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第十二章【名前がついて】波浪
山瀬家にいった翌朝、私は一人で西弥生神社へ向かった。
私は賽銭箱に小銭を放って、隼人を気にかけてくれたことの感謝を心の中で妖鳥に伝えた。
「なんだ。今朝も来たのか」
参拝していると、背後から建辰坊の声がした。
「今朝は一人なのか」
拝殿を振り返ると、建辰坊はいった。
「うん。凪砂と朔馬は、さっき学校にいったよ」
それから私は昨夜山瀬家であった出来事と、妖鳥とアカナメが話している夢を見たことを建辰坊に伝えた。
アカナメと妖鳥が話している夢は、朔馬と入れ替わりが起きている時に見たものだった。おそらく朔馬が斬った思念と、アカナメの思念が混じり合って、そんな夢を見たのだろうと思う。
「そうか。妖鳥は参拝者の家で、アカナメと話していたのか」
建辰坊はいった。
「うん、困ってる隼人を助けたいと思ってくれたみたい」
「その家のアカナメは、そのままにしておいたのか?」
「うん。アカナメは害妖でもないし、無理に移動させる権利もないからって。それにアカナメが舐めるような、垢とか思念みたいなものは散らしたから、しばらくは隼人の部屋にはいかないと思うっていってた」
櫛から出てきた煙が隼人に向かったのは、思念が元の場所に戻ろうとした反応だったらしい。しかし人間が日々少しずつ蓄積している思念が、一度に戻ると毒になる。そのため隼人へ戻ろうとした思念は、朔馬が即座に散らしたのだった。
それでも隼人は多少その影響を受けてしまったらしく、裏庭では終始ぼんやりとしていた。そのため隼人は理玄に付き添われて家の中へと戻っていった。
「そうか。アカナメが居着いたままでも、その者の悩みは解決できたのだな」
「そうだね。アカナメが部屋にいかなければ、隼人の悩みは解決だからね」
「舐める垢もなければ、アカナメもそのうちどこかへいくだろうな。餌場でもないのに、なんの意味もなく、その場に居着く妖怪もめずらしい。だから妖鳥は、変わったものがいたといったのかも知れぬ」
建辰坊はいった。
「惰性で居着いてるだけかもって、朔馬はいってた。でもとりあえず問題は解決したから、その報告と、隼人を気にしてくれたことの感謝を妖鳥に伝えようと思ってここに来たの」
私はそういって、妖鳥がいるはずの巨樹を見つめた。すると建辰坊は「待っていろ」といって、羽根を広げた。そして建辰坊は昨日と同じく左肩に妖鳥を乗せて、境内に戻ってきた。
妖鳥に報告と感謝を伝えたかったのは事実であるが、私は先程の参拝でそれを済ませたつもりであった。しかし建辰坊の優しさがうれしかったし、それらを直接伝えられるのはありがたいことだった。
「昨日よりも、ずいぶん安定しているようだな」
建辰坊の左肩に乗せられた妖鳥はまだ眠っているらしく、両目を閉じたままだった
「今回の件、色々ありがとうございました。たぶん、解決しました」
私がいうと、妖鳥はぱっちりと両目を開けた。
「あ、起こしちゃった」
「うむ。問題ない」
建辰坊はそういうと、先日と同じようにしゃがんでくれた。私は妖鳥を撫でて「かわいいね」と再びいった。妖鳥は、気持ちよさそうに目を細めた。
「人間に慣れると、土地に慣れるのも早くなる。今の日本は、人間が多いからな」
「そうなんだ。じゃあ、たくさん遊びに来るね」
私がいうと、妖鳥は建辰坊の肩の上に乗ったままネコのように伸びをした。
「あれ。妖鳥じゃなくて、ネコなの?」
「顕現して間もないからな。アカナメの影響でも受けたのだろう。この姿から大きく変化することはないと思う。持ってみろ」
建辰坊はそういって、私に妖鳥を抱かせてくれた。
体の作りはいまいちわからないが、羽根の他にも四肢があるようだった。抱いている感触はネコである。
「妖鳥じゃないとしたら、なんて呼べばいいんだろう」
「名前をつけて、呼んでやるといい」
建辰坊はいった。
「私がつけていいの?」
「問題ない」
建辰坊はきっぱりといった。
「何がいいかな」
私はそういって、妖鳥を見つめた。
妖鳥も大きな目で、じっと私を見つめた。
「二人にも聞いてみる」
私は凪砂と朔馬に、妖鳥の名前は何がいいかと連絡を入れた。この時間ならば、二人はまだ電車の中なので返事もすぐに来ると思った。
案の定、すぐに返事がきた。
朔馬からは「ホロスケさん」と返事がきた。ホロモッケの名から思いついたのだろう。
その直後に凪砂から「メデカさん」と返事がきた。目が大きいから思いついたのだろう。
「この子の名前は、ホロメです」
私は二人案を安易に融合させて、妖鳥をホロメと名付けた。
「ホロメさんです」
私は力強くそういって、ホロメを建辰坊に掲げた。
それを見て建辰坊は「うむ」といった。
そして二人にも、ホロメと名付けたことを伝えた。
「名前がついてよかったな」
建辰坊がいうと、ホロメはこっくりと頷いた。
それからほどなく、朔馬から返信がきた。
「妖怪に名前をつけると、名付け親は主人になると思う。日本では違うのかな」
私はそれを読み上げた。
「日本でも同じだ」
「え」
「主人といっても名ばかりだ。お前には、なんの権利も責任もない。気にするな。ホロメはただ、好きなように生きていくだけだ」
建辰坊がそういったので、私はほっとした。私は生き物を飼った経験がないので、それらとの距離感とか、自分に課せられる責任の重さとか、そういったものに関してはまるで無知である。
しかし腕の中にいるホロメを見ていると、飼い主とか、主人とか、そんな肩書きとは無関係に、愛着のようなものはわいてしまうのだろうと思った。
帰りたい。
そんな気持ちでネノシマを見つめ続けた瑠璃丸も、自分の置かれた状況や肩書きとは無関係に、この土地にそんな感情を抱いてくれたのかも知れなかった。
「ホロメが、ネノシマにいくこともあるのかな」
私はネノシマを見つめて、ぽつりといった。
ネノシマは本日も優然と、きらきらと光る海に浮かんでいる。
「そういうこともあるだろう。本来は何者も、どこにでもいけるのだからな」
どこにでもいける私たちは、これからどこへ向かうのだろう。
そしてその先には、なにがあるのだろう。
そんなことに思いを馳せても、ここを離れる自分をうまく想像できなかった。
それでもいつか、ここを離れる時が来るのだろうか。
もしそんな日が訪れるとしても、それはずっと遠い未来のように思えた。
【 了 】
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