Ⅱ  昭和六十三年十一月② 夕刊配達の後

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 春田は、充分な睡眠を取って体調を整え、新宿区の歌舞伎町の個室高級サウナに行って来た。ぼったくりに遭ったのではなく、「地雷」を踏まされたらしい。大衆店「麗人」の常連客と言っていいのだろう。毎月必ず一回、ボーナス月や拡張手当が二万一千円ないし四万三千円つく月は二、三回通っている。足の踏み場の少ない部屋の真ん中の擦り切れた畳の上で胡坐を掻いている先輩は、しかめた顔に両手の人差し指をやった。 「低い鼻がこんなに広がってて、でっかい穴が上を向いててさー」  古臭い和式トイレと流し台のみがついた六畳一間に、二人で寝起きしている――集金や拡張の際に配る「拡材」にも場所を取られつつ。入居した晩から万年床と化している押入れ下段と、その前の一畳だけが、後輩の一郎の専有スペースだ。気心が知れて性格も合う、そちらの方でも先輩の春田の話に、一郎は相槌を打ちながら耳を傾ける。歌舞伎町に点在するビデオボックスで、その手の企画物のアダルトビデオを見たことならあるものの、先輩の体験談はいつ聞いても、「やらハタ」には刺激が強すぎる。やらずにハタチを童貞のままで迎えた八月以降、春田に何度となく麗人に誘われているのだが、佐藤の若奥さんを「裏切る」ことはできないでいた。 「体の方は、まあまあだったから、不可の評価は勘弁してやろう、うん。じゃ、おやすみ」  昼間に入浴を終えている先輩は、窓際の万年床に寝転がり、毛布と掛布団を被った。一郎は、洗面用具を持ち、急いで玄関に向かう。自転車でも七分かかる最寄りの銭湯の営業終了時間が迫っていた。
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