17人が本棚に入れています
本棚に追加
「あーあ。今日もいい天気だよ、アンタ」
厚手のコートで正解だった。見上げる高い空がいかにも寒そうな。風がそんなに吹いていないのが有り難い。何しろここの霊園は開けた高台にあるから、北風の吹き晒しは老体に堪える。
今日はお彼岸やお盆でもないし、墓地に人影は少ない。まぁ墓地だけに『ぼちぼち』ってトコロさね。
そうそう、バス停の端にある小さなプレハブで供花を売っているオバさんも暇そうにしてたっけ。ごめんね、オバさん。こっちを見てたのは分かっていたけど、アタシは花を買わないの。だって墓の住人が生前に「枯れると寂しいから要らない」って言ってたからサ。
『J-26』と書かれた小さい金属プレートが足元に見える。これが今のアンタの住所だよ。随分と簡単になったもんだねぇ。
「……最近はかがむ姿勢も楽じゃなくてね」
腰を折り、墓所に敷き詰めた玉石の隙間から生える小さな雑草をこまめに抜き取る。1本1本はまるでカイワレ大根のような細かさだけど、2ヶ月に1回くらいしか来ないから、なるべく早めに摘んでおかないと目立っちゃうしね。
粗方雑草を引き抜いてから小さく手を合わせ、ポケットから愛用のスマホを取り出した。
最近はバッテリーの減りが早くなったから買い替えもしたいんだけど、『データの移行』とか言うのがよく分からなくてね。正月に孫娘が遊びに来たら、一度相談してみるよ。
ボイスレコーダーのアプリを立ち上げ、再生ボタンをタッチする。
すると――。
あれは去年の10月頃だっけ。アンタが医者から余命半年の宣告を受けた帰り道だったねぇ。それはよく覚えてるよ。アンタの運転する車の助手席で、アタシは柄にもなく混乱していたから。
「寄りたいところがある」
そうアンタが突然言い出してさ。何の事かと思っていたら、ここの霊園だったわけよ。そう、アンタが眠るJ-26には『先客』がいたの。
「お義母さんの墓参り? 言ってくれれば霊園の入り口で安いお花くらい買って来たのに」
軽口を叩く声が震えてたのは、寒さのせいだけじゃないと思う。
「……いや、花は要らない。単なる草むしりだから」
アンタは振り返りもしなかった。
「お前には黙っていたが、2ヶ月毎くらいにはこうして雑草を取りに来ているんだ」
「……お盆にお坊さんを連れて来る時には大抵いつも綺麗だから、そういう時の前に片付けてるのは知ってたけど、そんな頻繁に来てたの?」
義母がこの世を去ってからもう7,8年になるが、そんなに足繁く通っていたとは知らなかった。
「お前も知ってるだろ? 母さんが庭に雑草が生えるのを極端に嫌ってたのを」
「そうね」
ええ、知ってますとも。特に病床についてからは『庭の雑草が……』と常にボヤいてましたからね。……掃除するのはアタシなのに。
あーあ、ヤな事を思い出させてくれるじゃないの。
「死んだらさ……できないだろ、草むしりとか。新たな自分の庭なのに」
そうブツブツ言いながら、アンタは老眼鏡どころか虫眼鏡が要りそうな小さな双葉を引き抜いてたっけ。
「だから、せめてストレスが溜まらないように草引きだけしに通ってんだよ」
「……いいじゃん、少しくらい生えてたって。周りなんて雑草が育って樹になっている墓とかも普通にあるんだし」
お墓なんて、年に1回も参れば十分だと思ってたけど。
「そういう『墓を放ったらかしにするヤツ』はいずれ自分も墓に入る身分だってことを理解してないんだよ。そういう死生観なんだろうさ。それに……」
ぶっきらぼうに続けたっけ。よく覚えてるよ。
「ストレスが溜まって『草を引け』って家まで来られても迷惑だろ?」
「うん、それは同意する」
本人が眠る墓前だけど、思わず納得したっけね。
正直なところ、確かにあの顔を二度と見たいとは思ってないわ。特に、死んでからなんて。
「……で、何? 今更そんな秘密を暴露してどうしろと? アタシに引き継げって言いたいの?」
「できれば」
自信のなさそうな、小さな声だったっけ。
「……考えとくわ」
義母のためだけなのなら、家に怨霊退散の御札でも貼って後は放置確定なんだけど。
「お前、いつも使っているスマホ持っているか?」
突然、アンタが真面目な顔をして振り返った。
「ボイスレコーダーのアプリが入っているんだろ? 俳句のメモ帳代わりにしてるって言ってたヤツだ」
「……あるけど。どうするの?」
チェック柄のノート型カバーに入ったスマホを渡すと、アンタは少し離れた場所まで移動して、何事か吹き込んでから戻って来たわね。
「これ、渡しておくから。そんで、もしも気が向いて墓の草引きをしてくれたならその後でこれを再生してくれ。そうしたら、毎回お前にお礼が言える」
「呆れた……アンタ、馬鹿じゃないの? 今ここで言えばいいじゃんか。面と向かってさ。折角まだ生きて口がきけるんだし」
何だろうね、この恥ずかしがり屋の面倒臭いのは。
「いや……何か、それだと押し付けるみたいで嫌だし」
そうぶつくさと呟いてから、墓前で小さく合掌してたよね。
「さて……」
すっかり草臥れて角がすり減ったスマホケースを開いて、ボイスレコーダーの再生ボタンをタッチする。どのファイルがそれだったか覚えておくのも面倒だから、結局あれからは一度も俳句に使えずじまいだよ。
「勘違いすんじゃないよ、アンタ。親子二代でバケて出られたら、お祓いが面倒なんで来てるだけだから。坊主を呼ぶのだってタダじゃないんだし」
ジジ……という雑音の後から、いつもの声が聞こえてくる。
《今日も草引きしてくれて、ありがとう。愛してるよ》
「……馬鹿な人だね、まったく」
頭上の空が少しだけ曇って見えたから、アタシは老眼鏡を外してハンカチで顔を拭った。
完
最初のコメントを投稿しよう!