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きっと会える
「次は終着~、お降りの方はブザーを押してください」
ピンポーン
私は三時間揺られたバスを降りる。一人暮らしのアパートを出たのは早朝だったはずなのに、新幹線と電車とバスを乗り継いでいたら、実家に着くころには日が落ちかけていた。
「すーはー」
アパートとは違って、美味しい空気だ。緑も多い、心を癒すと言われているその色は、目にも優しい気がする。山がそびえたっているこの光景を長いこと見ていたら、視力が回復するのではと錯覚するくらいだ。
「そして、ここから三十分歩く、と」
今日という平日、家にはお母さんがいるらしいが、迎えは頼まなかった。
仕事でつまずき落ち込んでいる気分を、歩いている間に消化できるとは思わないが、それでも、私には実家に着くまでに一人、静かに考える時間が必要だった。喧騒のない、まるで世界に私だけしかいないような気分に浸りながら、私は「何か」を考えなければいけない気がしたのだ。
「あ~あの雲、おととい熱を出していた私の頬みたい……」
四十度を体温計で見た時は、さすがに悪寒が走った。このまま一人、誰にも気づかれず死んでいくのだろうかと恐怖を覚えたのだ。孤独が怖いと思ったのは、あの時が初めてだったように思える。
だけど、熱を出して良かったのかもしれない。
熱が下がって、ぼうーとしていたところに母から電話がかかり、
「たまには帰っておいで」
「じゃ……今週末にでも」
と、私が家を出て初めて、このように事が進んだのだから。
「だんだん、赤くなっていく……」
さっきまでピンクだったのに、今では赤みがかっている。雲がこのように色をつけることも、今初めてしったように思えた。
「ん?」
ふと、道の向こうを見ると、私と同じように空を見上げ、立ちすくんでいる小さな女の子が目に入った。周りに大人はいない。この辺りの子だろうか?
「こんにちは、何してるの?」
私は思い切って、その子に声をかけることにした。だって、最近物騒な事件も多いし、 もしも迷子なら送ってあげないといけないし(一緒に迷える自信もあるが)。
すると女の子は、腰まである長い黒髪を振って、満面の笑みで「雲!」と言った。
「雲? 雲見てるの?」
「うん! ふかふかしてて、かわいいピンク色!
美味しい綿あめみたい! 食べたいなあ~!」
「綿あめ……」
年が違えば、例え方も違う。鬱蒼とした自分の年老いた考え方が、ほとほと嫌になってきた。
「そう、おいしそうだね。食べれたらいいね」
「うん! でも、届かないの。えい! えい!」
「ふふ――ねぇ、ずっとここにいるの? ご両親は?」
そう尋ねると、女の子はまたまたニコリと笑って「ちかくー」と言った。
「そっかこの辺の子なんだね。よかった」
「でも、いないの」
「いない?」
何がだろう? 女の子が途端に困った表情をしたから、本当に手をこまねいている事態だということは分かった。
「探している子がいるの! けど、見つからないの。
見つからないから、わたし、ずっと探してるの」
「お友達かな? どんな子なの?」
「わたしの大事な子なの! けど、どんな子かは―― 分からないの 」
「え?」
「探している子がどんな子か、覚えていないの」
「……」
私は頭を抱えた。もちろん、そんなことってあるだろうか?という疑問からだ。
まさか、引っ越しをした子とか?
それか、今は近くにはいない幼馴染とか?
