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週末、久しぶりに実家に帰った。お正月は浩平の方の実家に一緒に行っていたから、いつぶりの帰省だろうか。確か去年はお盆も帰らなかった気がする。玄関を開ければ嗅ぎなれた実家の匂いがして、なんとなく心が落ち着いた。 「いつ帰るの?」 「うーん、今日中には。」 「ええ、泊ってけばいいのに。」 「・・・明日、ちょっと予定があって。」 ふーん、と母が洗濯物を畳みながら不服そうにため息をつく。別に予定はないんだけど、なんとなく泊まる気にはなれなかった。少しの罪悪感を感じながら、母が作ってくれたお雑煮を啜る。お正月に余ってしまったお持ちの処理係だ。 「・・・お兄ちゃんは?よく帰ってきてるの?」 「うん。先週も茉奈(まな)ちゃん連れて帰ってきたわよ。」 「あれ茉奈ちゃんいくつになるんだっけ。」 「もうすぐ3歳。可愛くてしょうがない。」 「お母さん、あんまりちょっかい掛け過ぎないようにね。」 「分かってるって。お節介おばあさんにはならないようにしますよ。」 はいはい、と母がしかめっ面をするから思わず笑ってしまった。兄はもう既に結婚していて、奥さんと2人の子供と一緒にこの近くに住んでいる。長女の茉奈ちゃんが3歳で、妹の比奈(ひな)ちゃんは数か月前に生まれたばかりだ。抱っこさせてもらったけど、落としてしまいそうで心配で心配であまり記憶がない。 ダラダラとコタツでスマホをいじっていれば、すぐそばに年賀状の束が見つかった。今年送られてきたものだろうか。寝転がったまま上から見ていけば、数枚目で綺麗な振り袖姿が目に入る。 「ああ、それ。平沢(ひらさわ)さん所の(ひとみ)ちゃん。今年成人式なんだって。」 「へえ、綺麗だねえ。あの辺の地区は1月にやるんだね。」 「そうね、少し都会だもんねえ。」 私の実家がある地区の成人式は夏だ。お盆に式があるから、服装は振袖ではなく浴衣。県外の大学に進学してから皆は1月の成人の日付近で成人式を行うと聞いて、少し驚いてしまった。まあそれはそうか。こっちが少数派なのか。いつの間にか洗濯物を畳み終えた母が隣に座っていて、一緒にお茶をすすりながら年賀状を眺める。そういえば、と母が笑った。 「アンタせっかく浴衣着付けたのに成人式でなかったよねえ。」 「・・・ごめんって。行く前に友達と盛り上がっちゃって。その子が出ないって言うから。」 「はいはい。野々花ちゃんと香苗(かなえ)ちゃんね。別に責めてないわよ。不意に思い出して。」 嘘だ。2人ともちゃんと成人式に出席していた。そんな小さな嘘を母が今でも覚えていることに少し驚いてしまった。気になって横顔を盗み見たけど、特に変わった様子もなく年賀状を眺めているから本当に不意に思い出しただけの様だった。そのまま2人でコタツに入っていれば気づけばあたりが暗くなってきていて、慌てて2人で夕飯の買い出しに出かけた。 もう何年前のことになるのだろう。成人式当日、私は本当は1度会場に足を踏み入れていた。 『・・・藍?』 その日は、清々しいほど晴天だった。まだ朝の9時頃なのに強い日差しが照っていて、浴衣の中が蒸し暑い。都会の大学に進学していた私は、成人式に参加するために少し前から地元に戻ってきていた。母のおさがりの浴衣を祖母に着付けてもらって、成人式が開かれる近くの公民館に向かっていた。近所の人は皆知り合いのような田舎で、人に会うたびに話しかけられて少し疲弊していた。よし、丁度くらいに着きそうだ。公民館はすぐ近くに見えていて、入り口付近に人が集まっているのも視界に入った。少しドキドキしながら敷地内に足を踏み入れた、瞬間に少し遠くに人影が見えた。黒いキャップに黒い半そでのワンピースに身を包んだその人になぜが視線が奪われてしまって、足が止まる。彼女は少し遠くから公民館を眺めていて、そのままくるりと背を向けて歩いていく。その後姿が、風に揺れるスカートが、記憶と重なった。 気付けば私は公民館とは反対方向に走り出していた。浴衣の裾をまくり上げて、下駄をならしながら走る。走って、黒いワンピースを視界に捉えた。彼女が振り向く前に、後ろから名前を呼ぶ。 『・・・っ藍!!』 『・・・・・・里紗、ちゃん?』 振り向いたその顔は、記憶の中の彼女よりも大分大人びていた。当然か、最後にあったのは中学生の時だ。大人びていて、そして痩せていた。ううん、やつれているように見えた。突然の再会に私はそこから何と言えばいいか分からなくて、きっと彼女も同じだったのだろう。しばらく見つめ合ってしまう。セミの大合唱と、燃えるような日差しと、出会った日と同じ真っ黒の瞳と。気づけば私は、彼女の手を取っていた。 