日本はもっと大きかった…

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日本はもっと大きかった…

私が小学生の低学年だった頃のこと。 家の襖に世界地図が貼ってあった。 子どもの勉強と破れや汚れ隠しを兼ねていたのかもしれない。 その地図を見て母がいった言葉が印象に残っている。 「日本はもっと大きかったんだよ。 お母さんが学校で習った頃は、この辺までずっと赤くなってて(日本の領土を示している)。だから、(頭では分かっていても)なんとなくこういう所(東南アジア等)も日本のような気がしてる。」と。 おそらく母が小学校(その頃は国民学校)で見たのは、東南アジアと太平洋の島(一部)を占領し、西はビルマ(ミャンマー)、南はインドネシア、ソロモン諸島、東はギルバート諸島まで獲得した、1942(昭和17)年の大日本帝国最大版図の地図だったのだろう。 昭和17年といえば、母が10歳の時だから、やはりその年頃にすり込まれ(教えられ)たことは、大人になってもなかなか抜けないものなのだなと思った。 だからこそ、教育は大事だし、反面恐ろしいと思う。 私ぐらいの年代は、逆に必要以上に“日本は極東の小さな島国”とすり込まれていたような気がする。 しかし、隣国のように、人の領土まで図々しく自分の物のように教える人たちがいる以上、敗戦国だからといつまで身を縮こませていてはダメで、 “ここからここまでは日本です”とちゃんと子どもに教えるべきだと思う。 現状、不法占拠されていることも含めて(そういうことは、もっと大きくなってから中高生でもいいとは思うが)。 太平洋戦争(大東亜戦争)で、日本軍が各地で残虐な行為をしたことは、間違いないようだ。 だからといって、いつまで日本は 「すみませんでした。」謝罪し続けなければならないのだろうか。 上坂冬子さんは、その著書 『日本はそんなに悪い国なのか』で、 「贖いはとうに済んでいる」と言う。 平和条約を結び、金銭的な補償も済ませ、 1068人もの人命を”平和の生贄”として差し出している、と。 そして、こう述べている。 「そもそも日本は、一方的にそんなに悪いことをした国なのであろうか。」 「…日本は敗戦国である。敗戦国としての辱めは十分すぎるほど受け、日本はそれを言われるままに果たしてきた。 裁判とはいえない裁判(BC級裁判)によって 『お前は戦争犯罪人だ!』と決め付けられたあげく、健康な父や息子の命を提供して平和条約にこぎつけた国が、なぜ半世紀もさかのぼって新たな補償やお詫びを求められるのであろうか。贖いはとうに済んでいる。」 「戦争というものが勝った側にのみ有利で、負けた側は半世紀どころか未来永劫にわたって謝罪と補償を要求され、揉み手しながらそれに耐えねばならぬ習慣をつくり上げたのは、日本の罪であり恥である。」 中国や韓国との軋轢は、”謝罪と補償”でやり過せることではなく、日本の立場と考えを責任ある人(つまり総理大臣)がはっきりと”宣言”することでしか解決しないと思う。 「『戦争犯罪人と言われる人間は、平和への生贄としての面をもつ。以後、日本政府の名において戦争”犯罪人”の呼称を受け付けない』と簡潔に声明すべきである。」 東京裁判(極東国際軍事裁判=平和に対する罪で訴追されたA級戦犯を裁く裁判)は、テレビなどでもよく取り上げられ知っている人も多いが、BC級戦犯については、私もそうだが、あまり知られていないと思う。 「A級戦犯」が“平和に対する罪”で訴追されたのに対し、「BC級戦犯」は、B=通例の戦争犯罪、C=人道に対する罪で訴追された戦犯を指す。 日本のBC級戦犯は、GHQにより横浜やマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれた。被告人は約5,700人で約1,000人が死刑判決を受けたとされる。
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