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歴史とはなにか
前振りが長くなってしまい、なかなか本編に話が進まないのだが、『戦争』の話をする前に、『歴史とは何か』を確認しておかないと、と思う。
なぜなら、人類の歴史はある意味
『戦いの歴史』だったと思うからだ。
相手は“国”とか“敵”に限らない。
飢餓だったり、疫病だったりもある。
私はただの“歴史好き”で、専門的な勉強をしたわけではない。だから、それほど偉そうなことは言えないのだけれども、ちょっとかじった蘊蓄を言わせて貰えば…
一般的に、「歴史」というものを勘違いしていると思う。
私もこういう考え方になったのはこの5,6年位なのだか…。
宮脇淳子先生という方がいる。東洋史の中のモンゴル、さらにその中の既に滅亡して今はないジューンガル遊牧帝国が専門の先生だ。(世界でもジューンガルを研究しておられるのは宮脇先生の他は1,2人らしい)
つまり日本を、中国大陸よりさらに奥からの視点で見ることの出来る方なのだ。
専門書は難しいし、高価なので読んではいないが、動画でたくさん勉強させていただいた。
「歴史とはなにか」という、ご主人でもあり、師匠でもあった岡田英弘先生の同名の本の解説動画は、“歴史”の味方が変わるオススメの動画。
歴史は英語でhistoryという。これは、
ギリシア語のヒストリアイから来ているそうだが、単語の中にstoryが入っていることからも分かるとおり、ある“出来事を”誰かが見て、解釈し“語る”からこそ「歴史」であって、出来事の羅列は「年表」でしかない。
また、文字で書かれていない
“発掘物”は「考古学」であって、
これも「歴史」ではない。
(日本の歴史教科書は考古学から始まって、途中で歴史っぽくなったと思ったら、年表になったり支離滅裂。)
そう考えると、誰かが解釈して語るのだから、語る人により「歴史」が違うのは当たり前で、隣国と日本が“歴史認識をすり合わせる”なんて言うのは、ナンセンスと言える。
事実を確認し合う事に意味はあるが、それをどう認識するかは、物事を表から見るのと裏から見るのでは違って見えるのと同じで、無意味なのだろうと思う。
それと、日本人が陥りがちなのが、
“善意で行ったことは分かってもらえるはず”と
“日本は〇〇で遅れていたから、追いつくために~”という勘違い。
どうやら、大陸と島国日本とはそもそもの考え方が違うようだ。
一番分かりやすいのは、京都御所かもしれない。
帝がお住まいの御所に高い塀はない。
大陸ならば、皇帝や王が住む王宮には、高い塀が巡らされ、門は閉ざされて普通の人は入れない。
もっと言えば、街ごと高い塀を巡らして、敵が責めてくれば門を閉ざして侵入を防ぐようになっている。
日本には、そんな街ない。
(戦国時代、籠城するのに村人も城内に一時的に避難させた例はあるが。)
様々な制度や法律やルールが整えられていて(日本より)進んでいるのは、それがないと物事がうまく回らない、必要だからなのでは、とある時気づいた(何かで読んだのかも)。
つまり、必要だから造る。日本には、必要なかったから、造らなかった。
大陸では、基本的によそ者を信用しない。
“人を見たら泥棒と思え”だから、高い塀や様々な律令が必要だったのだと思う。
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