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反省
「なん、で……」
杏菜の日記に、康馬の涙がこぼれ落ちる。染みになってはいけないとすぐに拭く。それから日記を汚さないように、日記から顔をそらす。
夫婦喧嘩をした時、杏菜に涙ながらに訴えられたことがあった。母子家庭で姉と差がある愛情、だから子供を産むのが怖い。でも康馬となら、もしかしたらと。
康馬は杏菜を抱きしめ、頭をぽんぽんと叩いて軽く流していた。
(……あの時、俺はあいつに何て返した? 不安がっているあいつに、何て言葉をかけた?)
覚えていないと言うことは、康馬にとってどうでもいいということだ。そんな風に軽く扱ってしまってから、杏菜との溝ができたように思う。病気のことを言われなかったのも必然なのかもしれない。
涙を拭いながら、もう一度日記を読む。そこには康馬に迷惑をかけてはいけない、康馬の期待に応えないといけないと、康馬のことばかり考えている杏菜の気持ちが見えた。そこには決して、康馬の気持ちを求めるものも責める言葉もない。恐らく、杏菜の中で康馬への気持ちは完結していたのだろう。
考えてみたら、離婚する五年くらい前から小言も言われなくなっていた。ようやく家でくつろげると思っていたが、その頃から離婚を考えていたのだろうか。
「もっと言ってくれれば、関係性を修復できたかもしれないのに……いや、もっと俺があいつを想っていれば……」
相手を気遣い、心配し、些細な表情の変化にも気づけただろう。それができなかったのは、康馬の失態だ。
杏菜との二十年を振り返り、思い出せるだけの思い出を振り返る。写真を見たり、杏菜の日記を読んだりした。振り返るたびに、いかに杏菜が康馬を想ってくれていたかわかる。誰が見ているわけでもない。今の自分は一人だ。そう自覚してしまうと、涙はもう止まらない。ぼろぼろと涙がこぼれる。
二人で猫カフェに行ったことも。
温泉に一泊した時杏菜が風邪を引いてしまったことも。
打ち上げ花火を現地まで見に行って体全体で花火を感じたことも。
焦げてしまったと自己申告された夕食も。
夕食後の毎日の散歩も。
風呂後の濡れた髪を乾かすのも。
全部、杏菜との思い出だ。
(……俺は、文句ばかりだった気がする。いつから、面倒がって髪を乾かさなかっただろう。杏菜は、あんなに喜んでくれていたのに)
いかに自分が愚かだったかを知り、みどりへ謝罪のメールをした。そして厚かましくも、もし死ぬ前までに新しい家族ができなかったら、身元引受人になるから康馬の連絡先は消さないで欲しいと申し出た。
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