空き地は全て畑と化す

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空き地は全て畑と化す

戦争中何が一番つらかったかといえば、それは食糧難だったそうだ。 なにしろ、小中学生の食べ盛り(母は3人兄弟)。米の配給がだんだん減らされてくると、祖父母は農家の出なので、家の周りから道路の脇など、土があるところにはあらゆる物を植えて、収穫していたそうだ。 その種をどこから手に入れていたのかは、分からないけれど。 とにかく、食べられる物は何でも食べたそうだ。イモ(サツマイモ)などは、芋より“つる”の方がよく食べたとか(今でも“芋がら”として売ってる)。 そんな風にして、食糧難ではあったけれど、疎開もせず(埼玉に住んでいた)何とか生活していたそうだ。 父は、余り良い思い出がないのか(面白おかしく話せるほどには割り切れていなかったのか)戦争中の話をあまりしたことがなかった。父は片足が不自由だったので、集団疎開にも行かなかったらしい。(都内の山手線の中に住んでいた。)空襲にも遭っているはずで、祖母が「位牌だけ風呂敷にくるんで近くの墓地に逃げた」と聞いたことがあるくらいだ。
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