【第二章】嵐の前の静けさ 前編

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「で、三人はどうしたい?」 「どうって……」 「僕とツキはどれでもいいから君たちで選んで」  急に選べ、と言われても困るのは当然だが比較的突飛な発言に耐性のある北条が口を開いた。 「より安全なのは?」 「僕の案がまだマシかな。目的地まで少し遠回りになるし車から降りないといけなくなるんだけど、数キロに及ぶ感染者の大群は見なくて済むかも」 「……数キロに及ぶってのは、あれか、爆発に集まるってことだよな」 「うん」 「『うん』じゃねえ!月峯は何考えて発言しやがった!?」 「すみません雷槌さん……多分こいつらは面白そうだとしか考えてないです……」 「クソか……?」  雷槌は呆然と呟き、北条は同意だと肩を落とす。  ただでさえ数十の感染者に囲まれるだけで死にかけるというのに、それが数キロ単位となれば軽く千は超えるだろうと理解している逆水は背筋が冷える思いだった。何より、その大群を想像しても笑みを崩さない年下の男たちに驚愕とある種の畏れが勝った。 「別の場所からって言うと、ガードレール乗り越えて下るのか?」 「正解。それでも障害物が多いから車壊しちゃうし、ショッピングモールとは反対側に出ちゃうんだけどね」 「車なら新しいのを見つければいいだろ」 「慧がいいならいいけど、車から出て市街地を動くの怖いでしょ?」 「あ゛?」    雪白の言葉に雷槌が鋭い眼差しを向ける。目には明らかに侮られたと言わんばかりの不快が滲んでいて、険悪な空気が流れ出す。 「誰がビビってるって?」 「雷槌くんと逆水くんだけど」 「てめえ……」 「雷槌、やめろ」  逆水が雷槌を庇うように前に出て、申し訳無さそうな表情で雪白を見つめる。 「確かに、感染者が蔓延る町中を行くのは怖い。でも任務を達成できない方がもっと恐ろしいと思う……だから、まだ大丈夫だ」 「ふうん」  逆水が言うと雪白は猫のように目を細めて観察するようにぐっと顔を近付けた。 「自覚がないのかな?そういう壊れ方をしてるようには見えないけど、」 「なんの話だ?」 「ううん。分からないならいいや。でも、大丈夫じゃなくなる前にちゃんと呼んでね」 「呼ぶ?」  雪白は逆水の両頬に手を添えて優しく撫でた。幼い子供を相手取るような手付きに逆水は少し、肩を震わせる。   「どれだけ感染者が集まってもいいから『助けて』って。雷槌くんもね。そしたら僕か月峯が助けに行けるから」  まるで慈愛という感情を理解しているかのように、雪白の青色は柔らかな光を放っている。その姿に北条はおや?と首を傾げ、雷槌は瞠目していた。  実際、雪白の中に慈愛がある訳ではなかった。雪白は、雪白自身と月峯にしか分かり合えない興味関心を以て、逆水と雷槌を助けるのだろう。   「……お前の案で、頼む」 「喜んで」  褒められて喜ぶ子供のような笑みを雪白が浮かべると車が急停止し、皆がバランスを崩してふらついた。 「ツキ、道戻って。別ルートで行くよ」 「おう」  月峯が返事をすると車は大きく転回して来た道を戻り始めた。窓からは追いついてきた感染者が手を伸ばしては勢いつけて飛びついてきたりと、明らかに数が増えている。 「そういえば、既に数回ドカンしてたな……?」 「だからこんなに集まってんだろ……?」 「雪白……」 「大丈夫だよお、まだニ百くらいだから」 「何も大丈夫じゃねえ!」  人間三人が青い顔で声を上げる中、運転席の月峯は凶悪な笑みでアクセルを踏み、ハンドルを切り、感染者を撥ねては恍惚とした表情を浮かべていた。  人間だったものをミンチにする度に車体は歪な音を立て、嫌な振動を運んでくる。