一桁世代の結婚難

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一桁世代の結婚難

私の両親はふたりとも昭和一桁の生まれだ。 母は背は小柄だが、器用で、マメでよく働く。自分では「オカチメンコ」と言うが、まあ不細工と言うほどでもなく、“普通”だと思う。 父は、母の一歳年上で地方公務員だった。幼い頃の病気で足の付け根にばい菌が入ってしまい、それを取る手術をしたせいで片足が不自由だった。 母方の祖母は、この見合い話が来た時に「いくらチビで美人でないからってあんまりだ」と断ろうとしたらしいが、母が「不自由のところがある人の方が人の気持ちが分かるだろうから」と受けたんだそうだ。「この話を断っても、どうせ来るのは後妻ぐらいだし。」というのもあったらしい。 昭和一桁世代の特に女性はそれくらい結婚難だったそうだ。なぜなら、ちょうど相手として相応しい年代の男性は、あらかた戦争に取られてしまったから。 私は、高卒で国家公務員になったのだが、女性の先輩で母と同世代の独身の方が結構いた。昔は、公務員も結構コネが効いたようで、そういう先輩の経歴を見ると、だいだいお父さんは「〇〇部長」「〇〇局長」だったりする。 つまり、お役人のお偉いさんのお嬢様だったわけだ。そういう“お嬢様”に相応しい相手がなく、お父さんのコネでとりあえず安定した仕事に就いてそのまま独身を通してしまった、らしい。 ところで、我が家はそんな大層な家でもないのになぜかプライドが高く(?)祖母など、足が不自由な息子の嫁に来てくれた母を、大事にするどころか嫁いびりが酷かった。孫の私にも分かるくらい。 母に聞いたことがある。「よく、離婚しようと思わなかったね。」と。長兄の伯父の処には子どもがなく、「兄さんと私を連れて帰る事も出来たんじゃない?」と。母は、「確かにそうすることもできたし、伯父さんはむしろそうして欲しかったかもしれない。あんたたちを自分の子どもみたいにかわいがってたしね。でも、お母さんはずっと実家にいるわけにはいかないから、またどこかに嫁に行かなきゃならない。そうしたら、たぶん後妻になるから、人の子どもを育てるくらいなら、自分の子どもを育てたかったから、我慢した」と。 私は我慢強くないし、身体より口が先に動く方なので、とてもじゃないが母の真似はできない。だから、父方の祖母にはかわいがって貰った記憶はなく、よく口げんかしていた。
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