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…――100回、挑戦すれば、君の人生は栄光に満ちる。
ただし。
99回の挑戦は、辛く苦しく、そして、死にたくなるようなものになるでしょう。
それでも君は、100回、挑戦しますか?
誰に言われたのだろう。もはや記憶の彼方へと飛んでいった微かな残り火。でも、100回、挑戦すれば栄光を掴めると、そう信じて突き進んできた。無論、そんな誰に言われたのかすら分からないような戯言を信じた僕も僕だったんだけど。
そうして、ここへと立つ。
100回、挑戦したあと。
東尋坊という観光地の崖際から眼下に海を望める其処へ。
すわ自殺の名所として名高いソコへとだ。
僕は僕の人生を思いだす。
漫画家を目指していた。もちろんアシスタントだって経験した。どんな事をしても夢を叶えると、借金して、部屋に籠もり、数ヶ月、漫画だけ描く生活もした。足かけ30年という年月を漫画に費やした。その間に挑戦した漫画賞の数は、100。
いや、漫画賞に100回も挑戦する人間など、この世に、僕以外、いないだろう。
無論、あの100回、挑戦すれば栄光を掴めるという言葉を信じていたのもある。
それ以上に10回を超えた辺りから自分の才能の無さに心が折れそうになったのが大きい。つまり、漫画賞は、そんなに数をこなせるものではない。僕が知ってる〔アシスタント先であった先生も含めた〕人達は多くても10回前後で受賞している。
それを。
それを。
10回を超え、20回、40回、90回と必死で描き続けた。挑戦し続けたのだ。
もちろん、周りの反応も冷たく、君には才能がない、だから止めろ、と何回も言われた。それこそ数えるのが嫌になるほどにね。父親や母親は、もちろん、友達だって、恋人ですら。当然の如く恋人は聞く耳を持たず挑戦し続ける僕に呆れ果てた。
最後には、サヨナラと言われた。漫画家になったら結婚すると約束していたのに。
いや、20回を超えた辺りで、もう待てないという負の感情が僕へと流れ込んできて、僕の背中は、いつも冷たいものを入れられたような状態になっていた。それでも絶対に漫画家になると挑戦を続けた。彼女と別れたあとも、ずっとずっと。
そう言えば40回を超えた辺りだろうか。
小さな出版社の編集を名乗る男から電話があった。君の作品を世に出したいと思うのですが、どう、お考えですか? と言われた。まだ、その頃は、彼女とも別れていなかったから、その話に飛びついた。これで、結婚、出来るぞ、と嬉しくて。
もちろん、彼女も自分の事のように……。
いや、実際、結婚がかかっているから自分の事でもあるのか、一緒になって喜んでくれた。その男と都内の喫茶店で待ち合わせをする。胸は高鳴り、これでも、まだ栄光は掴めないかもしれないのかもだけど、それでも漫画家にはなれると。
そして、待ち合わせの場所に男が現れる。
開口一番。こう言い放つ。
弊社は自費出版を手がける会社なのですが、貴方の漫画をアンソロジー本として複数人で自費出版してみませんかと。一気に意気消沈。何の事はない。単なる営業。無論、自費出版を否定する気はない。しかし、プロの漫画家になりたいのだ。
自分の作品を、お金を出して本にするのではなく、お金をもらい本にしたいのだ。
それが、プロの漫画家だと、少なくとも、そういったプライドがあった。僕には。
でね。その時は、すごく酷い事になった。
期待していた分、ふざけるなという気持ちになってしまって口論だよ。相手は、どうしてもカモを逃がさないと、あの手、この手で陥落しようと必死。僕は僕でプロの漫画家とは、こういうものだと、力説。平行線は、どこまでも続いたよ。
いつまでもね。いや、この件に関しては、僕が馬鹿だったんだろうね。
自費出版という手は、世の中に自分の原稿を出す、一つの手段なんだ。
それは決して間違いない。
手段を選ばないならば自費出版も考えるべきだったんだろう。それも、賞に応募するのとは違う、また挑戦なのだから。ただ、僕は、やっぱり馬鹿で、お金をもらい本にする事に、こだわった。加えて、相手の気持ちが透けて見えてしまって。
僕の作品に興味があるというよりはカネに興味があるいった態度がさ。
まるで、お前の才能では、
カネを出しても本にする事が難しいんだと言われてしまったような気がしてだよ。
そして、平行線の終わりは決別で、僕は、とぼとぼと肩を落として帰路についた。
普段は見ないような豪華な食事を作って待っていてくれた彼女に事の顛末を伝えるのが恐かったよ。いや、伝えたあとの方が恐かった。彼女の目は、やっぱり、期待していた分、より冷たくて。無言で用意された料理を食べた時は死にたくなった。
味なんて分からないし、美味しいよ、とも言えなかった。
言ったら泣かれるって思ったから余計に。
それから、彼女と別れて、遂に90回目の挑戦をした日。
僕も歳をとっていて、30歳を超えた漫画家志望は使えないという定説にも負けそうになりながらも必死で食らい付いていた。出版社の編集さんから担当になりたいんですが、という電話をもらった。もちろん賞を開催する有名出版社の編集さんだ。
つまり、
自費出版の時とは違い、正真正銘の僕の作品を認めてくれた編集さんが担当として名乗りをあげてくれたわけだ。いや、90回も挑戦したんだ。本来は、こういった事が、何回もあって然るべき。それが、僕の場合、ようやく来たというだけの話。
で、貴方は何歳なんです?
