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暫く、日下さんは俺の思いに応えるかのようにふっと優しい顔で微笑むと、すっと傘の中に入ってきた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
傘の淵を避けるようにこちらへやって来た彼の猫毛がふわりと靡き、俺の肩に触れそうになった。
栗色の柔らかそうな髪。俺より僅かに白い肌。綺麗なその目は、色気さえ感じるタレ目。
この人、絶対にモテると思う。相当綺麗だ。背も高いし……もしかしてモデルとかじゃないよな? まさか俺の方が知らなかったとか、そういうパターン? いや、それはマズイな。
けど、その不安は日下さんも同じだったらしい。
「あの……、いや。背、お高いですね」
俺とよく似たことを考えている。もしかして同じことを考えているのかもしれない。
「僕、久しぶりに出会いました。こんなに背の高い人」
久しぶり? となるとこの人はモデルじゃない。モデルだったらこれくらいマジ普通だから。
「もしかして……モデルさん、ですか?」
そらみろ、同じ事考えてた!
ていうか、もうこの時点で、完全にアウトだな。彼は俺を誰か分かってないってことだ。
「いえ、まさかそんなわけないですよ」
そうかそうか。俺のことを知らないなら、アイドルだってことは隠し通そう。自ら、僕芸能人なんです、なんて口が裂けても言えないし、日下さんだって気を遣うだろう。知らなくてごめんなさい、なんて謝られるのもまっぴらごめんだ。無駄に傷ついて終わりじゃん。
「バスケしてるんで、背が伸びたのかもです。ま、元々小さくはないですけど」
「あっバスケなさるんですか? 僕もです!」
弾んだ声を出し、彼はやはり躊躇わずにこちらに顔を向けてきた。
一八〇センチを超えた大男達が狭い傘の中にいるというのに、この人はそれをまるで窮屈だなんて思っていないみたいだ。
「そうなんですか? 奇遇ですね! 今もされてるんですか?」
少しだけ身を引いて日下さんを見ると、彼は「まさか」と言わんばかりの笑みをこぼした。
「もう何年もしていませんよ。体もなまっちゃって。せっかく隣にフープがあるのに」
日下さんの住むアパートの隣にはバスケットのフープがある。幼い頃よくそこで友達と遊んだ。住宅街の中にあるがあまり人気のないフープで、いつでも貸切状態だったのを覚えている。
「はは! 仕事されてるとそう簡単に時間取れませんもんね」
「そうなんですよ。地元も離れているので、学友たちとアフター五を、ということもなくて」
まぁ、そんなことを言ってしまえば俺もないんだけど。中高とバスケをしていたけど、高二の時にcodeとしてデビューしたから、その後はなかなか部活にも行けなくて、高校の時の部活仲間とはほとんど疎遠だ。地元の友人達とは今でもよく遊ぶけど、バスケをしようという流れにはなりにくいし。
ま、妹に付き合ってやるくらいがボールに触れられる機会だろうか。
「もっとも、そう簡単に定時では帰れないんですけどね」
苦笑した日下さんだったが、「でも」とすぐに声を弾ませる。
「今日は珍しく定時です」
嬉しそうな声、顔。
「おめでとうございます」なんてふざけて返事してやると、日下さんは「へへっ」と人懐こい笑顔を見せた。
本当に綺麗に笑う人だ。
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