窓にも外からの手形がついて、よくよく外を確認すれば思っていたよりも多い数の感染者に囲まれていた。   「逃げ切れるのか?」 「もちろん、まあ高速出ても街でまた追いかけられるけどね。あ、動けるだけの飲み物と食料は持っててね」 「おい、ドローンは」 「僕が持ってく。雷槌くん武器は?」 「ナイフ、スタンガン、拳銃その他偵察用機材」 「自動拳銃じゃないでしょ、残弾は?」 「二発……なんで知ってんだ」 「音で分かるよ」 「は……?」  嘘か本当か、きゃらきゃら笑う雪白からは真相が窺えない。雷槌は引き気味に雪白を見るが明確な返事は貰えなかった。 「まあ銃は極力使わないでね」 「分かっとるわ」 「逆水くんも同じ装備?」 「ああ。俺は拳銃じゃなくて特殊閃光弾だが、感染者には効かないだろう」 「生存者には効くから大事に持ってた方がいいよ」 「生存者って……」    逆水は言葉の続きを察し、僅かに眉を顰めた。人間と人間が表で争い合う世界になったのだと、戦争に慣れた男は悲しんでいるようだった。 「細かいことは気にしない。じゃないと南雲総一郎を捕獲するどころか見つけることもできなくなる」 「……分かってる」  改めて覚悟を決めた逆水はグッと目を閉じ、大きく息を吐き出した。優しい子は貧乏くじを引くなあと雪白は笑いながら窓を開ける。   「があ゛あ゛っ!」 「邪魔」  開けた側から感染者が飛び込んで来て、それを雪白が蹴り飛ばす。黙って大人しくしていれば美少女だというのに、中々に足癖が悪い。  雪白は外を確認すると首だけで三人を振り返った。 「あと十秒で車道を出るから、衝撃に備えて」  北条は雪白とは向かいの角に背を預け、両手と両足で踏ん張るような態勢をとった。逆水と雷槌もソファから降り、床に伏せる形で雪白を見上げる。雪白は一人窓際のまま、笑っていた。  宣言通り十秒後、車はガードレールをぶち破り、一段と大きな音を立ててから前のめりに下り始めた。ほとんど垂直に近い道なき道を走らせる運転席の月峯は珍しく声を上げて笑っていて、雪白もまた嬉しくなった。  そしてふと、視界の端に映ったものを認識して目を細めた。 「二十秒後、通常道路に出るけど周囲の車を巻き込んで壁に追突するよ!直前にキッチンカーの壁外して脱出するから、僕の合図で飛び出してね!」 「分かった!」  騒音の中大きい声で雑な作戦を立てるなど逆水も雷槌も初めてのことだった。だがどうしたものか、生命の危機に直面しているというのに、まるで怖くなかった。 (――絶対に死なない……)  逆水と雷槌のそれは死なない自信というより、生かされるという確信だった。  そして、衝撃が来る。一台、また一台と持ち主のいなくなった車両をビリヤードの球のように弾き飛ばし、壊していく。  音に感染者が集まる。これではゲートを爆発させた場合とあまり変わらないかもしれないな、と月峯は音にせず考えていた。 「ぐっ、ぅ、」 「加減、しやがれッ!」  ガシャンと言うには重すぎる轟音が何度も響き、逆水と雷槌の骨を軋ませた。角にいた北条は特に衝撃を受けており眉間に皺が寄っている。 「慧」 「、くそ」  車体ごと大きく回転し、周囲に破壊を齎す中で尚も悠然と窓際にいた雪白が北条を呼ぶ。北条は悪態をつきながらも、一言、ただ名前だけに込められた意味を理解して飛び込むように雪白の胴体に向かって飛び込んだ。 「いい子だね、慧。あと十秒で壁にぶつかるから、逆水くんと雷槌くんは準備して」 「わ、かった……!」 「出たら、一発、殴ってやる」 「それはツキだけにしてよね」  鬼の形相をする雷槌に向かって雪白は笑う。