受話器の向こうから聞こえる、おっとりとした声。相手にとっては何気ない質問。
ドキドキしながら、歳をとりすぎたという後ろめたさから、ある意味で、死刑宣告を受けるよう年齢を応える。と、唐突に厳しい口調になる編集さん。そうですか。なるほど。その年齢ではアシスタントも厳しいですね。いや、プロアシならば……。
でも、それほどの画力でもないか。そうですね。アシスタントはやりたいですか?
わらにもすがる思いで、はいと応える僕。
そうですか。ただ、プロアシ〔※プロのアシスタントの略。漫画家にはならないと決めた方が多い〕としてのアシスタントなんですが、いいですか。無論、今から見習いという形で入って頂くので一人前になるまでは一般職よりも給料は低いですよ。
ちょ、ちょっと待って下さいよ。担当になってくれるって言ったじゃないですか。
と、すがる僕。無様にも。
いや、そんな年齢がいっているとは聞いてなかったから。
なんとも不躾な言い方にもなってしまっている編集さん。
原稿の最終ページの裏に書いた履歴の年齢の部分を、わざと見にくくしたのが裏目に出た。どうにも30歳を超えたら説が頭に引っかかって誤魔化したくて、いや、原稿で、作品だけで勝負したいと考えたから。もちろん、これは言い訳だけど。
とにかく、淡々と二の句を繋ぐ編集さん。
そんな歳なら、なれるか分からない不安定な漫画家を目指すより安定した職としてのプロアシを勧めたんです。もちろん、その年齢ならば、漫画業界など、あきらめて一般職に就いた方が良いとは思うんですがね、僕としては。などと言い出す。
どうやら年齢の割に漫画力が低いと言いたいらしい。それが、ありありと分かる。
アシスタントの話も、多分、画力が達してない僕は単なる数あわせとしてだろう。
いや、それでもいいと、もしアシスタントとして働き始めたら、ゆくゆくはプロアシになるわけだから漫画家への道は閉ざされる。アシスタント先の先生としてもプロアシを育てる気で雇うのだから、そうなるのは至極当然の流れだ。ハァァ。
もし、仮に漫画家になる為、アシスタントを止めます、などと言い出したら……、
先方は、プロアシだと育てたわけだから、殺されても文句は言えない。
むしろ、そんな事を言わないのを前提にアシスタントとして雇うという暗黙の了解の下で交わされる雇用契約だ。僕は、また肩を落とす。だって、どうしても漫画家を、あきらめきれないから、90回も漫画賞に挑戦したんだから……。
おおよそ人間が挑戦できる数を遙かに超えた回数、必死で挑戦し続けたからこそ。
だから、僕は黙ったままで電話を切った。
受話器の向こうで編集さんが、なにかを言っていたが、聞く気にもなれなかった。
そして、
遂には、100回目を迎える事となった。
もちろん、ここまで来るのに、何回も死にたいとさえ思うような出来事を、沢山、経験した。それでも辛く苦しい99回を乗り越えた。前人未踏とも言える漫画賞への100回挑戦を成し遂げた。いや、まだ、なにも成し遂げていない。いまだ。
単に100回挑戦したというだけの話だ。
そうだ。
お話ならば、ここで、100回も漫画賞に挑戦した超人などと、どこかの誰かから賞賛され、栄光を掴むのかもしれない。しかし、これは僕の人生だ。そんな都合の良い事など起こらない。むしろ漫画賞を獲る事だけが事を成し遂げたと言えるのだ。
…――100回、挑戦すれば、君の人生は栄光に満ちる。
ただし。
99回の挑戦は、辛く苦しく、そして、死にたくなるようなものになるでしょう。
それでも君は、100回、挑戦しますか?
