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【第一章】波乱の幕開け 前編
ここ暫く、北条慧は厄日が続いていた。その日も朝から寝坊して学校に遅刻、しかもそれが遅刻者の処刑人と言われる安西先生の現国の授業で彼は見事に反省文五枚を書かされた。時代錯誤な原稿用紙と鉛筆で内容のない反省を書き終わった頃には放課後で、慌てて帰宅してすぐバイトに向かった。
知り合いが経営するその店はレトロチックな喫茶店で夜はダイニング・バーになる。注文の他、給仕も配膳ロボットではなく人間が行う今どき珍しい店だった。と言っても北条は主に厨房で簡単な調理をし、極稀にホールに出るくらいなので特に困ることはない。
しかし朝からの不幸は店でも続く。今回は後輩のバイトが注文ミスをした所為でもあったが、見事にスタッフ一同でお客様に謝罪するという地味に嫌な目にあった。
「はああ……」
何をしても上手く行かない日とはよくあるもので、疲れた体に鞭打って帰宅した北条はワンルームの部屋に寝そべった。
高校生の為二十二時までの労働しかできないとは言え疲れるものは疲れる。最近はようやく体が慣れてきて帰宅後すぐに就寝ということもなくなっていた。
「風呂……行くか…………」
北条はのろりと立ち上がり、タオルと寝巻きを持って風呂場へ向かう。少年の一人暮らしだ、湯船に水は張られる気配もなく、使用したことすらない。本当に疲れを取りたい時は近所の銭湯に行っているようだが、バイト帰りではもう閉まっていることのほうが多かった。
シャワーを浴び髪と体を洗って部屋に戻る。ドライヤーなんてものは存在しないが、実のところ北条の髪は女子が羨むほどの艶があった。概ね髪の水分を拭い終えると、店で貰ったまかないのタッパとお茶をローテーブルに用意する。テレビは備え付けの小さな物があり、北条はコンセントを差すと電源をつけた。この時間は夜のドラマも終わり、やっているのは芸能人の日常などに密着したドキュメンタリーかニュースだけだった。
(ニュースがましだな)
ついでに天気予報でも見るか、とリモコンを操作する。側の携帯端末に触れることはない。何十年前の映画やドラマ、小説と言ったものを好んだ親の影響か、北条も同じようにそれらを好んだ。映画館は他人との距離が近いので苦手だった。
『続いてのニュースです。先日ワシントンとソウルで同時に起こったテロについて新たな情報が入りました』
「テロ? まだ解決してないのか」
女性キャスターの横に暴動時の映像が並んでいる放送を見ながら北条は記憶を掘り返す。よくあるテロリストや、思想家たちによる革命運動だろうと思っていたが、SNSで飛び交った動画はあまりにも衝撃的だった。
「……なんだあれ」
体中に傷を負い、発砲されても動き続ける異様な存在。歩く死体、ゾンビ映画が現実にというツイートと共に流れた数十秒の動画はあちこちで拡散されたが、信憑性にかけるとしてネタ扱いだった。第一発信者のアカウントは不適切と通報されたのか凍結されていた。
だがどうしたものか、不思議なことに世界中からワシントンとソウル――いや、アメリカと韓国へは一切の連絡が取れなくなっていた。
『同盟諸国では現地状況を確認すべく人員投入することが決まり、日本からも応援部隊が……』
北条はつまらなそうな顔で放送を聞いていた。
どこの国も商品の製造・輸出入の八割が機械化した時代。特に物資が減るということもないのだが歴史の教科書に残るオイルショックの再来だと人々がスーパーに集結、オンラインショップにも注文が殺到しパンクする始末。北条もちゃっかり物資を補給していたりする。
『ネット上ではデマが広がっており、警察や学校では注意喚起を呼びかけています。皆様も根拠のない噂に振り回されず冷静な対応を――……』
「映画と同じこと言ってる……大混乱の前日かよ」
ブツリと電源を落とした北条はくつりと喉を鳴らし布団の中に潜り込んだ。マットレスのない薄い敷布団ではどうにも床の硬さを感じてしまい未だに早く寝付けない。目を閉じてただ時間が流れるのを待っていれば、数時間してようやく睡魔が彼を暗闇へと導いた。
ここ最近、北条は遠くの方でサイレンが鳴っている夢を見る。それは厄日ではなく、嵐の前の静けさだとは気付けなかった。
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