キミの目玉焼き

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 目玉焼きを思い出した。  彼女の眼帯は未だにとれていない。  幼い頃の恐怖心が心臓を掴む。  目玉焼きは、めだまやき、だ。  人に自分の体の一部を食べさせる――被食願望。  ――結局その日は、仕事に身が入らずに何度もミスをした。そのたびに先輩がフォローしてくれて事なきを得たが、原因が先輩の話でもあるので――いや、そもそも、こんな話を聞き出したのは僕自身だから――頭がまとまらない。  気がつけば、僕はマンションの扉の前にいた。  いつ退社して、ここまで帰ってきたんだろう。帰途の記憶がない。  ドアノブに手をかけて、回す。いつものように彼女が先に帰宅していて、玄関には彼女の靴が揃えてある。何も変わらない光景。奥からはいい匂いが漂ってくる。彼女が夕食を作ってくれている。でも、その料理は。  ――あいつ、変態なんだよ。  先輩の言葉が脳裏に蘇る。  僕はごくりと喉を鳴らして固唾を飲み、先へ進んだ。  ダイニングに入って、思わずギョッと目を見張る。  テーブルの上には、よりにもよって目玉焼きがあったからだ。 「あれ、帰ってたんだ」  その声に、ビクリと肩が跳ねた。  今度は両目に包帯を巻いた彼女を想像してしまう。  恐る恐る、彼女の方に、目を向ける。 「……どしたの? ボーっと突っ立って」  眼帯が取れた両の目で、彼女はキョトンとこちらを見つめていた。 「……はぁぁぁぁ」  力が抜けて、長く思いため息とともに椅子に座り込む。 「え、え、ちょっと、大丈夫?」  慌てて駆け寄る彼女に、僕は包み隠さず話した。先輩から、学生時代の話を訊いたことを。 「……サイテー」  当然ながら、彼女は険しい顔になる。 「そこまで探り入れる? ふつう……。そんな昔のこと……」  険しい表情のまま、彼女は顔を背ける。とても酷いことをしてしまった自覚はある。こんな彼女は見たことがない。でも、僕の話を否定しない。つまり、先輩が語ったことは、事実だということ、だ。 「……食べなくていいよ。もう、そんなことしてないけど」 「いや……」  目玉焼きを見やる。白身は焦げ過ぎない程度に、つるんときれいに固まっている。黄身もちょっと半熟で、僕の好きな焼き加減だ。本当に美味しそうにできあがっている。 「僕、昔は目玉焼きが怖かったんだ」 「え?」  少し恥ずかしかったけど、僕も包み隠さず話した。幼い頃の勘違いと、正体不明の恐怖心を抱いていたことを。  「なにそれ。それじゃ、私が眼帯してたのは、私が自分の目玉を焼いたからだと思ってたってこと?」  そう言って、彼女は少し笑う。嘲笑ではなく、力が抜けたような、乾いた笑みだ。 「……昔の私でも、そんなことしないよ。そんなの、死んじゃうじゃない」 「そう、だよな。ごめん。僕も、おかしかったんだ。いくら先輩から話を聞いたからって、そんなわけない、よね」  ならなぜ、過去の彼女は、料理に自分の体の一部を混ぜたのか。  聞きたいけど聞けない。そんな僕の様子を察してか、彼女はまた一つため息をついて、恥ずかしそうに顔を背けた。 「……くろまじゅつ」 「え?」 「わ、若気の至りだったのよ。いわゆるその、ち、中二病……ってやつで。く、黒魔術とか、オカルトに、その……のめり込んだ時期が……あって……」 「えっと……」  いや、僕も中二病とまではいかないけれど、空想や妄想に耽ったり、自分は他人とは違うんだと、思春期特有の謎理論で自分自身の立ち位置を作ろうとしていた時期はある。そして、そういう時期というものは、大人になった今では『何でそんなことしたん?』と思わざるをえないような思考や行動をしてしまうのもよくわかる。  それが、彼女の場合は黒魔術。……おそらく、その中に、血とか爪とか髪の毛とか、そういうものを他人に食べさせる……ようなものがあったのだろう。本か何かで見たことがある。そういった魔術は、大抵、想い人の心を得るためになされると。  正直に告白した彼女は顔を真っ赤にして、涙目にすらなっていて、頭を抱えている。 「い、今思い出しても、何でそんなことしてたのか、ホント分かんない。もう、できるなら、あの頃の私を殺しに行きたい」 「いやそこまで」 「そこまでだよ! だって、気持ち悪いもん。冷静に考えれば、そんなの、衛生的にも完全にアウトじゃない。ああああああもおぉぉぉぉぉ」  ついには蹲って、ゴンゴンと床に額を打ち付け始めた。まずい。壊れた。 「キミにだけは知られたくなかった……」 「ご、ごめん」  とにかくこれ以上彼女の額が傷つく前に、僕はしゃがんで彼女を抱きしめた。  彼女の隠されていた過去は、先輩が言うような歪んだ性癖なんかじゃなく、思春期特有の奇行だった。おそらくは、先輩もそこまでは知らなかったに違いない。相手の心をモノにするために黒魔術を施されるなんて、手段はどうであれ、当時、彼女は本当に先輩のことが好きだったのだろう。  ……何か、嫉妬するな。 「でも、僕はちょっと嬉しいよ。どんなことでも、キミのことは知りたい。理解したい」 「……気持ち悪くない? 幻滅しなかった?」  少し迷って、僕は正直に答える。 「実は、ちょっとだけした」 「……正直でよろしい」彼女はやさぐれた声で言う。「……今でもやってたら、どうする?」  これにも、僕は本心で答えた。 「食べるよ。だって、『目玉焼き』を食べ続けてきたんだぜ」 「なにそれ」  彼女は笑って、少し鼻をすすって、そして、僕を抱きしめ返してくれた。
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