僕が、ただ信じて、心の支えとして、胸に刻み込んできた言葉を思いだす。どこの誰に言われたのかも忘れてしまった言葉を。100回、挑戦すれば栄光に満ちると、それだけを信じて、ここまで進んできたからこそ。そして、時は、今へと戻る。
東尋坊という観光地の崖際から眼下に海を望める其処へ。
波が岩に当たって砕ける。30m以上、下に拡がる海面が大きく口を開けている。
ハハハ。
もう終わりだ。100回、挑戦したんだから。もう終わりにしよう。こんな人生。
そうだ。
僕は今から死ぬ。100回目で最後にしようと臨んだ漫画賞。見事に落選。いや、本当に見事で、かすりもしなかった。担当の話もなかった。いや、これが当然か。むしろ、100回も、よくやったよと自分を慰めたい。101回目には挑戦しない。
10000回ダメでも、10001回目は何か変わるかもしれないなんて幻想だ。
それは、
僕が、漫画賞に100回も挑戦する事で証明してみせた。
図らずも。……大体、普通ならば、10回前後で、なにかしらがあるもんなんだ。
サヨウナラと言われて別れた彼女を思いだす。口が開く。
君には才能がないんだよ、あきらめなよ。
ふふふ。
一番、僕の心を知っていて欲しかった彼女は、どんな気持ちで、その言葉を選んだんだろう。結婚を待っていたからってのもあるけど、それでも、その言葉が僕を、どれだけ傷つけたのか分かるかい。もちろん僕も君を傷つけたのは間違いないけど。
サヨナラか。そうだね。サヨウナラだね。この世からさ。
バイバイ。今度、生まれ変わったら、次こそプロの漫画家になりたい。
と僕は崖下の海へと身を投げた。静かに目を閉じて覚悟を決めて……。
そして波間に僕は消えた。
人生は、終わりを迎えた。
100回もやってダメなんて本当に才能がなかったんだね。……止めて正解だよ。
なんて残酷な彼女の言葉が、思いとして脳に届き、それが、最後の合図となった。
ただし。
僕の物語は、そこで終わりではなかった。
意識が飛んで、死後の世界らしき場所に転送されたのだ。
もちろん異世界転生ではない。ただし、巷に溢れる、それの展開に似たような真っ白な空間に僕は立っていた。そこで女神と思しき人物と出会う。そうだ。100回、挑戦すれば、という、あの言葉をくれたのは女神である彼女だったのだ。
「よく来ました。孤独に戦い続けて苦しかったですよね。辛かったですよね。自分で自分の命を終わらせた事は褒めらた事じゃないですが、気持ちは分かりますよ」
ハァァ。
大きく息を吐く。疲れ果てていた僕の気持ちが、いくらかは和らいで。
ようやく認められたのだと嬉しくもなり。
彼女は温かい安心で僕を包み優しく背をさすってくれる。
「私だけは分かっています。君は本当に頑張ったと。100回の挑戦を自分に課し、それを見事にやってのけたと。何度も何度も止めたいと思いながらも、ですよ」
いや、それどころか、100回を達成する前に何度も死にたくなりながらもです。
ハァァ。
また大きく息を吐く僕。もう苦しみはないのだと悟って。
そう悟ったら、涙が溢れてきて、子供のように泣きじゃくった。この世が終わるまで。いや、終わって、次の世界が始まり、また終わりと、いつまでも果てる事なき世界のサイクルを何度も目の当たりしても、それでも泣き止まなかった。唯々。
「いいんですよ。今は泣いて下さい。それは君にとっての当然の権利なのですから」
うたかた。……この世は、人の人生は泡沫なのですから。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。と呻いてしまう。
そして、
また彼女が背中をさすってくれて、静かに一つ肩を叩く。
そののち、力強くも宣言した。彼女はッ!
「さあ、100回目の人生を始めましょうか。これから先は君の一人舞台です。誰も君には追いつけない。追いつこうという気力さえ湧かさせない。そんな人生を」
えっ!?
100回目の人生だって。それは、一体?
「99回の辛い輪廻転生を繰り返して遂に君は辿り着いたのです。栄光に満ちた100回目の人生に。全ては君の思うがままです。今までの苦い経験が、そうさせる」
99回の人生は、あの100回の漫画賞への挑戦は、君の血肉なっていますから。
100回の挑戦って、そういう事だったのか。漫画賞ではなくて人生という挑戦。
「もちろん100回目の挑戦はしますよね? その為の今までの苦労なんですから」
アハハ。
そうだったのか。そうだったんだね。もう笑うしかない。
そして、僕は生まれ変わった。新たな人生を歩き始める。
100回目の輪廻転生を果たし栄光なる道をしっかりと。
お終い。
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