9人が本棚に入れています
本棚に追加
開演
「俺コサットあんまり好きちゃうねん」
好きな芸人について熱く語るハルに、水を差したことがある。
昨年、芸歴七年目でなにわ漫才新人賞に選ばれたコサットは、いわゆる『お前に言われたくないわ漫才』というもので人気を画していた。その漫才スタイルは評価され、度々テレビで見かけることもある。
ボケの濱井はかなり特徴的だ。顔芸も多く目を引く長身で、話し方も面白い。
対してツッコミの林は、メガネをかけている以外にこれといった特徴がない地味な奴だ。濱井といるせいでかなり身長が低く見えるが、実際は平均より少し低い程度だろう。
見た目だけならこの時点で、客の印象に残りやすいコンビである。
ハルはそんな二人の漫才にやたらと感心していたが、俺はそうは思わなかった。
「ああいうんって毎回同じパターンになるやろ。最初はおもろいけど飽きてくるし、あと単純にツッコミの間が下手くそ」
「きっびしいなー! 何様だよ!」
言われてみればその通りだ。だが俺は、本気でそう思っていた。
ワンパターンでツッコミの間が微妙。TOMで優勝できるタイプではないだろうと、勝手な感想を漏らしていた。
もしも今あの頃に戻ることができたら、「何様やねん」とハル以上に強く言い、頭をはたいてやろうと思う。
「いやね、俺思うんですけど、世の中びっみょ〜に気になるもの多すぎません?」
「そぉかぁ?」
「そぉですよ! やからね、ちょっと判断してほしいんですよ。放っとくか気にするべきか!」
「おお」
「日本代表として!」
「責任重すぎる。一個人としてでええか?」
「一個人の意見としてね。えー、じゃあいきますよ。飲み会で一つだけ残ったからあげ!」
「あー、遠慮の塊ってやつな。気になるけど俺は放っとくかもしれんなぁ」
「メガネについた指紋」
「これは気になるな。すぐに拭くわ。放っとかん」
「マスクで曇ったメガネ」
「気になるなー。これも放っとかん。危ないしな」
「鼻についたメガネの跡」
「あるな。これはまぁそこまで気にせんかも」
「メガネの、」
「多ない!?」
ここぞとばかりに張り上げた声。どっと沸く観客。ここが笑いどころだとわかりやすい演出。俺も自然と笑顔が漏れていた。
「いやメガネ多ない? あとお前メガネしてへんやんけ! なんでメガネしてへんやつに言われなあかんねん」
「でもあるあるやろ?」
「そやけどなんっか腹立つわ。お前に言われたくないわ」
「えー、じゃあ背ぇ高い人の後ろになってもうた映画館の席」
「あーこれは気になる。でもどないしよもないからなぁ」
「取らせる気がない本屋の高い本棚」
「あれね。確認したいだけやから店員も呼びにくいしね」
「デートのときに高いヒールを履いてくる彼女」
「まぁね、これもまぁ気になる人は気になるやろな」
「背伸び、」
「いやお前に言われたないわ!」
「え?」
再び沸く観客。所謂天丼と呼ばれるスタイルは、ベタだがやはり面白い。既に劇場の空気は、二人の漫才師に掴まれているのだ。
「何でこんなノッポに低身長あるある言われなあかんねん! お前に言われたないわ! てか俺やんけ!……いやそんなチビちゃうわ!」
ボケで笑いが起き、ツッコミでも笑いが起きる。いわゆる相乗効果というやつが、今自然と発生している。
コサットはツッコミの間が好きではないと思っていたが、テレビで見たときよりもあきらかに洗練されていた。「てか俺やんけ」から「いやそんなチビちゃうわ!」の間が絶妙で、その間の沈黙すら笑いを期待する時間に過ぎなかった。マイペースなボケともよく合っている。
だが自分達がやるとしたら、きっと同じ風にはできないだろう。俺は長いツッコミが得意ではないし、ハルはもっと弾けたボケの方が合ってる気がする。
見た目に関しても、あのぬぼっとした濱井がするから面白いのであって、ハルが言うと同じ笑いは起きないだろう。
目と耳だけはしっかり二人に向けながら、頭は無意識に別のことを考えていた。
この二人から盗める技術はないだろうかと、頭のどこかで勝手にペンを走らせる。それでも時々は笑いに呑み込まれてペンを放り出すこともあった。
何か吸収できる部分はないか、役立つことはないか。
そこまで考えて思い出す。
そうだ、ハルはもういないんだった。
「いやもうええわ。どうも、ありがとうございましたー」
二人が掃けていく。
ああ、駄目だ。豊かな拍手が遠くに聞こえる。俺の両手は不自然に周りを真似るが、きっと客に相応しくない顔をしているに違いない。
駄目だ、余計なことを考えるな。俺はお笑いが好きだからここに来ただけだ。ハルのことは関係ない。お笑いを続ける意思もない。
最初のコメントを投稿しよう!