Ⅰ  昭和六十三年十一月① 朝刊紙受け

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 朝刊配達を終えると、食堂と化した販売店の作業場に戻る。一郎は、脚に疲労から来る震えを覚えながら座布団の上に胡坐を掻き、賄いの朝飯を二人前食べるのが常だ。丼飯と味噌汁は、お代わり自由なので二杯ずつ。一皿に盛られたおかずは、二階に住み込んでいる販売拡張専門の宮田から自分の分も代わりに食べて欲しいと頼まれている。「朝っぱらから、焼き魚なんてよく食えるよな」としょっちゅう口にする初老の営業員に、若い肉体労働者向けの栄養バランスの整ったおかずは重すぎるらしい。――睡眠の不足は、食って補え。基礎法学ゼミの担当教授の名言だと思う。大学で得た、最も実のある教えだ。  朝飯を食べ終えると、歩いて二分の販売店員寮の自室に急いで戻り、第一外国語の英語、もしくは第二外国語のスペイン語の予習をして仮眠を取った後に、原色やパステルカラーの服をまとった学生が集うS大に向け、武蔵野市の吉祥寺まで再び業務用自転車を漕ぐ。   午後の講義が終わると、今度は販売店で夕刊が待っている。配達を終えて作業場で晩飯を食べた後は、集金と拡張のために、また区域へと向かう。販売店に戻るのは、九時をすぎる場合が多い。集金の清算や購読契約カードの提出を終えると、最後に翌朝の折込みの準備。読者管理の事務で、さらに時間を取られる場合もある。寮の自室に帰るのは、十時ごろだ。集金に忙しく、折込みの枚数も増える月末は、十一時をすぎることも少なくない。金曜日や土曜日や祝前日は、午前様になることも珍しくなかった。
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