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色褪せた楽園
3ヶ月後、退社した理沙は大我に連れられ地方へ引っ越した。理沙が幼少期に過ごした土地よりも田舎なのか、お隣の家は車がほしい距離にある。時計を見ながら移動したわけではないが、徒歩10分といったところだろうか。
海と森に囲まれた土地も、海沿いにある新居も、理沙はすぐに気に入った。だが、恐怖から逃れることができるとは到底思えない。
「いいところだろう? 目の前にあるビーチも、僕らの私有地なんだよ」
「すごく素敵。けど、いいの? 仕事とか……。それに、その……。結婚とか、まだしてないし……」
「せっかちさんだなぁ、理沙は。近いうちプロポーズするから待ってて」
大我は優しく微笑み、キスをする。
日中、ふたりは荷解き、挨拶を済ませると、町へ行き、店を把握しながら酒とつまみを買った。新居にはテラスがある。そこで引っ越し祝いをしようという魂胆だ。
一段落したのは夕方。疲れたふたりは仮眠をし、夜21時に空腹で目を覚ました。
買ってきたつまみだけでは足りないからと、ふたりで台所に立ち、簡単な料理をしてテラスに運ぶ。
「ふたりの新しい人生に、乾杯」
乾杯をすると、グラスを傾ける。が、空腹に酒は毒。口に含む程度にして、料理に手を伸ばす。
皿が空になり、腹が満たされたところで、ようやく本格的に酒を飲む。
「ここは楽園ね」
20メートル先にある海や星空に目を細める。
「あぁ、本当に。君も、約束を守ってくれたしね」
「約束?」
大我と何か約束をした覚えはない。この土地に引っ越してきたのは大我の提案だが、提案に乗っかっただけで、約束とはまた違う。
「初めて付き合うのも、初めてセックスをするのも、全部俺。キスも、俺以外とはしない。守ってくれただろ? また会えて嬉しいよ、お嬢ちゃん」
優しくも狂気が滲んだ声。忘れるわけがない。悟を殺したあの男だ。
「嘘……」
「嘘じゃないさ。俺はずっと君を見守ってきた。理沙が引っ越しても、ずっと見守ってきたんだ。だから、変な男が言い寄ってくることはなかっただろ?」
「待って、あの時悟くんを殺したのは、スーツを着た大人だった……」
年の差はあるが、8歳差。理沙が小学3年生の時、彼は高校生だったはずだ。大我のはずがない。悪い冗談だ。きっと悪夢だ。
「うちの高校、ブレザーだったんだ。ブレザーとスーツって似てないか?」
静かに放たれた言葉に、息を呑む。当時小学生だった理沙に、ブレザーは馴染みがない。少女漫画でよく見たとはいえ、パニック状態に陥っていた彼女に、目の前の男が着ているものがスーツかブレザーか見分ける余裕などなかった。
「俺があの時の男だよ。言ったろ? 予約するよって」
驚きと恐怖で、言葉は出ない。その代わり、あの悲劇がフラッシュバックする。ずっと目を塗りつぶしていた黒は消え失せ、大我とよく似た顔になる。
「こうとも言ったな。怯えなくてすむようにしてあげるって。安心して。理沙が俺から逃げようとしない限り、俺は理沙を殺したりはしないよ。今まで通り、愛し合おう」
大我は立ち上がり、ゆっくり理沙に近づく。あの時のように理沙の前でしゃがみ、両手で頬を包み込む。
血がついているわけでもなければ、濡れているわけでもない。なのにその手が、ぬるりとした気がした。
「懐かしいな。誓いのキスをしたの、覚えてる?」
あの時と同じように、理沙は首振り人形になるしかない。
「よかった。死んでも一緒にいようね、理沙」
男は自分と理沙の唇を重ね合わせた。
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