プロローグ

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 彼は慌てて駆けてきた。そして彼も同じくつるりと滑った。  浅い川だ、それでも揃って衣服の裾はずぶ濡れに。だからそのまま笑い合った。  ひとしきり笑った後、また、ふとした瞬間、見つめ合う。  水しぶきで彼の髪はいっそう輝き、私はいっそう欲しくなった。きっと彼もこの刹那、同じ思いを抱いている。  彼はゆっくりと、私の目と鼻の先に来て、私はそれを受け入れるために瞳を閉じた。  これは秘密の恋。  彼は私の、よく知らない人。どこの御家のどういう人なのか。  私は彼の、よく知らない人。何者かは言えない。だって私は看護婦だから。患者のひとりに特別な思いを寄せるなんて、許されないこと。  これが最後の逢引き。これが最初で最後の口づけ。 「ここでのことは、……私のことは、決して誰にも言わないでください」 「分かった。約束しよう」 「夢みたい」 「そうだな。このひと時は、ふたりでみた真夏の夜の夢だ」  私たちの出逢いも別れも、ふたりだけの秘密。ひと夏の恋は、川を流れる水にキラキラと解けていった。
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