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譲渡会
「うわ、マジか……」
ひと月前まで生徒が駆け回っていたであろうグラウンドには、既に30台を超える車が止まっている。田舎だからと油断した。開始時刻は11時だから、せいぜい1時間前に着けば余裕だと思い込んでしまった。これは出遅れたかもしれない。でも。
「まさか、な」
アレを希望する人が、一体どれほどいるだろうか。だけど世の中には変わった趣味趣向の人間もいるものだし――。
「おはようございます。参加される方ですね」
案内板に従ってグラウンドに乗り入れると、濃紺の作業服を着た係員の男性が駆け寄ってきた。左上腕に、「三角町役場」と印字された黄色い腕章を着けている。
「おはようございます。盛況ですね」
僕は頷くと、車を降りて臨時駐車場を一瞥した。
「お陰様で。リサイクル業者しか来ないんじゃないかって心配しましたが」
「はは、そんな」
「全く有難いことです。あ、あちらの生徒用玄関から入ってください。中に受付がありますので。靴は脱がなくて結構です」
「分かりました。ありがとうございます」
事務事項を伝え終えると、役場の駐車場係は、会釈して校門の方に歩いて行った。
ここ数日の晴天で埃っぽさが増したグラウンドを横切ると、緑葉の茂る桜並木が見える。あの木々の下で、僕が入学式の写真を撮ってもらって――もう17年か。制服に着られてはにかむ少年少女を優しく見守ってきた桜だが、年々子ども達の数は減少の一途を辿り、18年目の春に制服姿の歓声は消えた。
『遂に廃校が決まったそうだ』
『えっ?』
3年前の3月、僕は勤務する室斗中学校の職員室で期末テストの採点をしていた。そこに教頭がやって来るなり、僕に話しかけてきた。
『角張中学校だよ。箕尾先生の母校だろ』
『あ――はい。入学して半年間しか通わなかったんですけど』
仕事の邪魔をしないで欲しいのは山々だが、話し好きの上司をおざなりにも出来ないので、赤ペンを置いて顔を上げた。斜め向かいの女性教師が同情的に瞳を細めてみせた。
『あれ、そうだっけ』
『はい。でも小学生までは、あの村に住んでましたよ。あ、今は合併したから、三角町か』
角張、角壁、角房、この三村が、平成の大合併で合併して三角町になったのだ。
『それで、角張中が廃校になるって話でしたか、教頭先生?』
『うん。俺の同期が、今年からそこで教頭をしてるんだ。まあ、廃校っていっても在校生がいるから3年後だけどな』
『そうでしたか。校舎は取り壊すのかなあ』
この会話から間もなく、県の教育委員会を通じて角張中学校の廃校が公式発表された。そして2年後、校舎を地域の交流センターに再利用すること、学校で使っていた備品の多くが希望者に無償で譲渡されることが報じられた。更に半年後、三角町のホームページには、譲渡会の日時と共に譲渡可能品の一覧表が掲載された。
絵画④ 肖像画 20号(箕尾伯人作・寄贈品)
――まだ、あったんだ……!
表中の一行に釘付けになった。鼓動が脈打つように大きく高鳴り、胸の奥が熱くなる。今でも細部に至るまで鮮やかに蘇る、あの肖像画。あの絵が、まだ……。
僕は、居ても立ってもいられなくなった。譲渡会は、翌年5月の第3日曜日、午前11時から。手に入らなくてもいい。誰かの手に渡る前に、ひと目だけでも会いたい。いや、会いに行こう。たかが数時間車を飛ばせば、あの絵はあの校舎で待っているのだから。
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