第二章【独特な模様】波浪

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第二章【独特な模様】波浪

 本日も、今年の最高気温を更新するらしい。  白桜高校進学部に通う凪砂と朔馬(さくま)は、夏休み中も毎日午前授業がある。二人が帰宅する頃はだいぶ日も高く、少し外を歩いただけでも汗が吹き出すような暑さである。  二人は帰宅すると、順番にシャワーを浴びる。そして二人がシャワーを終えると、私たちは用意された昼食を食べ始める。  本日の昼食はやきそばである。三人でやきそばをもそもそと食べていると、テーブルに置いたそれぞれの携帯端末が同時に振動した。 「全員のが振動してたよな。理玄(りげん)かな」  凪砂はいった。 「理玄だと思う」  私はいった。 「理玄だね」  朔馬は携帯端末の通知を見ていった。  私たちは妖怪やそういうものが見えるので、雲岩寺の僧侶である理玄にバイトとして雇われている。しかし決まった時間にバイトに出向くわけではない。こうして連絡が来た時に、バイトにいくという感じである。 「夏になるとお祓いの依頼が増えるっていってたけど、本当に多いんだな」  凪砂はいった。 「でも今回のバイトは、そういう感じではないみたいだよ」  朔馬は携帯端末を見つめながらいった。  それから私たちはそれぞれ、理玄からの連絡に目を通した。  理玄のバイトの内容は、簡潔にいえば境内の清掃を手伝って欲しいとのことだった。  昨日の激しい夕立によって、雲岩寺の境内は落ち葉や木の枝が散乱している状態らしい。その片付けに難儀しているので、暇があれば手伝いに来て欲しいとのことだった。 「お祓いがなくても、お盆近くは棚経(たなぎょう)卒塔婆(そとば)書きで忙しいんだっけ。手伝いにいこうか」  凪砂がいったので、私は「うん」といった。 「俺は所用を済ませてから雲岩寺にいこうかな。あ、でも、雲岩寺が先でもいいかな」  朔馬はそういって、口をもぐもぐさせながら思考を巡らせているようだった。 「所用って、妖怪関係?」  凪砂が聞くと、朔馬は「うん」と頷いた。  朔馬は高校一年生の五月という、少し変な時期に凪砂のクラスに転校してきた。  そしてちょっとした事件があり、朔馬は我が家に住むことになった。それは六月になってすぐのことである。  それから少しして、朔馬は逃げてしまった(ぬえ)を討伐するために、ネノシマから日本へやって来たという事実を知った。驚きはしたものの、私はその事実をあっさり受け入れた。むしろネノシマはやはり存在するのだなと、妙な安心感さえ得たように思う。  朔馬が我が家に住むようになってからは、妖怪と出会ったり、ネノシマを行き来したり、そんな出来事が当たり前になっていた。  朔馬が非日常を連れてきたというよりも、新しい日常を連れてきたという感覚である。 「妖怪関係というか、瑠璃丸(るりまる)結高(きだか)の件だよ」  想像していなかったので、私と凪砂は「え」と間抜けな声を出した。  瑠璃丸はネノシマの結界によって日本まで弾かれた、呪いを背負ったキジである。しかし先日、瑠璃丸の飼い主である巣守(すもり)結高はその呪いを解くことに成功した。そして私たちはほんの少しだけ、その手伝いをすることができた。  呪いが解かれた瑠璃丸は現在、ネノシマの辰巳(たつみ)の滝という場所に一時的に身を寄せている。そして結高が、迎えに来るのを待っている。  結高は瑠璃丸の呪いを解く際に、ひどい重傷を負った。結高は現在も治療中で、満足に動けないようである。そのため瑠璃丸は今もなお、結高の元へ帰れていない。  だからこそ瑠璃丸の件は、私たちにとって気がかりな案件の一つであった。 「昨日の夜、結高から連絡が来てたんだ。なんとか動けるようになったから、瑠璃丸を引き取りにいきたいって」  朔馬はいった。 「そうなんだ。それは、よかった」  凪砂はほっとした様子でいった。私も同じ気持ちであった。 「これから結高に会って、瑠璃丸を渡すの?」  私はいった。 「ううん、直接は会わないよ。