私は思い当たる限りのことを女の子に提案した。
だけど、私が羅列した言葉の中に、どこにも正解はなかった。
「おねーちゃん、明日もここに来る?」
「うん、しばらくはこっちにいるよ」
残っている有給休暇を全部使うと宣言してしまったので、暫くの間はゆっくり出来る。
「じゃあ、明日もここにきて? わたしと、その子を探して!」
「え? うん……わかった。いつ?」
「朝!」
「え!? わ、分かったよ。じゃあ、朝十時頃にここにいるね」
提示した時間がまだ遅かったらしく、女の子はぷうと頬を膨らませたが、まるで風船が割れたように空気を抜くと「ありがとう!」と言ってすぐに笑った。そして走り去っていくその姿は、子供らしい、まるで吹けば飛んでいってしまうようなスキップで――それを見た私の心は、また和んだ。
家に帰ってその女の子の話をすることはなかった。
なぜなら、母は私を質問攻めにし、仕事はどうだとか、結婚はいつするのだとか、こっちに帰って来るのだとかで、私が話をする機会を与えてくれなかったからだ。
実家に帰ったというのに、ゆっくりできない。
「はぁ」
思えば、あの女の子と一緒にいたあの時間だけ、私の心は息をしていたように思える。
「早く、明日にならないかな」
私は母の話を遮って、少し埃っぽい自分の部屋に閉じこもる。
そして、無意識の内に明日の十時を楽しみにし、ベッドの上で意識を手放したのだった。
―――――
「おねーちゃん、ここでなにしてるの?」
「……あれ?」
次の日の十時、私は約束通り女の子と再会した。
といっても、その子の雰囲気はだいぶ変わっていたが。
「髪、切ったんだね。肩についてない……お母さんに切ってもらったの?」
昨日は腰まであった女の子の長い黒髪が、肩につかないまでにバッサリ切られていたのだ。昨日までがおしとやかなお人形さんなら、こっちは元気ハツラツなチアガールだ。
「似合うね」と言うと、女の子は笑った。
が、
「おねーちゃん、変なの! わたし、ずっとこの髪の長さだよ!」
「……え?」
アハハ!と笑うその子の様子を見ていると、どうやら嘘はついていないようだ。訳が分からなくなって、もしやカツラか?ウィッグか?と思ったが、こんな小さな子がそんなことをするのも何だか普通ではない。
おかしい――確かに、よく分からないが、はっきりとはしないが、変な空気が私を纏う。
「おねーちゃん?」
「ん? あ、ぁ。ごめんね。その髪、可愛いね」
「そう? えへへ、ありがとう!
ねぇ、この後時間ある?」
「あるよ、だから遊ぶ約束したんじゃない」
そういうと、女の子はキョトンとしたものの、またアハハと笑った。
そして、こう言ったのだ。
「初めて会ったのに、どうやって約束出来るのー? おねーちゃん変なの!」
「……え?」
ますます、わけがわからなくなった。
この子は、もしかしたら別の子なのだろうか? でも、髪の他に違った点は見られない。喋り方も、声も、動作も、昨日のその子と同じだった。それに、
「あ、雲ー! 綿あめみたい! おいしそうだなあ~!」
昨日と同じことを言われては、やっぱり昨日の子と同じと認めざるを得ない。
そして、共通点は、こんなところにも。
「私ね、探している子がいるの! けど、見つからないの。見つからないから、わたし、ずっと探してるの」
「…………え」
「見つからないの、だからおねーちゃん、一緒に探してくれる?」
そうやって同じことをいうものだから、やっぱり昨日の子と同じだと認めざるを得ないのだ。
「……お、お友達かな? どんな子なの?」
「わたしの大事な子なの! けど、どんな子かは、分からないの」
「……」
「探している子がどんな子か、覚えていないの」
「……」
それは、彼女にとって本当に大事な子なのだろうか?
彼女の上に漂う綿あめよりも、気になることなのだろうか?
「わかった……一緒に、探そう?」
「本当? ありがとー!」
そして、私たちはただひたすらに歩いた。車が通れる一本道を、二人、手を繋いで歩いた。
この子が探しているのは、どんな子なんだろう。
歩いている時、そればかり思っていた。
同時に、この女の子も、私と同じことを思っているだろう。
『私は誰を探してるんだろう?』
誰か分からない人を探している――変なことだと思う。
だけど、誰か分からないけど探したい――そう掻き立てる思いは、そこまでして湧き上がる感情は、ただ純粋にすごいと思った。
「ねぇ、一つ聞いていい?
