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二度目の離婚
六年前。康馬は杏菜が病気だったことなんて、微塵も感じられなかった。だからこそ、位牌を見た今でも杏菜が死んだと受け入れられない。
何で体調が悪いと言わなかった。夫婦なら報告する義務があるだろう。そんな風に思いながら頭を抱えていると、みどりが昼食を作ってくれた。赤味噌が隠し味の、ソース焼きそばだ。
「……悪い。今は濃い味を食べたくない」
「そう。それなら作り直すね」
みどりは康馬が食事を拒否しても、何も文句を言わない。二皿分の皿にラップをし、米を炊き始める。
炊飯器の炊きあがりを知らせる音が鳴るまで、渡された杏菜の日記を睨みつけていた。まるで思索に耽る康馬を邪魔しないかのように、卵粥が入った茶碗が置かれる。
「康馬さん。少しでも食べないと体に悪いわ」
「ああ、そうだな。食べるか」
一匙掬う。まるでささくれ立っている康馬の心を宥めるような、優しい卵の味がした。
「みどりは粥もレトルトに頼らないな」
「そうね。わたし自身が、食べるのが好きだから」
そう言いつつ、みどりは少し大きな腹を隠すように服を伸ばす。
「俺を気にせず、お前は焼きそばを食べていいぞ」
「ん、まぁ、ちょっとダイエットをもっと頑張ろうかなって思って」
「ふうん。まあ、良いんじゃないか。それにしても、お義姉さんも失礼な人だよな。あいつのために、休日は俺が食事を作っていたのに。それが何で、あいつが幸せじゃなかったなんて思うんだ」
「そうだね。ねぇ、明日ご飯作ってもらえる?」
「おお、いいぞ! 特製のオムライスを作ってやるよ」
「楽しみにしてる」
どの形のオムライスを作るかと思案している康馬は、みどりの表情を見ていなかった。楽しみにしているという言葉とは裏腹に、不安そうに眉を下げていたというのに。
翌日。康馬は急に会社から呼び出され、出勤した。だからオムライスは作れなかった。悪いなと軽い調子で謝り、みどりも笑顔で受け入れる。
週末。
今度こそオムライスを作るぞと、卵を多めに使ってドレスオムライスを作った。すごいね、美味しいねと褒めてくれるみどり。そうだろうと上機嫌の康馬。
そんな二人の間の溝は、確実に広がっていく。
「あいつも好きだったんだ。夢も叶っていない内から、オムライスを食べたいって言ってきてな。まだ付き合っていた頃の思い出の味が食べたいって。あいつにせがまれて何度作ったことか」
「そう」
みどりが、スプーンを置いた。それは自然な動きに見えて、静かな怒りを表現しているかのようにも思える。
「……どうした? まだ一口しか食べてないじゃないか」
康馬が問うと、みどりは席を立ち、署名済みの離婚届を持ってきた。
「は? 何だこれは。どういうつもりだ」
「一週間、考えたの。それで今日、結果が出た」
「いや、意味がわからん。先週デートしたし、今だって俺が作ったオムライスを美味しいって言ったじゃないか」
「オムライスは美味しいけど、杏菜さんのお姉さんのところに行ったのはデートじゃない。寧ろ、あなたへの不信感が高まっただけよ」
「何言ってんだ」
「あなたは無自覚かもしれないけど、わたしはいつも杏菜さんと比較され続けた。社会では比較されることが当たり前だけど、どうして家でまで比較されないといけないの? それにわたしよりも、杏菜さんに関することが優先された。あなたは、わたしが不安に思っていても、何も追求してこなかった」
「なんだ、そんなことか。不安に思っているなら口に出せばいいじゃないか。それを俺のせいと言われるのは理不尽だ」
「……やっぱり、あなたとはやっていけないわ。離婚してください」
みどりが、離婚届に記入しろと圧をかけてくる。何で俺が。どうして俺が。理不尽な理由だと思いつつ、康馬はみどりへの気持ちが一気に冷めた。
記入が終わると、みどりは離婚届を封筒に入れる。そしてまとめていたらしい荷物を持って出ていった。週明けに提出すると言葉を残して。
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