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「聞いてよ!ほんとありえないの!!」 飲み物を注文し店員さんが机から離れた瞬間、野々花が堰を切ったように話し始める。その眉間にはシワが寄っていて、内容は予想通り旦那さんの愚痴だった。シンクの水ハネを何度言っても拭かない、ポケットにティッシュを入れたまま洗濯物を出す、飲み会から帰ってきた後に酔っ払って子供たちを起こそうとする。などなど。帰る頃には彼女の声は枯れているんじゃないだろうか。 久しぶりに、野々花がこっちまで遊びに来てくれた。前会った時は下の子の(みお)ちゃんが産まれる前だったから、1年くらい前だろうか。彼女の隣では澪ちゃんがベビーカーの中でスヤスヤと眠っていて、思わず顔が緩んでしまう。上の子は今日はお義母さんが見てくれているらしい。 「ていうかまず2世帯住宅にするなんて聞いてなかったからね!一緒に暮らすつもりなんてなかったのに。」 「え、そうなの?」 「そうだよ。私に相談もせずに勝手に向こうで話が決まってたみたい。お義母さんも悪い人じゃないんだけどなーーんか嫌味ったらしくて。」 今度はお義母さんへの愚痴へと移る。どうやら子育てへの口出しがすごい様で、彼女の眉間のシワはどんどん深くなって言った。 ひと通り愚痴を話し終えて、コーヒーフロートのアイスを潰しながら野々花はため息をつく。 「ごめんねえ久しぶりに会ったのに。こんな話ばっかりで。」 「全然。私でよければいつでも話してよ。お世辞じゃないからね。」 私の言葉にありがとう、と笑った彼女は少し疲れて見えた。大変だなあ、と心配になる。それでも彼女はベビーカーの中で眠る澪ちゃんを愛おしそうに見つめた。 「里紗のところは?仲良くやってる?」 「やらせてもらってますよ。」 「それは何より。結婚は?まだ?」 「うーん。まだかなあ。」 そう、と頷きながら、野々花はなんだか微妙な顔をする。ああ、来る、と嫌な予感がして身構えてしまったが、その防御は正解だった。 「いやあ、でもやっぱそろそろじゃない?20後半には子供産んどかないとじゃん。子供の参観日で1人だけ浮いてるのやだもん。」 「あはは。確かに。」 「親も安心させてあげられないしね。まあ1番は私は里紗に幸せになってほしい訳よ。可愛いベイビーを早く見せておくれよ。」 はは、と乾いた笑いが出そうになるのを必死で誤魔化した。私は今でも幸せだよ、結婚しなくても、子供を産まなくても、幸せだよ。なんて心の中でひねくれた反論をしてしまう自分に嫌気がさす。 「旦那もさ、3人目欲しいみたいで。まだ小さいからって子供の前でも誘ってくんの。ありないよねえ?」 同意を求めながらも、彼女の表情には余裕が見えた。自分が女であることの余裕だ。旦那から誘われる女であることの、余裕だ。駄目だった。大好きな友達にこんなことを思ってしまうなんて、と慌てて首を振る。 「あ、そういえばこの前言ってたヨガはどうなったの?通うかもって言ってたじゃん。」 「あ!そうだそうだ!聞いてよ!結局通い始めたんだけどね〜…。」 野々花が気になっていると前電話で言っていたヨガ教室の話へと話題は移り、私は何とか自己嫌悪から逃れることが出来た。子供を産んで少しふっくらした野々花はそれを気にしていて、けれど中々が暴食が辞められないようだ。今は産休中の職場に戻ったら制服はいらないかも、なんて笑っていた。 その後は気づけば何も考えずケラケラと楽しい時間を過ごしていて、あっという間にお別れになってしまった。駅まで彼女を送り、澪ちゃんにも挨拶をする。その手は小さくて小さくて、でもしっかりと温かくて、愛しかった。でも本当は少し、怖かった。 野々花と別れて、少し駅前のカフェに寄る。コーヒーを頼んで、1人イヤホンで音楽を聴いた。結婚することが、出産することが女性にとって1番の幸せであると思っている人は同世代にも意外といるんだと、いままで生きてきて思う。独身は哀れで、子供がいないと本当の女としての幸せは感じられないのだと。私は、そうは思わない。思わないけど、でも本当は分からない。だって私は結婚も出産も経験していないから、比べようがないから。そもそも比べようとすることがおかしいんじゃないのか、結局本人にしか分からないのに。なんて考え事は私の頭の中でだけグルグルと回って、答えが出ないうちにいつも時間に追われる。今日もそうだった。気づけば夕食の準備をしなければいけない時間になっていて、慌てて席を立った。その瞬間には、私の頭の中は夕飯の献立のことでいっぱいだった。
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