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駒井さん
表紙によれた字でネタ帳、と書かれたノートが一冊、二冊、三冊。どれだけ溜まっただろうか。
ネタ帳の横に並ぶ文字が一つずつ重なっていく度に、何かに満たされるような心地がした。俺達は夢に向かって努力しているという、実感だろうか。
「やっぱ時事ネタとか盛り込むべきだと思うんだよな」
昼休みに飯を食いながらネタを考えるのは恒例となっていた。
漫画やドラマで見るような屋上での昼飯は、現実ではまず許されていない。教室や食堂、外階段の踊り場が、せいぜいに生徒に許された場所だ。
最初はハルの「青春っぽいから」という謎の理由で外階段の踊り場で昼休みを過ごしていたが、狭いし書きにくいしで結局今は教室で食べている。
物珍しそうに覗いてきたり声をかけてきた連中も、一週間も経てば慣れたもので、誰も見向きやしない。人に注目されることが大好きなハルはそのことを残念がると思っていたけれど、意外にも何の反応も見せなかった。
「お前時事ネタって意味わかっとる?」
ページの真ん中にまるで囲まれた『時事ネタ』という文字をシャーペンでぺしぺし叩きながら訊ねる。ハルは唇を尖らせて、「それくらい知ってるっつーの」と不満そうに答えた。
「あれだろ、今流行ってるやつとかだろ。美しすぎてごめんとか」
「時事ネタっちゅうんは基本的にはそんとき起こった政治とか事件とか扱っとんねん。ただの流行りを扱うだけやったら時事ネタとは言わん」
「えっ、そうなの」
「知らんけど」
「出た、知らんけど!」
何がそんなに面白いのかぎゃははと笑うハルを冷めた目で見る。いつも同じことで笑ってくれるので、芸人にとってこれほどいい客はいないだろう。知らんけど。
「お前わかるんか? 最近の時事ネタ」
「いやー、わからねぇしそういう意味なら使いたくはねぇな。実際にいる人とか事件をいじるって、かなりリスキーだし」
言いながら、ノートに書かれた『時事ネタ』という文字をぐりぐり塗り潰していく。
意外にもまともな理由だ。確かに、実在する人や事件というものは扱いが難しい。一つ間違えれば炎上待ったなしだ。
「お前が言うとるんは今流行ってるものを取り入れるっちゅうことやろ? なんや、最近って何流行っとるんや」
「美しすぎてごめん以外に?」
「それもよぉ知らんけど」
また笑い始めた。違う、今のは違う。
「あー、なんだろ。カヌレとか?」
「あれちゃうんか。マリ……マリオなんとかみたいな」
「マリトッツォな。今はもう古いよ」
古いのか。いまいちわからん。
ハルは徐ろにスマホを取り出すと、検索した画面をずいっと見せてきた。今流行っているらしきものがずらりと並べられた画面には、知らないものがいくつもある。
具が見えてきた鮭おにぎりをかじりながら、見慣れぬ言葉を追いかけていった。
「まピンクうさぎ? なんやこれ」
「真っピンクのうさぎのキャラだよ。今妹がめっちゃハマってるんだよなぁ」
言いながら、パックのオレンジジュースを啜り始める。ずずっと行儀悪く音を立てて吸われたオレンジの液体が、半透明のストローの向こうで上下していた。
「お前にも妹いたよな? 見たことねぇの?」
「見たような見ぃひんかったような。あいつ今アイドルにハマっとるわ。Plumとかいう関西のグループの」
「あー、人気だよな」
知ってる知ってると興味なさげに頷きながら、ハルはシャーペンをくるくる回し始める。
「何なに? Plumの話?」
唐突に横から声をかけられた。
声の主は、隣で二つの机を囲んでいた女子三人グループの一人、佐伯だ。明るい色のショートカットで、髪の隙間からはシルバーのピアスが覗いている。
佐伯を皮切りに、一緒にいた好水も話しかけてきた。
「Plumいいよねー。やっぱ男子にも人気なんだ」
「知らんって」
興味津々の女子二人に勘違いされない内に否定したが、こちらの言葉など聞こえていないのか、好き勝手に話し始める。
「うちの弟も最近ハマっててさー。男子がハマる男子アイドルって新しいよね?」
「いやだって普通に面白いもん。トークが上手い」
二人の女子がキャッキャと盛り上がる中、置いていかれているのは何も俺達だけではない。
三人グループの中でも一番大人しそうで言葉少なな駒井さんは、話の輪にも入らず黙々とスマホを見ていた。正直ハブられてるのかと思ったことはあるが、そうではないらしい。
「ね、コマちゃんも面白いって言ってたよね?」
「まぁまぁかな」
同意を求めた佐伯にも、駒井さんは淡白なものだ。
一切視線を移さずに、端的に答えだけ返していた。
