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実家の味
中には、お金を出している以上、プロとしてきちんとしたものを提供してもらいたい、と考え、クレームを入れる客もいるらしいが、しかし桃野はそう思わない。むしろ一人暮らしで食事作りに嫌気が差している身としては、人に作ってもらえるだけでありがたい。
しばらくすると、片手にお盆を持った冴木が青い顔をしてやって来た。そこには小さなプリンが乗っている。
――お客様、すみません。先程お出しした千切りキャベツ、繋がっていませんでしたか? こちらのミスで、処分する方のお皿に盛り付けてしまったみたいで……。
冴木は片膝をつき、桃野を見上げた。
桃野はこんなイケメンに跪{ひざまづ}かれることなど生まれて初めての経験だったので、顔がじわっと赤くなった。
――あ、大丈夫です。ぼく、全然気にしないんで。
――でも……。
――それに、もう全部食べちゃいましたし。ね?
桃野は空になった皿を目で示し、小首を傾げる。それでも冴木は申し訳なさそうな顔を崩さない。桃野はなんとか彼に笑って欲しくて、急いで言葉を続けた。
――あの、ぼく一人暮らししてて、誰かにご飯を作ってもらうのって、本当にありがたいんです。普段、卵かけご飯ばっかりだから……。だから、ほんとに気にしないで下さい。美味しかったです、からあげ。中がジュワッとしてて、味が染みてて、白いごはんにぴったりでした。小鉢の大学芋も、ひじきの煮物も、おいしかったし……それに大根と油揚げのおみそ汁も濃さがちょうどよくて、まさに実家の味って感じで……。ホッとしたっていうか。だから、全部本当においしかったですので!
などと、突然謎の食レポを初めてしまった。
それを黙って聞いていた冴木は、ふいに硬い表情を緩めた。切れ長の漆黒の瞳をふっと細め、心底安堵したように微笑んだのだ。
――それは良かったです。あのみそ汁、俺が作ったんですよ。
――わあ、すごい。実家のような安心感でした! おいしかったですよ。
――ふふ……。お客さん、面白いひとですね。
今度は白い歯を見せて、はっきりと冴木が笑った。すると、近寄りがたい雰囲気が風船のように弾け、甘い色気が溢れ出す。それを感じた瞬間、桃野の胸はドキンとときめいていた。
……ひええ、格好良い……。
と桃野は思った。人生で誰かにキュンとしたのなど、初めてだった。
――これ、お詫{わ}びのプリンです。どうぞ召し上がって下さい。
ことり、と白いココットが置かれた。中には、生クリームとさくらんぼがトッピングされたプリンが入っている。甘い物が大好きな桃野は、きらきらと目を輝かせた。
――うわあ。おいしそう。ありがとうございます。でも、いいんですか?
――もちろん。また来て下さいね。
優しげに言われて、桃野はますますドキドキした。
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