誰でもいい

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誰でもいい

「俺の場合は……恋とは違います。ずっと弟分だと思っていた存在に、彼氏が出来て、ショックだったっていうか……。あいついじめられっ子で、俺が守ってやらなくちゃと思ってたから、急に男が出来て、俺の役目は終わってしまって……。気持ちのやりどころがないというか、胸にぽっかり穴が空いた気分というか……。小学校からの付き合いだったんで」  冴木は静かに目を伏せた。二年近く片想いしている相手が見せた、初めての表情に、桃野もぎゅっと胸を掴まれた。 (誰のことを言っているか分からないけれど、とにかく冴木くんが寂しがっている)  ――なんとかしてあげなくちゃ。  桃野はとっさに手を伸ばし、冴木の骨張った手首を握った。人肌の暖かさにドキッと心臓を跳ねさせて、きっと彼を見上げる。 「じゃあなおのこと、きみを帰すわけにはいかない。ぼくたちは利害が一致している。――ね、ぼくの身体、試してみない? ぼく……上手だよ?」  わざと小首を傾げ、冴木を上目遣いで見る。枯れ葉色のきれいな虹彩{こうさい}が、まっすぐ男を捕らえている。  これが最近、桃野が勤めているすずらん保育園の女の子たちの間で流行っている、「あざとかわいい」という仕草である。  奥手過ぎて、今まで誰とも付き合ったことのない桃野には、男を誘うなど初めてのことである。 (ど、どうだろう? 効いてるかな)  桃野の鼓動はバクバクと早鳴り、緊張で喉がからからに乾いている。冴木に触れている華奢な指は、力を入れていないと震えて滑り落ちそうだ。  それを必死に堪えて、彼の返事を待った。十数秒が、一時間にも感じた。ごくりと唾を飲み込む。 (落ちてくれないかな?)  ――やっぱり無理かな……。  冴木はじっと桃野を見詰めたきり、動かない。退{ひ}かれたか、と背中にじわりと冷たい汗が流れた。諦めかけたその瞬間、冴木が深い息を吐いた。 「本当はこういう軽いノリって好きじゃないんですけど……。でも、ま、いいですよ。あんたには介抱してもらった恩があるんで」 「ほ、本当?」 「ええ……俺も寂しいし。今は、誰でもいいんで」  冴木は言った。  ――誰でもいい。  その一言に、桃野の胸は確かにズキッと痛んだ。  ぶっきらぼうな冴木の台詞に、桃野は彼の心の傷を感じる。しかしそれ以上に、桃野の心臓は軋{きし}んだ。 (誰でもいいんだ。ぼくじゃなくても……)  ――だめ、傷つくな。冴木くんを騙{だま}しているのは、ぼくの方なんだから……。  ショックを振り払い、桃野は無理やり笑顔を作る。 「じゃ、じゃあ……本当にいいの?」 「ええ。でもその気になれなかったら、帰りますから」 「も、もちろん。じゃあ、ぼく達は今から、セ……セフレってことで、いいかな?」    桃野は一瞬迷って、そう告げた。童貞処女の桃野は、身体だけの関係を表す、よい言葉を他に知らない。
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