春。彼女のバースデー

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春。彼女のバースデー

 君の誕生日、僕はいつものように職場の外で君が出てくるのを待っていた。少し高級な店を予約していたから僕は背伸びしてきっちりとしたスーツを着ていた。普段より窮屈に感じる首元とプロポーズの緊張に、そわそわと落ち着きなく何度もネクタイに手をやる。  やがてビルの透明な扉が多くの人を吐き出し始めた。佳乃はまだかな。彼女より先に僕が見付けて声をかけたい。そうしたときに少し驚く佳乃の顔が好きなんだ。  なのに彼女の姿は見付からない。見逃したんだろうか。こんなにたくさんの人がいるんだから。だけどそんなこと、今まででいちどもなかった。僕が佳乃の姿を見落とすなんて、そんなこと。  きっと仕事が忙しくて終わらないんだ。きっともうすぐ出てくるはずだ。そう思って僕は待ち続けた。だけど、しばらくしてメールをしても返信は来ない。電話をかけても彼女は出ない。いよいよ不安になったとき、ふとこちらを見ている女の人に気が付いた。見覚えのある背の高い姿を見返して、それが何度か佳乃と一緒にビルから出てきた人だと思い出した。確か、同じ職場の同僚だと聞いたことがある。僕は急いでその人のところへ走って声をかけた。   「あのっ、すみません」    突然話しかけられた女性は少し警戒するように僕をじっと見た。そうしてから納得したようにあぁ、と息を吐いていた。前原さんの、と続いて呟いた彼女に、僕はとてもほっとした。照れ屋な佳乃は僕のことを誰にも話せていないようだったが、一緒にいるところを見かけたことがあるのだろう。いつもこの場所で待ち合わせていて良かったと思った。  だけど良かったと思えたのは、この時までだった。彼女が告げたのは、正しく青天の霹靂というものだった。   「前原さん、退職しましたよ」
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