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よくまあ涙を流せるなぁ、と僕は佳奈美を見ながらちょっと感心していた。
とはいえ、そろそろ付き合うのも面倒になってきた。
「あのね、卵の惨状を訴えるなら、まず目の前に広がっている惨状をどうにかしなよ」
ここは佳奈美の家の台所。
調理台の上、床、いろんなところに卵だった残骸が飛び散っている。
今、家の中では二人きりだが、もはやドキドキもしない。
「調理実習までに卵ぐらいは割れるようになりたいって言うから練習に付き合ってんだよ」
根っからの不器用である佳奈美は、未だ卵を割ってボウルに入れることもできない。
力加減なのか何なのかは分からないが、とにかくヒビを入れようとした卵がその場でぐしゃぐしゃになったり、手から滑り落ちて床の上で割れたりと、目も当てられない光景がさっきから繰り広げられていた。
最初のうちこそアドバイスをしていた僕だが、少し前にそれも諦めた。
そうして、最終的にすべてが嫌になった佳奈美が訳の分からないことを言い出したのが今だ。
「だって、全然うまくならない」
「まあ、確かに相性は悪いのかもね。そろそろ闇雲に割ろうとするのは止めよう」
「調理実習……どうしよう」
「とりあえず、僕と同じ班に入れることを祈れよ。そしたらフォローするから」
「うん……ありがとう」
彼女に卵を割らせるのと、オランウータンにロケットの発射を制御させるのと、果たしてどちらが難しいだろうか。思わずそんな事を考えた。
「ねえ……。今、この家には私達しかいないんだよ」
不意に、佳奈美がそんなことを言い出した。
その目が微かに潤んでいるように見えた。
そうだ。この家には今二人しかいないのだ。
「……掃除、手伝って」
つまり、圧倒的人手不足。
この惨状を速やかに片付け、もうすぐ帰ってくるであろう彼女の母親が夕飯の支度にとりかかれる状態を作らねばならない。
「そうだね」
僕は小さくため息をつきながら、そう返事をした。
「ありがとう」
そう言った彼女の顔が赤いのは、恥ずかしいからかあるいは差し込む夕日のせいか。
この後、二人で一生懸命台所を掃除した。
その途中、卵で足を滑らせた佳奈美がこけかけて、それをとっさに支えた僕との距離が急接近、なんてことが一切起こらなかったことをここに記しておく。
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