「厳しいな〜。そうだ、夏木くん達って芸人目指してるんだよね?」
言いながらスマホを操作して、画面を見せられる。噂のアイドルのYou Tubeチャンネルだ。サムネを見るに、皆で料理をしたりゲームをしたりしているらしい。
「プロから見てどうか教えてよ!」
「プロちゃうわ」
「それだよそれだよ! そのツッコミ、さすが大阪の人って感じだよね」
「偏見にもほどがある……」
やはりこちらの意見など聞くつもりもないようで、佐伯と好水は椅子まで引きずってきてスマホを机に置いた。
画面ではイケメン五人が明るいタイトルコールと共に登場し、それなりに軽快なトークを見せている。まぁ確かに話慣れてる感じはある。
見てほしいというよりは自分達が見たかったのか、音が聞こえないほど二人ははしゃいでいた。ここがいいとか、ここがカッコイイとか。その肝心なところが二人の声で聞こえていないわけだが。
ゲンナリとしていると、向かいの席で下手くそな愛想笑いを浮かべるハルが目に入った。普段は邪魔なくらいやかましいくせに、不自然なほど静かだ。
女子に話しかけられるだけで緊張するタイプではない。
それこそ、佐伯とは授業中に馬鹿騒ぎして怒られていたくらいには仲がよかった。好水や他の女子とも普通に話しているのを見たことがあるし、そもそも誰であろうと人見知りするタイプでないことは、早い段階でわかったことだ。
つまり、原因は一つしかない。
俺は、未だに少し離れた場所でスマホを見ている駒井さんにちらりと視線をやった。
長い前髪や低いテンションでかなりわかりづらいが、彼女は相当な美人だ。駒井さんに好意を寄せる人は多く、恐らくハルもその内の一人なのだろう。彼女がいるときだけ、まともに話せやしない。
もはや自分達で画面を占領し始めた二人からそっと離れると、向かいに座るハルの隣に立った。
「おい」
「な、何だよ」
俺からの冷たい視線に、ハルはらしくもなくビクついている。これから何を言われるかわかっているのだろう。
「何か話してきたらどうや」
「何を」
「いや知らんけど。芸人目指しとるんやったらトークくらいはできなあかんやろ」
それこそ、あの画面の中のアイドル達よりも。もちろん今回のことに限っては、トーク力を磨けというのは建前でしかないが。
肘で突つきながら、駒井さんの方を顎で示す。
「駒井さん一人で暇そうやし。今や行け、当たって砕けろ」
「おま、ちょ、マジで余計なこと言うなって!」
わりと強めの力で腕をはたかれる。確かに悪ノリした自覚はあったが、こいつがあまりにも態度が違いすぎて面白いから悪いのだ。
それにさっきから、佐伯や好水もアイドルに騒ぐ傍ら、視線だけをちらちらとこちらに向けている。
ハルが駒井さんのことを気にしているなんて、大抵の奴が知っていることだ。それほどまでにわかりやすい。
本人だけが誰にもバレていないと信じているものだから、無駄に潜めた声で「しーっ!」と言ってくる。それがまた面白かった。
ちなみに当の駒井さんはというと、聞こえているのかいないのか、気付いているのかいないのか、こちらに反応することも態度を変えることもない。なかなかミステリアスな女子だ。
いろいろとテンパったのか、ハルは虫を払うように腕を振ると、女子二人に混じってスマホを覗き込んだ。興味もないくせに「俺にも見せて!」と言っている。
佐伯がちらっとこちらに視線を飛ばした。その目が「ほんとヘタレだよね」と語っていたので、とりあえず頷いておく。
「時事ネタならYou Tubeと絡めたら?」
最初、誰の声なのかわからなかった。
声の主は駒井さんだった。
離れた席にいながらも、なぜかこちらを見ている。もしかして俺に話しかけたのだろうか。わからなくて黙っていると、無言でスマホの画面を見せられた。
『真相をお話します』
神妙な顔をした男と、明朝体の太字のサムネイル。如何にも、というやつである。
「こういうノリでさ、偽の時事ネタ扱ったり無茶な考察言ったりしたらいいんじゃない?」
「あ、うん……?」
何がいいんだろうか。よくわからないまま答えると、それきり駒井さんは何も言わずに再びスマホをいじり始めた。何だったんだ一体。
そうしてネタ作りもろくに進まないまま昼休みが終わった頃に、先ほど駒井さんはネタのアイディアとして言ってくれたんだなとわかった。いや、主語をくれ。
真面目な顔をしてお笑いのネタについて考えていたらしい駒井さんのことを思うと面白くなってきて、ニヤニヤ笑いを止めるのに苦労した。
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