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豊田啓二は大地主の息子だった。
啓二は次男だったが、中学生だった兄は、先の戦争のとき、学徒動員で横浜の工場に行っているときに大空襲にやられて亡くなっていた。
終戦を迎えたのは啓二がまだ尋常小学校にかよっていたころのことだ。
そして戦後、農地解放で父の啓造は大半の土地を失った。
啓造はその後も働くことをせず、残った土地を切り売りして暮らしていた。
母が畑を耕したり、庭の隅で鶏を飼ったりして――もちろん啓二も手伝ったのだが――とにかく一家が食べる物に困ることはなかった。
啓二が高校を卒業する直前に父は他界した。啓二には3反(約900坪)の土地が残されていた。
「この土地を売ってもこの先食っていける程の金にはなんめえ。鶏の数を増やして卵や鶏肉を売る方がマシじゃろう」
母と相談し、近隣の養鶏場に教えを請うて、見よう見まねで養鶏場を始めた。
「楽とは言えんが、なんとか育っていきよるなあ」
「知らんと言うても、母ちゃんが前から鶏飼うてたで、大助かりやったわ。ありがとうな」
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