瑠璃丸を隠している場所と、そこに張った結界の解除方法を返事に書いて送ったんだ。だから結高は、勝手に瑠璃丸を回収すると思う。お互いのためにも、顔を合わせない方がいいと思うし」  朔馬はネノシマでは雲宿(くもやど)という組織に所属しており、それは日本でいう公務員のようなものらしい。そして結高は、雲宿と敵対する岩宿(いわやど)という組織に所属している。だからこそ結高は、日本にいる朔馬に「瑠璃丸の呪いを解く手助けをして欲しい」と、個人的に接触してきたのだった。  朔馬と敵対する組織に身を置く結高のことを、私たちは少なからず警戒していた。しかし実際に結高と会った今では、そういう気持ちは霧散していた。組織同士がどんな関係であっても、それは朔馬と結高個人には無関係なのだと理解できたからだった。  しかし二人が敵対する組織に身を置いていることは、変えようのない事実である。だから朔馬は、必要以上に接触しない方がいいと判断したのだろう。 「ちょっと味気ないけど、その方がいいのか」  凪砂がいうと、朔馬は「そう思う」といった。 「結高はすでに瑠璃丸を回収したとは思うんだけど。一応、様子を見てこようかなと思って」 「これから辰巳の滝へいくってことだよね。俺もいきたい。雲岩寺にいくのは、それからにしよう」  凪砂がいったので、私もそれに便乗した。  朔馬は「いいよ」と即答した。 ◆  ネノシマにいく前に、西弥生(にしやよい)神社へいきたいと朔馬はいった。  西弥生神社は我が家の近所にある神社であり、瑠璃丸の呪いを解いた場所でもある。 「建辰坊(けんしんぼう)に会いたかったんだけど、いないみたいだな」  長い石段を上って境内を見渡せど、建辰坊はいなかった。 「一応、呼んでみようかな」  朔馬はそういうと、賽銭箱にお(さつ)を放った。私と凪砂はその後ろで、無言で視線を合わせた。私たちの金銭感覚では、お札を賽銭箱に放ることはあり得ないからである。朔馬の金銭感覚がおかしいと思ったことはないが、お賽銭についてだけは例外である。  しかし朔馬はそんな私たちに気づく様子もなく、いつものように拝殿の鈴を鳴らした。それから柏手を打って、両手を合わせて目を閉じた。そして私たちも、両手を合わせて目を閉じた。  そうしていると、ぬるい風が背後から流れてきた。 「ずいぶん金払いがいいな。なにかあったのか」  振り返ると、建辰坊が境内に降り立ったところであった。  建辰坊は烏天狗の姿をしているが、顔は和紙で隠されている。朔馬いわく、神様はみんなこうして顔を隠しているらしい。  朔馬が「昨日の夜、結高から連絡があったんだ」と話し始めると、建辰坊は「うむ」と話を聞く姿勢になった。 「そうか。あのキジはようやく、主人の元へ帰れるのだな」  瑠璃丸はネノシマの結界に弾かれてから数百年もの間、西弥生神社の巨樹で羽根を休めていた。  その数百年の間に、建辰坊と瑠璃丸の間に何があったのかはわからない。しかし永く同じ場所にいたことで、愛着のようなものはあるのだろう。 「できるだけ早く、建辰坊にそれを伝えたかったんだ。今からネノシマにいって、瑠璃丸が無事に結高の元へ帰れたのかを確認してくるよ」 「そうか。聞けてよかった。礼をいう」  建辰坊はまっすぐにいった。  それから建辰坊は「少し待っていろ」といって、黒い羽根を広げて上空へ飛び立った。瑠璃丸がいた巨樹へ向かったかと思うと、建辰坊はすぐに私たちの元へと戻ってきた。 「もし叶うなら、これをあのキジに渡してやってくれ」  建辰坊は三十センチほどの木の枝を朔馬に差し出した。それは瑠璃丸がいた巨樹の一部であることは明白であった。 「不本意だったとはいえ、永くいた場所だ。懐かしく思うこともあるかも知れぬ」 「わかった。ありがとう」  朔馬はそういって、それを受けとった。  瑠璃丸にとって日本での数百年は、どんな日々だったのか想像もつかない。しかし建辰坊のいうように、少しでも懐かしむことがあればいいなと思う。  それから私たちは建辰坊に見送られながら、ネノシマへと向かった。 ◆  ネノシマには何度かいっているが、その方法は何度経験しても非科学的である。  朔馬は雲宿では桂馬(けいま)という役職に就いている。その役職特権である桂馬の(じん)で、日本からネノシマへいくことが可能である。朔馬が虚空に桂馬の陣を書くと、そこにはぽっかりと真っ白な空間が現れる。  朔馬に手を引かれてその空間に足を踏み入れると、そこはもうネノシマの辰巳の滝である。  辰巳の滝は雲宿の領地でも、岩宿の領地でもない。さらには辰巳の滝には気性の荒い水神(すいじん)がいることで有名なので、ここで揉め事を起こす者はいないとされている。そのため朔馬は、初めて結高と会う場所を辰巳の滝に指定した。それ以来、結高との待ち合わせ場所は辰巳の滝になっている。 「念のため二人は、これを羽織ってて」  朔馬はそういうと銀幽(ぎんゆう)にもらった、とても薄い羽織りを渡してくれた。これを羽織っている間は、周囲の者には「銀幽の式神」としか認識されないという代物である。銀幽は朔馬と同じく雲宿に所属しており、銀将(ぎんしょう)の役職につく者である。  雲宿の正装は、ワイシャツに(はかま)という格好である。  そのため私たちは「それっぽく見えるから」という理由で、ネノシマに行く際にはワイシャツに黒のワイドパンツを身に着けている。しかし間近で見られた場合、私たちが袴を穿いていないことは一目瞭然である。それは朔馬も同様であるが、朔馬自身は自分がどんな格好をしていても、それほど問題はないといっていた。朔馬が変な格好をしている以上に、ネノシマの者でない私たちが変な格好で目立ってしまう方が問題なのだろう。  私たちが銀幽の羽織りを身につけた後で、朔馬は大きな木のふもとに立った。そして右手の人差し指と中指を立てて、何かを詠唱した。すると空間が微かに揺れて、瑠璃丸が姿を現した。 「あれ、瑠璃丸だ」  朔馬はいった。 「結高は、まだここに来てないってことか。それとも結界の解除ができなかったのかな」  凪砂はいった。 「まだ来てないんだと思う。岩宿の金将(きんしょう)が、この結界を解除できないはずはないから」  現在は午後一時半頃なので、結高がまだ瑠璃丸を迎えに来ていなくても不自然ではないように思った。  それから朔馬はその場にしゃがんで、瑠璃丸にそっと触れた。  呪いが解かれた瑠璃丸は、今も眠ったままである。しかし石になっていた頃に比べると、生気に溢れているように見える。 「全然、動かないね。でも、眠ってるだけなんだろ」  凪砂は瑠璃丸を見つめていった。 「うん、眠ってるだけだよ」  朔馬が瑠璃丸を腕に抱くと、凪砂は静かにそれに触れた。凪砂が手を離した後で、私も瑠璃丸に触れてみた。触れた先から瑠璃丸の鼓動と体温が微かに伝わってきた。 「元気そうだね」  私がいうと、朔馬は「うん、本当に」といった。 ◇  私たちが瑠璃丸と触れ合っていると、背後で妙な気配がした。  朔馬もすぐにその気配に気づき、瑠璃丸を腕に抱いたままで私たちをかばうように一歩前へ出た。  直後、妙な気配がする辺りから真っ白い空間がぽっかりと出現した。  そしてその白い空間からは、包帯だらけの男が姿を現した。  巣守結高、その人である。  結高は岩宿の金将という役職に就いているので、朔馬と同じくその役職特権を使ってここへ来たのだろう。  結高は辰巳の滝に誰かがいると思っていなかったらしく、一瞬だけ警戒する様子を見せた。  しかし朔馬が「こんにちは」と声をかけると、結高もすぐに「こんにちは」と挨拶を返した。式神に見えているはずの私と凪砂も、結高に頭を下げた。 「瑠璃丸が無事に帰れたのか、様子を見に来ていたんだ。まさか結高に会えるとは思わなかった。動いて大丈夫なのか」  朔馬はいった。  結高は片腕を三角巾で吊っており、その別の腕で松葉杖をつき、どうにか立っている状態であった。そして素肌が見えないほどに、全身に包帯が巻かれていた。結高は三十代前半とは聞いているが、顔にも包帯を巻かれているので完全に年齢不詳の包帯男という感じである。 「はい。熱も下がりましたし、今は痛み止めも効いているので。