢では確か、夕方だった。流石にそこまでではないが、朝ご飯を食べ始めたのが八時くらいだったから、数時間はテーブルに座ったまま放心していたらしい。 「美味しかったことしか覚えてないくらい美味しかった……! また食べたいなあ!」  本当に、夢のような美味しさだった。 ――もしかして、これも夢なんじゃないだろうか。  ふと思い、冷蔵庫のドアを開けてみると、卵ポケットの卵は一個しかなかった。 「だよね。二個の卵のうち、一個を食べたら残りは一個。でも、この卵はスーパーで買った卵の残りなんだよね。もう一個食べたいけど、あの味を普通の卵に消されたくない……!」  確か、昨日の私も同じことを考えていたような気がするけれど。 「――あ、卵にばっかり時間を取られてる場合じゃなかった! 月曜から大阪に出張だ。今日のうちに準備しないと」  一週間滞在する予定だから、この残った卵は夜にでも食べるとしよう。  ――そう思っていたのに、結局その後、出張に必要な物を買いに行ったり、資料の準備をしたりと忙しくなり、始発の電車に飛び乗ったときには、冷蔵庫に残した卵のことなんか、すっかり忘れてしまっていた。  これがいけなかった。  このとき、きちんとこの卵を処分しておけば、あんなことにはならなかったのに。                *** 「ただいまー……って、誰もいないけど」  一週間後、大阪への出張を終えた私は、無事にアパートに帰宅した。もう遅い時間だ。だが、夕食を食べそびれてしまったために、お腹がペコペコだった。  仕方ない。太るだろうけど、カップ麺でも食べようと食品棚を開けた時、ふと、冷蔵庫の中に残していった卵の存在を思い出した。 「あっ⁉ そうだ、卵! 出張前に食べて行かなきゃと思って忘れてた」  かれこれ一週間。スーパーで買ったのはそのさらに一週間前だ。けれど、市販の卵は冷蔵庫に入れておけば、二週間は生で食べられるようになっているから、火を通せば食べられる。  捨てるなんてもったいない。孵せばニワトリになる命なのに、と冷蔵庫を開けた私は、その中の光景に目を疑った。 「ナニコレ……」  卵だ。  冷蔵庫の棚を埋め尽くすような、大量の卵だ。 「怖っ‼ なななななにこれ⁉ ええ……っ⁉」  こんなに買った覚えはない。 第一こんな、大量の卵、このご時世に買ったらいくらになるんだろう。  驚愕のあまり、ちょっとズレたことを考えながら、私はカバンからスマホを取り出して電話をかけた。  可能性があるとすれば、合い鍵を持っている母だ。 「――あ、お母さん? うん、久しぶり。あのね、私が出張行ってる間に、アパートに来た? ……来てない? ほんとに? そ、そう、ならいいや」  空き巣でも入ったのかと心配する母に、違うから気にしないでと通話を切る。  母の仕業でないなら、なんだ、この卵は。  ――増えた?  いや、そんなわけない。卵は増えない。 ニワトリが生まない限りは、自然に増えたりするわけがない。 「だって、もしそんな卵があったら、一パック二百七十円もしないよね。もし、そんな卵が あったら……」  大儲けができるのでは? 「いや! いやいやいや‼ バ、バカバカしいと思うけどさ! で、でも、もうそれしか考 えられないじゃない? ――そうよ! 最初の日に夢だと思ったあの卵かけご飯も、夢じ ゃなかったってことだよね! 残ってたと思ってた卵は、増えた卵だったんだ……!」  ありえないと思うが、そう考えると色々とつじつまが合っていく。  そもそも、どうして“必ず本日中にお召し上がりください”だったのか。  この卵が増えることを、隠すためだったのではないか。 「もしそうなら、一生遊んで暮らせるじゃん! ――よし、とりあえず、こんな量の卵は食 べきれないから、メロカリで売ろうっと! 十個入り一パック二百円とか破格じゃない⁉」  しかも、あの美味しさ。一度食べたら中毒になること間違いなしだ。  冷蔵庫の卵は、取り出して数えてみたら、二百五十六個もあった。全部売れたら、五千円 の儲けだ。何もせず、働かずに、一万円の半分を取り戻すことができる。 「出品完了っと! さて、きょうはもう疲れたし、カップ麺食べて食べようっと。あっ! 卵も入れようかな」  そして、次の日の朝。  私は、昨日の私の浅はかさを後悔した。 「増えてる……‼ 冷蔵庫の卵、や、やっぱり増えてる‼」  しかも、この増え方は尋常ではない。数えてみたら五百十個もあった。 「昨日は二百五十六個、一個食べたから二百五十五個……ば、倍々に増えていくってこと⁉」  そんな増え方なら、明日には千を超えてしまう。その後は毎日千個、二千個、四千個と増えていく。  そんな数の卵、処理しきれるはずがない。  卵が売れたら何買おう、と呑気に妄想していたおめでたい頭から血の気が引いた。 「ど、どうしよう……そうだ、メロカリ‼」  増えた分、売れていれば問題ない。  しかし、そんな期待は一瞬で吹き飛んだ。 「えっ⁉ メロカリで卵、売っちゃダメなの……⁉」  注意勧告のメールに唖然とした。賞味期限等が記載されていない食品や生鮮食品の販売は禁止されているらしく、出品が取り消されていたのだ。  ならばと、スマホで周辺にある洋菓子店やレストラン、卵を扱っているスーパーや直売所に手あたり次第に電話をかけまくってみたが、養鶏所も生産者も不明の怪しい卵を買い取ってくれる所はなく、途方に暮れた。 「ダメだ……こうなったら、買ったところに帰しに行くしかない!」  私は五百十個の卵を段ボールに詰め、ママチャリの荷台にくくりつけて、必死にペダルを漕いだ。