償いはすんでいる

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償いはすんでいる

広島の原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)の石棺の正面には、 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。 広島市の説明には 「碑文の中の『過ち』とは、一個人や一国の行為を指すものではなく、 人類全体が犯した戦争や核兵器使用を指しています。」とある。 しかし現実には、『戦争』や『核兵器の使用』を『過ち』と考えていない人々や国々がたくさんあるのではないか。 だから、未だに核開発競争や世界各地での紛争が絶えないわけで、とても「安らかに眠」れる状況じゃない。 いくら日本人が反省し、世界の多くの人がこの碑に祈りを捧げたとしても。 極東国際軍事裁判(東京裁判)において、連合国が派遣した判事の一人 ラダ・ビノード・パール判事は 「意見書」(通称「パール判決書」)で 非戦闘員の生命財産の侵害が戦争犯罪となるならば、日本への原子爆弾投下を決定した者こそを裁くべきであろうとして 「(米国の)原爆使用を決定した政策こそがホロコーストに唯一比例する行為」と論じ、米国による原爆投下こそが、 国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであるとした。 また、戦争の遠因となった人種差別問題の観点に触れつつ、 「最初の原子爆弾の実験台として、 決して彼ら(米英)は白人国を選ぶようなことはしなかったであろう」 と述べている。 パール判事は、日本の戦争責任が存在しないという立場ではなく、アジア太平洋各地で、戦争の全期間を通じて、 異なった地域において日本軍により、 非戦闘員にたいして行われた残虐行為の事例を示し、 「主張された残虐行為の鬼畜のような性格は否定しえない」と述べ、 「これらの鬼畜行為の多くのものは、実際行われたのであるということは否定できない」と主張している。 日本は平和条約を結ぶに当たって、 金銭的な補償も済ませ、1,068人もの人命を”平和の生贄”として差し出している。その責任者は、その生命をもって、償いをさせられたのである。つまり、日本の戦争責任については「贖いはとうに済んでいる」ということだ。 パール判事は、 「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」 との主旨でこの裁判そのものを批判し、 被告(A級戦犯)の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、 人道に対する罪は事後法であり、 罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものである。 アメリカでは未だに「戦争を早期に収束させるために原爆投下はやむを得なかった」と教育していると聞く。 日本は、「日ソ中立条約」を戦争終結の頼み綱としていたから、4/5のソ連からの「条約破棄通告」、4/8の「対日宣戦布告」の時点で無条件降伏受諾止むなしとなっていたと思っている。 つまり、長崎にも広島にも原爆投下は必要なかったのだ。原爆投下は、戦争終結の為ではなく、科学者の野心と大戦後対ソ連優位に立つためのアメリカの政治家の都合で日本国土が実験台になったのだ私は思う。
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