なんとか動けます」 「本当に、なんとか動いてる感じだな。まだ絶対安静の時期だろ」  朔馬は垂直な感想を述べた。  結高はなぜか少し恥ずかしそうに「ええ、そうなんです」といった。 「しかし熱と痛みにうなされる中で、何度も瑠璃丸の夢を見ました。だから一刻も早く、迎えに来てやりたかったんです。午前中にここへ来るつもりでしたが、こんな時間になってしまいました」  結高はいった。 「でもその状態で瑠璃丸は持てないだろ。なにか、入れ物でも持ってきたのか」  朔馬は冷静にいった。 「はい。瑠璃丸は一時的に、この風呂敷に入ってもらおうかと」  結高は(ふところ)から、もぞもぞと風呂敷を取り出した。  朔馬は「貸して」といって、その風呂敷を受けとった。そして朔馬は器用に、その風呂敷に瑠璃丸を包んだ。瑠璃丸の首元から上は風呂敷から出された状態で、さらには結高が持ちやすいようにと持ち手も作られていた。つまりは風呂敷の手提げに瑠璃丸が入っている状態であった。 「こっちの手で持てるか?」  朔馬はそういって、三角巾で吊るされた方の結高の手に風呂敷に包まれた瑠璃丸を持たせた。  結高は瑠璃丸を受け取ると「本当に、ありがとうございます」と、深く響く声でいった。そして可能な範囲で頭を下げた。  朔馬はそれを見て「うん、よかった」といった。 「そういえば、預かってきたものがあるんだ」  そして朔馬は、建辰坊から受けとった木の枝を出した。 「これは、瑠璃丸が永くいた巨樹の枝だよ。懐かしむこともあるかも知れないからって、神社の主が渡してくれたんだ」  朔馬は木の枝を、瑠璃丸を包んだ風呂敷に丁寧に差し込んだ。 「これは、ネノシマにもある木ですね。瑠璃丸は数百年もの間、この木にいたのですね」  結高は感慨深そうにいった。  それから結高は再びもぞもぞと、自らの懐を探った。そして和紙に包まれた細長い何かを取り出し「これを、どうか」と、朔馬に渡した。 「それは岩宿の領地にしか生息していない、ホロモッケという妖怪の羽根です。ホロモッケは大変貴重で、とても縁起のいい妖怪です。その羽根は我が家では、お守りとして代々受け継がれてきました」 「ホロモッケか。名前だけは聞いたことがあるな」  朔馬が「見てもいい?」と聞くと、結高は「もちろんです」と返答した。  和紙から出てきた羽根は、独特な模様をしていた。 「その羽根を、神社の主にお渡ししていただけないでしょうか。あの夜に場所を貸していただいたことも、先程の木の枝のことも、本当に感謝しているとお伝え下さい」 「でも大事なお守りなんだろ? いいのか」  結高は「はい」と頷いた。 「お守りといっても、瑠璃丸が無事に帰ってくるようにと願いが込められたものです。その役目は、今終えました。あの神社の主の手に渡るのなら、本望です」 ◇  日本へ戻ると、建辰坊は拝殿の屋根で昼寝をしていた。  しかし私たちに気づくと「なんだ、早かったな」と、寝ぼけた感じで境内に下りてきた。 「瑠璃丸は無事に、結高に返せたよ。結高は想像以上に重傷だったけどね。二ヶ月もすれば、ほぼ完治すると思う」  朔馬はいった。 「生きているだけでも、僥倖(ぎょうこう)だろう」  建辰坊はいった。 「そう思うよ。これ、結高から預かってきた。この場所を貸してくれて感謝してるって」  朔馬はそういうと、結高から預かった羽根を建辰坊に渡した。 「これは、ホロモッケの羽根か。ずいぶん貴重なものだな」  建辰坊は朔馬から受けとった羽根を、興味深く見つめた。 「瑠璃丸が無事に帰ってくるようにと、願いが込められたお守りだったらしい。建辰坊に渡してくれって」 「そうか。ならばこれは、キジがいた場所に置いておくことにしよう」  建辰坊はそういうと、羽根を広げて巨樹の方へと飛び立った。  建辰坊のその姿を見て、瑠璃丸は本当に主人の元へ帰ったのだなと実感した。  あの底の見えないような真っ暗な夜が、ようやく終わりを告げたように思った。
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