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半ば強引に同居を進めた松岡が、こうして気を配ってくれることを有難く感じた成瀬は、キャニスターから豆を出し いそいそと挽く恋人の所作を いとおしく眺めた。手伝った方がいいのだろうか? と頭をよぎったが、その嬉々とした様子に思いとどまった。自分の為に美味いコーヒーを淹れようとする気持ち、それを邪魔するのは野暮だと思ったから……
「はい、どうぞ」と目の前に置かれたのは、波佐見焼の真っ白なコーヒーカップ。挽いた豆に湯を注ぎ淹れる時から香しい香りが漂ってきたけれど、漆黒の液体から立ち上る湯気にあたると更に幸せな心地になってくる。
「いただきます」そう言って口に含むと、苦みの中にキャラメルのような甘みを感じて身も心も蕩けていくようだ。
「どう?」
「美味しい。ここだけ違った空間みたいです」
「それってどういう意味?」
「雰囲気のいいカフェにいるみたいというのか。豆は馴染みの店から取り寄せているんでしょう?」
「これはネットで見つけたところ。評価がいいんで どんなもんかと思って」
「ネットで買い物なんかしてるんだ……」
「なかなか出掛けられないからね。暇さえあれば そんなことばっかりしている」
自分と違って凝り性の松岡のこと、飛び切り美味い豆を探し当ててくるんじゃないかと期待した成瀬が再びお願いをする。
「コーヒーを淹れる時は また誘ってください」
「もちろん。とびきり美味いのを点ててあげる」
「あれだったらLINEしてください。すぐに下りて行きますから」
「え、LINE!? 同じ家にいるのに?」
「そっちの方が楽じゃないですか?」
「いや、別に……」
「階段から声を張り上げるのも登ってくるのも大変だし『取り込み中かも?』って気にすることもないし。俺も書斎にいる先生に声をかけるの、意外と緊張しますよ」
「緊張してたの?」
「だって仕事中でしょう? 正直、どこまで先生のプライベートに踏み込んでいいのか悩んでるんです。同居を始めたといっても、先生のテリトリーにズケズケ入るのは良くない気がするので。だから、先生の書斎へお邪魔する時はノックの意味を込めてLINEしますね」
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