1 良太郎79歳の3月 始まりはインフルエンザ

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1 良太郎79歳の3月 始まりはインフルエンザ

「うるせーな! たわけばーかあほんだらー!」 良太郎(りょうたろう)のこの元気な声が聞けなくなって、もう10日くらい経つ。 始まりはインフルエンザだった。 春休みに入ってすぐ、良太郎の孫のみさきがインフルエンザに罹ったのだ。 しかも、老若男女6人の赤木家。 あっという間に、良太郎の次男の良行(よしゆき)以外の全員が感染した。 そして、感染した順に順調に治っていった。この家の最高齢79歳の良太郎以外は。 良太郎は元から、糖尿病や高血圧、薬剤アレルギーなどの疾患があり、あまり体力がない。 今回は、インフルエンザだと診断されて10日ほど経つのに未だに寝込んでいる。 3日くらい前までは自分で居間に来て少量の食事も()っていた。 だいぶ良くなったと思われたのに、今では寝室の枕元にお茶を置いても飲んだ形跡がない。 同じ寝室を使用している妻の秀子に聞いても、トイレにも行っていないと言う。 「お父さん、体エライの?」 「じーいーちゃん、まんじゅう食べるー?」 「お義父さん、ご飯持ってきたよ。ここに置くから食べられるだけ食べてね」 「じいちゃーん、オセロしよー」 家族が代わる代わる声をかけるが、何も応答がない。時々体の向きが微妙に変わっているし、時々咳もしているから意識はあるのだな、とはわかる。 80歳近い基礎疾患のある高齢者。一週間インフルエンザで寝込んでいるのだ。 二日半もトイレに行く必要がないほど水分が取れないのは、命の危険ではないだろうか。 固く目を閉じ、布団を(かぶ)ったまま微動だにしない為、熱を測ることもできない。 ただ、孫のみさきと智(さとし)が声をかけた時だけは少しだけ目を開けた。
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