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久留米の男の〝短命〟と高遠の女の〝長命〟。そのふたつのきっかけ、あるいは始まりとなったのは藤堂正宗という男の存在にある。
正宗は、室町時代末期に生まれた小名だった。
彼は武勇が優れたわけでもなく、かといって特別劣っていたわけでもなかった。名武将が輝き、名を馳せる時代の、本来であれば歴史に名を残さぬような小名。
そんな正宗の人生最大の汚点は、部下の本性を見抜けなかったことであろう。もはや名も伝わらないその男は、正宗の治める領地で主に隠れて税を多く取り立て、こっそりと己の懐に入れていたのである。そのことに、正宗はついぞ気付くことはなかった。
当然ながら領民たちにも真実は分かるわけもなく、彼ら彼女らの憎しみは、領主である正宗に向かった。正宗を、自分たちを苦しめる領主を、この手で討つ。領民たちは、そうして立ち上がってしまった。
そんな領民たちの中心となったのが、足軽だった久留米家の先祖・平一である。
平一は領民を見事な手腕でまとめあげ、藤堂の屋敷に押し入り、その手で正宗を討ちとったのだ。正宗は領民たちの不穏な動きを知らなかったようで、屋敷への潜入も容易く、なんとも呆気ない最期だったと伝えられている。
多くの税を取り上げ私腹を肥やしていたのは、正宗ではなくその部下だった、という真実が明るみに出たのは、正宗の死後数年経ってからのことであった。
確かに正宗は部下の悪行を知ることもなく、民たちの苦しみに気付くことができなかった。苦しんだ領民たちに殺されたのは、ある意味では自業自得なのかもしれない。しかしそれは、事実を知っているからこそそう思うだけで、正宗からしたら何故自分が殺されねばならないのか理解できるわけもなかっただろう。
そんな正宗の強い恨みは、己を殺した久留米家へと向かった。
正宗の死からさほど経たずに、平一は突然血を吐いた。しかし平一はすぐには死なず、数か月に渡り苦しみ続けたのちに、ようやく息を引き取ったのだ。
平一の死を皮切りに、久留米家の男子が次々に命を落としていくようになった。それも全員が簡単には死ねず、大層苦しみ抜いた末に絶望の表情で最期を迎えたのだという。
最初は成人男子のみだったのに、次第に生まれたばかりの赤子までもが苦しみながら命を落とすようになっていく。久留米の者は理解した。
久留米家は、正宗に呪われている、と。
そこで久留米家がこの呪いを解くべく頼ったのが——高遠家の先祖である。
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