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セフレ
「セフレ。いいですよ。まあ……続くとは思えませんが」
冴木は言った。肯定されると、再び胸がチクリと痛む。
(セフレか……)
自分から提案したくせに、傷つくなんて、勝手すぎると思いながら、桃野は続ける。
「じゃあベッドに行く……?」
「はい」
冴木は靴を履くのを止めて、くるりと踵を返した。キッチン付きの短い廊下を歩き、一つしかない部屋に入る。二人は仕切りにしている家具をこえて、奥のシングルベッドに辿り着いた。
改めて向き合うと、冴木は背が高かった。身体はがっしりとしていて、胸板も厚い。側に寄ると、彼の淡いトワレのようなものに気がついた。少しツンとした、しかしどこか懐かしさを感じるシダーウッドの甘い香りに、くらっと来る。
(うわあ……。冴木くんがいる。こんなに近くに……)
――ずっと片想いしていた人が、すぐ側にいる。
胸の痛みがだんだん別のものに代わっていく。桃野はドキドキしながら彼を見上げる。樹木色の大きな瞳が期待と緊張に湿り、まるで雨に濡れた幹のように、黒みを帯びて、艶{つや}やかに光る。
「俺が抱く方でいいんですよね」
冴木が訊{き}いた。
「う、うん」
桃野はこくりと頷いた。
「名前、まだ言ってませんでしたね。俺は冴木友一です。冴えるに、木で冴木。で、友に漢数字の一。大学二年です」
「えっと……ぼくは桃野圭。桃に、野原の野で、土が二つ重なった、圭。二十四歳だよ。近くのすずらん保育園というところで、保育士をやってる」
「へえ……俺より四つも上なんですか。童顔ですね。で、保育士。すごいですね……」
冴木がそっと目を細めた。その瞳に興味と、尊敬が混じった暖かな光りが灯るのを、桃野は見た。
「すごくないよ。普通だよ」
「ちゃんと働いてるだけで偉いですよ。学生から見れば。子供たちからはなんて呼ばれているんですか?」
「えっと……桃先生、とか」
「桃先生か。かわいいですね」
冴木がそっと手を伸ばし、桃野のふっくらした頬を包んで、言う。
「じゃあ、俺がその……皆の『ももせんせー』を汚していいんですね」
冴木の美しいテノールが響く。ももせんせー、とまるで幼児が呼ぶように舌っ足らずな発音だった。それが、逆に彼の冷たい美貌にギャップを与え、桃野は頬をぽっと赤くする。
冴木は雑な手つきで、桃野をベッドに押し倒した。そして自分もその上に乗る。
「!」
ギシ、と二人分の重みを受けて、ベッドが軋む。間近に迫った整った顔に、桃野は一際大きく胸を跳ねさせた。茹でダコのように顔が染まり、こめかみがドクドクと鳴る。
(ち、近い……)
「へえ、あんた側で見ると結構……。これなら勃{た}つかもな」
冴木がぼそぼそと言った。
「え……?」
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