朝鮮半島と日本のこと

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朝鮮半島と日本のこと

朝鮮半島を日本が統治した時代、 “日本は七奪した”とか“内地に強制的に連れて行って労働させた”と言われ 未だに政治課題となっている。 事実として、日本は朝鮮半島を統治するに当たって、内地並みにするために莫大な国家予算をつぎ込んで、インフラ(道路、水道、鉄道、植林等)を整備し、小学校から大学まで学校を造り、戸籍制度を整備することで(名字を名乗ることを許可することで)階級差別をなくして、それまで学ぶことが許されていなかった賤民の子どもたちも学校へ行く事が出来るようにして、ハングルを普及させた。 結果、1910年日韓併合時1,312万人だった人口が、1943年には2,439万人と、ほぼ倍増している。 これは、日本から日本人が入り込んで増えたのではなく、出生率の上昇と乳幼児の死亡率の低下による自然増なのだ。 朝鮮半島を“植民地”として抑圧し搾取していて、こんなに人口増えますか? アフリカや南アメリカの欧米の植民地では、先住民を虐殺して根絶やしにしたり、奴隷化した例がいくつもある。 だから、日韓併合を“朝鮮半島”を植民地化したというのは、おかしいと私は思う。 ただ、「日本は良いことをしてやった」のだから、分かって欲しい、というのも違うのかなと思う。 朝鮮半島は儒教思想が根強い国だから、 自分は“兄”で“弟”である日本が“兄”に尽くすのは当然(あくまで極論ですが、根っこにはあると思う。)で、上に立つこと自体が許せん!のではないのかなぁ~?と思っている。 朝鮮半島での思想・感情を現す言葉でよく語られる『恨(はん)』について 宮脇淳子先生は、 「朝鮮半島特有の思考様式。 歴代シナ王朝への服従や日本による統治、 あるいは李氏朝鮮時代の両班支配など、 どうにもならない抑圧と屈辱の歴史の中で、自ら不幸を嘆き、自分以外の何かを恨み、それに対する抵抗心をバネにして生きていかざるを得なかった歴史から生まれたと考えられる」と定義している。 『恨』は、日本語の“恨み”とは、だいぶ違うようだ。 『恨』は、“自分はこうあるべき”(例えば兄だから日本より優秀で上であるべき。)というものと現実との差の悲哀や不幸を、廻りの悪意あるものによるものと捉え、耐え忍ぶあるいは抵抗する力の源とする考え方(?)のようだ。 スポーツの国際試合などで、日本の選手が負けたとき(1位になれなかった時)によく「悔しい」という言葉を口にする。 日本人はそれを大概“(プレッシャーに負けて)力を出し切れなくて悔しい”とか“(怪我など体調管理が不充分で)全力を出し切れず悔しい”と、自分との闘いで満足していない意味で使う(と思う)。 ところが、韓国の人は(全部ではないのかもしれないが)「韓国人選手の〇〇がいたから自分が1位になれず悔しい。」という意味に取るのだという。 私はこの話を初めて見た時、驚いた。 日本では、たとえ日本のチームが負けたとしても、相手チームのプレーが素晴らしければ、素直にそれを讃え、勝利を喜び、負けたチームの健闘も讃える。 それが、当たり前だと思っていた。 ところが、そうでない人たちも居るのだ。 それは、非難することではなくて、たぶん、それだけ大陸で生き抜くということの過酷な歴史を生きてきたからなのだと思う。
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