奈落と堕落

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 なんとか身体を洗い流したはいいが拭う物がない。というより着替え一式がないので、瑠璃子は雫のついた素肌のまま二階へ駆け上がった。 (あぁ、こんな姿をお父様が見たら叱られてしまう)  主寝室が二階にあると踏みつつ、父親の苦い顔を過ぎらせる。彰は殊更作法に煩い人間で、裸でうろうろするなどもっての外。愛した妻の忘れ形見を溺愛するも、他者からどう見られるか過剰に気にする節があった。  瑠璃子も父の山のように高い自尊心が一家心中の引き金と承知する。 (ーーそれでも生きて行かなければ)  彰が命を取り留めたと知れば、どれほど嘆くであろう。しかし瑠璃子は家族をこの世に繋ぎ止めておくで呼吸ができ、彼女一人では茨の道を歩けない、歩きたくない。  主寝室のクローゼットには最小限の衣類が掛けられており、それを濡れたままの肌へ通す。  冷えた肌に心細さを刺激され、瑠璃子は手癖から胸の前を握った。以前はラピスラズリの首飾りを肌身離さず付けていたが、借財の返済にあててしまい、あれは装飾品としての価値はそれほど高くないものの、瑠璃子の為あつらえた一品である。  窓辺に立つ。瑠璃子は鳥や風が自由に舞う青いキャンパスを塗り潰された瞳で見上げた。
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