いつから、人を探しているの?」
「ずっと! もう、ずっと探しているの。けど見つからないの。
もう、会えないのかなぁ……」
浮かぶ綿あめを見ながら、すぐにでも泣いてしまいそうな顔をして、彼女は言った。
そんな顔しないで――そう言いたかったけど、安易に言っていいものかと言葉を飲み込む。
どうなぐさめてあげようか――そう思っていた、その時だった。
「あ、車だー」
この田舎にも車は通るらしく、黒い普通車が私たちの前を通り過ぎた。デコボコ道を飛ばすことは出来ないらしく、時速二十キロ程のスピードで、のろのろと私たちの前を通る。
太陽に照らされた黒いボディーは、私たちの姿を鮮明に映す。
そこに映っていたのは、
さして表情を持たない冴えない私の姿と、
満面の笑みを浮かべ、私の隣に立っている女の子をまるで抱きしめるかの様に両手を伸ばす、髪が腰まである女の子の姿だった。
「え!?」
その車に映った子は、確かに、昨日私と一緒にいた子だった。
「い、今の!?」
よく思い出せば、車が通った時、隣にいた女の子は私にしがみついて離れなかった。手は、広げていなかった。それに、髪だって短いのだ。
今の見た!?――すぐ、そう言おうとした。
けど、言えなかった。
「やっと、やっと見つけた……わたしが探してる子、見つけた!!」
「え!?」
「絶対あの子だ! やっと会えた!!」
泣きながら、まるで叫ぶように、隣にいた女の子が車を追いかけ、走り出したのだ。
「待って! そっちは危ないから!!」
「みつけた、みつけた!! やっと見つけたの!!」
私の言うことに耳を貸さない、というよりは、私の声など聞こえてないらしく、女の子はドロドロ走る車を一生懸命追いかけた。ゆっくり走る車に追いつくのは大したことではなく、小さな子が一分もあれば成し遂げられる一瞬の出来事だった。
「待って! タイヤに巻き込まれる!!
それ以上近くに、
行かないで!!!」
そう叫んだ時だった。
パンッ
何かが破裂するような、言ってみれば、風船が割れるような音が一面に響く。
私は震える瞼をこじ開け、目を凝らした。すると車はずっと走ったままで、もう遠くにいる。近くにいるであろう女の子は、影も形もなかった。
「き、消えた? うそ……」
嘘なんかじゃない。女の子はもういない。
けど、さっきまで私の隣にいたことも、嘘じゃない。
彼女は確かに、私と共に一緒の時を過ごした。
「どこに、行っちゃったの……?」
流れる汗を払うように、空を見上げた。
すると、そこには彼女が「食べたい」と言っていた綿あめが、不均等に並んでいる。
「食べたいって、言ってたじゃない……一人で、どこ行っちゃったのよォっ」
ポタポタと、汗とは違うものが流れてくる。心に大きな穴が開いた様で、そこから吹き付ける風は、私の孤独を簡単に助長させた。そのひんやりとした感覚は、まるでアパートにいる時のようだった。
「うっ、ひっくっ! ぇっ、う」
一人で泣くのはいつ振りだろう。
こんなに心が締め付けられるのはいつ振りだろう。
思い出せないほど、自分の涙を、自分の気持ちを、こんなにもまざまざと見たのは、本当に久しぶりのことだった。
すると、その時、聞こえた。
「あはは!」
急いで顔を上げる。
すると、私の歩く少し先で、女の子がいた。
髪の長いおしとやかなお人形のような女の子と、髪の短い元気ハツラツなチアガールのような女の子だ。
「あ、れ……?」
二人はやっぱりすごく似ていて、二人して「好きだ」と口にしていた綿あめを交互に持って食べあいこしている。「もうちょっとー」とか「だめー」とか、そんな会話も聞こえてくる。
喧嘩しそうで、でも、最後には必ず笑って……満面の笑みで幸せを分け合っていた。
「あ……あぁ、そういうことかぁ……
やっと、会えたんだね?」
その光景を見て、分かった。
彼女たちが探していたのは、彼女たちだったのだと。
お互いがお互いを、探し合っていたのだと。
彼女たちは最後まで笑って、私の方を見なかった。
だけど笑い合うその声に交じって、「またね」そんな声が聞こえた気もした。
私は涙を流したまま、「うん、またね」それだけ言って、また、泣いた。
こんなに笑ったのは、いつ振りだろう。
頬が疲れるほど口角を上げたのは、いつ振りだろう。
こんなにすがすがしい気持ちになったのは、いつ振りだろう。
「ひっく、ひっ……あぁ、私、今日も、生きてるなぁっ」
私の心の中に太陽が入ってきたように、ポカポカと温かい気持ちが全身を巡る。生の実感を得られたのは、何だか久しぶりのような気がした。
そして同時に、考えなければならない「何か」は、それ以来、私の中で忽然と姿を消した――。
その後、私はアパートに帰った。母に喝を入れられたことも手伝ってか仕事と向き合い、なんとか辞めずに続けることができた。
するとその仕事の中で出会った人とお互い惹かれ合い、少しの期間を経て結婚し、二人の子供を授かった。
「ほら、綿あめ買ってきたよー!」
その二人の子供が可愛い双子の女の子。自分の子供を見て、私はふと思い出す。あの不思議な夏の日を。今目の前にいる天使たちの出会えた、あの日の事を――
【完】
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