出張を終え、せっかくの振り替え休日に卵一個に振り回されることになるなんて。 こんなことなら、一万円の卵なんて買わなければよかった。  泣きそうになりながら、あの郊外の畑にたどり着く。だが、あの赤いのぼりがいくら探しても見つからない。 「たしか、このへんにロッカー型の自販機があったはずなのに……!」  ちょうど、近くに農家のおじさんがいたので尋ねてみると、怪訝な顔をされた。 この辺りに、卵の自販機を置いている所などないというのだ。 「えっ? でも、この前は確かに――」 「あんた、どこの人? この辺じゃ見ない顔だね」  おじさんの顔はますます険しくなり、不審者を見るような目で見られたので、それ以上尋ねられなかった。卵がぎっちり詰まった段ボールを積んだまま、重いペダルを踏んで、アパートまで戻る。 部屋に戻るまでに、何度も、どこかに捨ててしまおうかと考えた。  しかし、畑を抜けるまではおじさんの刺すような視線をずっと感じていたし、住宅街には通行人がいる。それに、もし自分が段ボールを捨てたら、明日には千個を超える卵が箱を飛び出すだろう。そこら中に割れて飛び散った卵が異臭を放てば、たちまち問題になる。マスコミが騒ぎ、警察沙汰にもなるかもしれない。どこかの監視カメラに私の姿が映っていたら、たちまち身バレして犯罪者扱いだ。 SNSの炎上一つで職を失う時代なのだ。  そう思うと、うかつに捨てられなかった。 「どうしよう……どうしよう……どうしよう……!」  食べるしかない。  それしかない。  私は、震える手でシンクの下からボウルを取り出して、段ボールの中の卵を割った。  卵の数は五百十個。少なくとも、二百五十個は食べなければ減らない。無理だと思うが、やるしかない。大丈夫。あんなに美味しい卵だったし、ユーチューブでは細身の女の子が6キロもあるオムライスを完食していた。だから、私にだってできるはずだ。  とき卵だけで作った巨大なオムレツを焼き上げ、ケチャップをかけて、スプーンを握りしめ、無心でかき込んでいく。  美味しい。  美味しい……のだ。  美味しいのに…………。 「――っ、うおえええええええええええ…………っ‼」  毎日、毎日、倍々に増えていく卵。  そんな卵が、ニワトリの卵のわけがない。 ――一体、私はなんの卵を食べているんだろう? そう考えてしまった瞬間、胃の底から嘔吐感が込み上げた。 「おえぇぇえええ……! ダメだ……! き、気持ち悪い……っ‼」  虫かもしれない。  明日には千個を超えるであろうこの正体不明の卵が、もしも、いっせいに孵ったら?  中からどんなおぞましい生き物が出てくるのだろう。  それが、何千匹も? 「――――っっ⁉」  限界だった。  もうこれ以上、一秒だって、このわけのわからない卵と同じ空間にいたくなかった。昔、映画で見た、無数の虫が人間を生きたまま貪り食うシーンを思い出してしまった。  私は半分も食べられなかったオムレツを皿ごとつかむと、トイレに行った。そして、できたての美味しそうなオムライスを便器の中に放り込んで流した。 「ごめんなさい。ごめんなさい。本当に無理なんです……‼」  それから、キッチンに戻って、段ボールの中にぎっちりと詰まった卵を手に取り、狂ったようにシンクにぶつけて、割って、中身を排水溝に流していった。  売るのは無理だ。電話をかけた時、食品を売る人には安全なものをひとに食べさせる責任があり、プライドがあるのだと思い知った。いくら安くても、出元のわからない怪しい卵は使ってもらえない。誰かに譲ることも考えたけれど、増える卵のことをどう説明すればいいのかわからない。頭がおかしいと思われるのも嫌だ。変に話が広まって、なにか問題になるかもと考えると誰にも話したくない。それに、仮に誰かに押し付けられたとしても、困り始めたら文句を言って押し付け返されるのが目に見えている。 だからって、こうして捨てるのはもったいない……?  この卵を使えば、人類の食糧問題が解決できるかもしれない……?  そう批判する人がいるなら、今すぐこの卵をあげるから、それであなたが解決してくれ。でも、きっとそう簡単じゃない。  無数の卵を割って“処分”しながら、私は悟ったのだ。  これって、ザリガニやブラックバスなんかの外来種と同じだと。  食用の目的で持ち込んだはいいものの、誰も食べくて、手がつけられないくらいに増えて、元々の生態系をブチ壊してしまう生き物と同じだ。  だから、これが正しい。  捨てるべきなのだ。今ここで、私の手で、一つ残らず始末するべきだ。  べしゃべしゃと、卵をシンクにぶつけるたびに、白身が飛び散って生臭い匂いがした。これを美味しそうだと思っていた自分が信じられないくらい、気持ち悪い。  黄色い目玉が、恨めしそうに排水溝に流れていくのを見ないふりで、大量に水を出して、大量の割れた卵と生臭い匂いを洗い流していく。 殻は全部集めて、トイレに流した。  そうして私は、とうとうすべての卵を始末した。 「やった……‼ 捨ててやった‼ 一つ残らず‼ 一つ残らず捨ててやった‼」  人類の救世主になった気分だった。  清々しい達成感の中、ふと、割って流れていった卵の中身のことを考えた。  殻がなくなっても、増えたりしたらどうしようって。  でも、もしも、分裂した大量の卵が下水に詰まったり、海に流れて水質汚染なんかの問題になったとしても、私のせいだとは誰にもわからない。  そもそも、この卵を売った人が悪いのだ。  ――ねぇ、あなたもそう思うでしょう?
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