『えっ・・・ちょっと・・・里紗ちゃん!?』 『いこ!!』 戸惑う藍の手を取って、走る。どこに行きたいのかも分からなかったけど、でもここにはいたくないと思った。下駄が擦れていたくて、途中で脱ぎ捨てた。最初は戸惑っていた藍も気づけば笑っていて、私の裾を一緒にまくり上げてくれた。何が可笑しいのか分からずにケラケラと笑い合いながら、走った。汗が滴って、体力が限界で、途中で速度を緩める。お互いにボサボサになった髪の毛を見て、また目を見合わせて笑った。 近くの自動販売機でジュースを買って、近くの公園のベンチに腰かける。日陰に入れば多少暑さは和らいで、何から話せばいいのかも、何を話したいのかも分からないまま、しばらく無言のまま2人で真っ青な空を見つめた。 『こっち、帰ってきてたんだ。』 『うん。今日だけなんだけど。おばあちゃんに会いに。』 『そっか。』 また沈黙が落ちる。けれど不思議と気まずいという感情は無くて、まるで中学生の時に戻ったようだった。あの時も私たちは2人でよく並んで座っていた。2人だけの世界で、人生を呪っていた。 『私、今日成人式があるって知らなくて。』 『そうなんだ。』 『散歩しててたまたま見つけたの。里紗ちゃん、浴衣綺麗だね。』 『・・・ありがとう。もうこんなにグチャグチャだけど。』 そう言って裸足の足を上にあげれば、藍はぷっ、と吹き出して笑う。笑うからわたしもまた吹き出してしまった。浴衣で大ダッシュって、なにやってるんだろう。髪も顔もボロボロだけど、でも藍の前だと別に恥ずかしくもなんともなかった。藍は藍でワンピースの色を変えてしまった背中の汗を私に見せて笑う。そのまま二人で近くのコンビニに寄って、アイスを買った。たまたま近くを歩いていたおじいちゃんに「今日は夏祭りかい?」なんて声をかけられたか大きく頷いておいた。アイスを食べながら、2人で海岸沿いの道を歩く。藍が言ったのだ、海を見に行きたいと。海に面しているこの街は、少し歩けば海に出る事ができる。近づけばすこし風が強くなってきて、今の私たちには心地よかった。 浜辺ではなく、海を眺めることが出来る展望台の方へと向かった。展望台は海崖の近くに立っていて、そこはサスペンスドラマに出てきそうな崖で海が綺麗に見えると有名な観光スポットでもある。2人でゴツゴツとした岩に腰かけた。波が岩にぶつかる音が聞こえてきて、心臓が揺れる。何も話さず、しばらく2人で崖の下の海を見つめていた。 不意に、藍が立ち上がる。 『・・・藍?』 藍の視線は海へ向かっていた。また空洞の瞳だ。私の呼びかけに答えることは無く、彼女は一歩ずつ海の近くへ向かっていく。 『藍!!!』 止めようとした私の手を振り払って、藍はもう一歩前へ進んだ。それ以上進んだら、私が声に出す前に、藍がゆっくりと話し出す。 『里紗ちゃん。日記、覚えてる?』 『・・・うん。』 『・・・私ね、気づいちゃったの。そんな殺人鬼に出会う確率なんてほぼゼロに近いし、ていうか私可愛くないから。ターゲットにもされないかなあって。』 『何言ってんのアンタは可愛いよ。ってそうじゃなくて。 ねえ藍、戻ってきて。』 ふふっ、と藍が笑う。風が強く吹いて、彼女のスカートと私の浴衣の裾を揺らす。不意に彼女は私の方を振り向いた。 『私、私ね。事件になって死ねないなら。皆の記憶に残れないなら。』 『せめて、大好きな人に殺されたい。』 藍は泣いていた。笑って泣いていた。涙をこぼしっぱなしにしながら、私に笑いかける。その口が動いたけど、海と風の音に消されてしまった。でも私には口の動きだけで分かった。ねえ、里紗ちゃん、お願い。 『私の事、殺してよ。』 はっ、と心臓が掴まれたような感覚で目が覚めた。頭が整理できていないままキョロキョロと辺りを見回して、隣でスヤスヤと眠る浩平を見つける。いつものベット、いつものカーテン。そうだ、昨日の夜実家からアパートに戻ってきたんだ。時計を見ればまだ夜中の3時過ぎで、ゆっくりと起こした体をまた元に戻した。まだ心臓がドキドキしていて、起こさないように浩平の胸元へ入り込む。ん、と彼が声を漏らして、まずい、起こしてしまったか。 「・・・里紗?」 「・・・ごめん、起こしちゃった?」 「・・・・・・んーー・・・。」 寝ぼけているのだろうか。一度私の名前を呼んだきり、またスヤスヤと寝息を立て始めた。けれどその手はしっかりと私を抱きしめ直してくれていて、その体温に安心して私もすぐにまた眠りに落ちてしまった。夜は苦手だ。でも、浩平と一緒に暮らすようにになってからは、その苦手意識も少しだけ和らいだ。人の呼吸音はこんなにも安心するものなのだと、初めて知った。
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