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第1話 マムと呼ばれる女
「…から!ギリ間に合ってたって言ってんの!」
グランフェス地方のとあるスーパーのレジ。鬼の形相で怒鳴っている中年の女性オークがいた。
そして、レジ台を挟んでその客のオークに平謝りしている女性。
「も、申し訳ありませんが…もう…」
彼女はかれこれ4年近くこのスーパーでとして働いているパートだった。
御歳41歳。黒く長い髪は後ろで括られ、化粧気はなく必要最低限のメイクのみを施した中年女性だが、褐色の肌に品のある顔立ちで所謂“美魔女”と呼ばれるに相応しい容姿だった。
それもそのはず。彼女はダークエルフとアルラウネという女性型植物種のハーフで、いずれも美形と名高い種族だったのだ。
「マムログボットさん、また怒鳴られてる」
禍中の前後のレジでは同じパートの店員がその様子を興味深そうに見ている。
今まさに客から叱責を受けているのがマムログボットと呼ばれる女性、フロラ・マムログボットだった。
ひたすら平謝りするフロラの元に、スーパーの正社員である50代ほどのリザードマンが謝罪と共に駆け寄ってきた。
「申し訳ございません!!!ワタクシ上司のアラン・ハーパーと申します!うちの従業員が何かしましたでしょうか!?」
「このオバさん、タイムセール1分過ぎたとか言って高い値段で物売ろうとしてるのよ?私が来た時はギリギリセーフでしたぁ!!」
「たいっへん申し訳ございません!!でしたらセールの値段でお会計いたします!」
するとリザードマンのハーパーは肘で軽くフロラの腕を小突くと小声で謝罪を促した。
「ほらマムログボットさん、謝って…!」
その言葉通りフロラは深々と頭を下げた。
「大変申し訳ございませんでした」
「全く……考えられないわ!!」
そう吐き捨てると女性オークはレジの小銭台にクレジットカードを投げ置いた。
「ありがとうございます、一括でいただきますねぇ…」
ハーパーが申し訳なさそうに小声でカードを切る。
「大変申し訳ありませんでした、ありがとうございました」
会計を終えてレジ台を去っていく女性オークの背を見ながら、フロラとハーパーは再度深々と頭を下げた。そしてハーパーは頭を下げながらフロラに問う。
「数秒超えてたんだね?」
フロラは静かに答えた。
「はい」
「規則を守ることは大事なのは分かるけど、ここはただのスーパーだよ。もう少し柔軟に対応してもいいんじゃないかな?」
「はい、申し訳ありません」
フロラの声は機械的で感情は感じられなかった。
「10分前だけど、今日はもう上がっていいよ」
「ありがとうございます」
フロラは頭を下げると従業員用のエプロンを取ってその場を後にした。
こういったことは初めてではなく、何度もあった光景だった。融通の効かないフロラに客がブチ切れし、ハーパーが割って入り、その流れで早上がりする。今回は10分前だったが、中には1時間前、2時間前もあり、来て数分で、ということもあった。
そのため同じパートの主婦層ではもっぱら“ハーパーとマムログボットはデキている”という噂が上がっていた。
また彼女は無口で機械的な口調から気味悪がられており、お世辞にも馴染んでいるとは言い難かった。
フロラは売り場からバックヤードに入る従業員扉の前で振り返ると一礼して、バックヤードへと入っていった。
フロラは更衣室に向かう前にトイレへと直行する。一目散に個室へと入ったフロラ。俯いて両拳を握る。
「…タだって……うが…」
彼女は小声で何かを呟いた。
そして震えながら深呼吸すると、さっきの倍ほどの声で吐き捨てた。
「アンタだってオバさんだろうか!!」
その時だった。右耳の裏につけていた極小の脳波イヤホンが振動する。周りから見ればホクロにしか見えないそのイヤホンをフロラは押して通話を開始する。
「あぁん?なに!?」
通話しているものの彼女の口は動いていない。考えたことが脳波となって相手に伝わるのだ。
『ちょっと!マムなんか怒ってるんすけど!』
男の声は若干遠い。おそらくあちらは口頭通話にしているのだろう。
「怒ってませんけど」
フロラは威圧的にそう答えた。彼女の顔は真顔だった。
聞こえないようにしたつもりだった男はその言葉にわかりやすく動揺している。
『マ、マム、いつになったら来るんです!?』
電話口は少し怯えた男性の声。彼女がよく知る声。彼女の部下だ。
「今日は11時まで仮職って言ったでしょ?シフト変わったの」
『ロウさん、俺変わりますよ』
先程とは違う若い男の声が電話に割り込んでくる。
『マム、どうせレジ打ちのセンスないんですから早く来てください』
「ほっときなさいよ」
『新しい件入りましたんで。急ぎのやつです』
「着替えたらすぐ行くわ」
通話を終えるとフロラは更衣室へと急いだ。
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