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(二)長崎支配勘定、松山惣十郎
「長崎支配勘定、松山惣十郎である。」
長崎奉行所で一行と対面したのは、30代半ばと思しき役人だった。大奥の警護をしてきた一族らしく、すんなりとした男だ…もちろん江戸から派遣されているので、江戸言葉だ。
「江戸より参りました久石新之丞にございます。」
「工藤宇七郎にございます。」
「御天領、石見銀山山師、吉田理兵衛とその娘、お理でございます。」
「娘?」
松山が驚いたように繰り返した。
「顔をよく見せられよ。」
お理がおずおずと顔を上げると、ぱっと松山の顔が赤くなった。理兵衛のほうを向いて問いかける。
「娘に、なにゆえこのような若衆姿をさせておられる?」
「この子は唐人言葉を操る通詞でございます。わたくしの御勤めに欠かせませぬ。旅の用心でございます。」
「そうか。」
それ以上追及することもなく、松山はそれぞれの御役目へ指図しはじめた。
「おのおのがたのお役目は聞いておる。久石新之丞どの、エレキテルのからくりの調査のため、長崎の荒物、書物を扱う古物商人をお引き合わせいたそう。工藤宇七郎どのは、丸山界隈に行商がてら、蘭語の達者な丸山芸者を探すとのことだが…」
「はい。」
「身分を隠されたほうが良いだろう。平賀源内の小間物商いを手伝う職人と名乗られるが良い。有名楼閣の出入り商に話をつけよう。」
「ありがとうございます。」
「吉田理兵衛どの、蘭鉄の調査、それがしからの指示は御無用であろう。ご自由に長崎を動き、足りぬものがあればお知らせくだされ。」
「かたじけないことでございます。」
松山がお理をちらと見た。
「娘御は唐人言葉を話されるとのことだが、蘭語が読めぬと、こたびのお役目は果たせぬ。いかがであろう、滞在のあいだに蘭語を学ばれては?」
「願ってもないお話でございます。では通詞のもとに…?」
「いや、長崎には女子が蘭語を学ぶ場がある。そこに行かれよ。」
「なんと…女子に蘭語を教えておられるのですか!」
「うむ、長崎出島に出入りする芸妓たちを仕込む、見番がある。そこでしばらく、芸者見習いのふりをなさると良い。」
吉田理兵衛が凍り付いた。かわいい愛娘を、芸者見習いに、だと⁉
「他の場所で、蘭語を学ぶことはできぬのですか?」
「蘭語通詞の連中は気位が高い。娘に教えてくれと頼んでも、むずかしかろう。それにここ長崎丸山の芸妓は、吉原の太夫にも負けぬ稼ぎと学のある女たちじゃ。」
理兵衛が断ろうとしたそのとき、お理の細く高い声が響いた。
「まいります。わたくしは、蘭語を学びとうございます。」
お理の声を耳にした松山惣十郎が、また赤くなった。
「女子が蘭語を学べるのは、あそこ以外ない。そこもとは若衆に化ける太い肝持ちじゃ、芸妓見習いに化けるぐらいできよう。」
「はい。御礼の言葉もございませぬ。」
「唐人言葉と蘭語を使いこなせる通詞は男でもおらぬ。励まれよ。」
理兵衛は身じろぎもしない…あとで父娘喧嘩とならねばいいが…
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