左の脇腹にコアラのようにくっついている北条は、ただただ、暴走するジェットコースターに耐えていた。  五秒。  四秒。  三秒。  二秒。  一秒。 「――零、行くよ」  鍵だけを外していたキッチンカーの横壁を雪白は勢いよく消し飛ばした。大きく開放され、入り込んだ光に目を瞑りながらも逆水と雷槌は飛び出した。  北条もまた、雪白に小脇に抱えられ外に出る。着地の衝撃が来て、数秒後、一段と大きな破壊音と風が四人の背中を押していた。 「前進!足止めた子は感染者のご飯だよ!」 「アホかお前は!この音じゃ上で爆破すんのと変わんなかっただろうが!」 「雷槌、今は走れ」 「お前はもうちっと怒れや!」 「本当……馬鹿共がすみません……」 「最低な兄貴共にお前の爪垢飲ませとけっ!」 「あははっ」 「笑ってんじゃねえぞ雪白!」  雷槌は心底から苛立ちを吐露する。周囲は住宅街というよりオフィス街の外れで、当然のように感染者が蔓延っている。  だというのに雪白は外遊びに興じるように近付く感染者を近くの瓦礫で叩き潰しては笑い続けていた。 「母親の胎内に恐怖心置いてきたんじゃねえのかこいつ」 「俺たちの《母親》にも恐怖心はあんまなかったぞ」 「月峯!良かった、無事だったのか」 「おう」 「母親の遺伝かよ……」  追いついてきた月峯に逆水が安堵の表情を浮かべる一方で雷槌は額を抑えた。所謂、ツッコミが足りない現象である。  五人はある一定の距離を保ち塊になっている。先頭には雪白と北条、その後ろの二列目には逆水と雷槌。最後尾三列目に月峯だ。 「雪白、このあとは?」  転がっていたパイプで感染者の頭を弾き飛ばしながら逆水が問いかける。   「とりあえず、オフィス街を遠回りで避けて海の方に行かなきゃかな」 「あ?突っきりゃ早いだろうが。前に見えてるのが目的地だろうが」 「んー、僕たちは突っ切ってもいいんだけど」 「オフィス街は感染者が多い。救助ヘリが着陸できる場所も多くて簡易避難所にもなってただろ――それで、そのまま感染者の集合住宅になってる」  月峯の言葉に雷槌は唇を噛み締めた。無数に生えるビル群の中は、空ではない。路上に出ている感染者だけでも百を超え厄介だというのに、更に補充されるのはどうにも避けたいのだろう。  しかし、それでは左右から迫る更に数百の感染者の波が腑に落ちない。 「おい、まさか、さっきの衝撃音で、ビルから出た奴がいるんじゃねえのか?」    北条の呟きに逆水と雷槌は青褪め、前にいる雪白と背後の月峯を振り返った。生憎と雪白の表情は伺えなかったが、位置的に良好だった月峯の顔はそれはもう憎たらしいほど美しく笑んでおり、それこそが答えであった。 「ク、クソ野郎か……?」 「精々三百から五百くらいだ。高速の出入り口を爆破してたら千は行く筈だったのに……」 「クソ野郎~~~~!」  しょんぼりと項垂れる月峯に向かって雷槌と北条は憤慨する。逆水に至っては怒りを通り越して困惑していた。  眼前の波は自分たちの命を脅かすものであって、決して歓迎するようなものではない。一も二もなく逃走が正しい判断だというのに、この男は何を言っているのだと。 「『僕の案がまだマシかな』って言ったでしょ」 「数キロじゃなくても確実に一キロは感染者で地面が見えないんだが?」 「安心してよ慧、さすがにあれくらいの数じゃ死なせないって」 「はあ……」    雪白が「死なせない」と断言する限り問題は微塵もないのだろうが、それにしたって質が悪い。   (感染者に、じゃなくて雷槌さんに殺される方が早いんじゃねえか?)  北条はアスファルトを駆けながら静かに遠い目をした。
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