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 激しい苦痛とともに大きく裂けた気管からヒューヒューと息が漏れ始め、僕は声を全く出せなくなる。彼の前足がずいと胸の上に乗ってきてバキリと音を立てて肋骨が折れた。彼は僕の胸を前足で押さえたまま、左の腕をくわえて力任せに引きちぎった。もしも声が出せたなら、僕は火がついたように絶叫していたはずだ。  引きちぎった腕をそのままにしておいて、彼は生々しい音を立てながら僕の内臓を食らい始める。折れた肋骨ごと、肺や心臓も貪り食われる。それでも僕は死ぬこともできず、気を失うことすらできない。僕の意識は半ば溶解し、苦痛を訴えるただの肉の塊でしかなくなる。  痛い、痛い、痛い。  ちらちらと煉獄の炎が脳裏で揺れる。全身を焙る激しい業火の中で、僕は声にならない悲鳴を上げ続ける。  幾片かの骨を残し、跡形もなく食い尽くされ……。  禍神が舞い降りたあとの神殿の様子を、長老エジームは頭の中でそう描写していた。老いた瞳に恐怖をたたえて。  もちろん僕はそんなことにはならなかった。  再び人の姿になったバードが、真剣な顔つきで、僕の身体を修復していた。損傷した部分を順番に手で触れていく。細胞が盛り上がって骨を包み、新しい血液が脈打ち始める。内臓は既に修復を終えていた。ちょうど手足の筋肉を順に組成していっているらしかった。  彼は僕が目を開けたのに気づき、困惑したように口を開いた。 「もう少しの間、気を失っていてくれればいいのに」  僕はまだ口が利けない。気管はまだ切り裂かれた状態のままだった。けれどもさっきと違って痛みは耐えられないほどではなかった。バードの食事が既に終わっているからだ。  禍神は生贄の苦痛や恐怖や憎しみや悲嘆や絶望や、その他もろもろの強い感覚や感情を何倍にも増幅させる力を持つ。彼らは犠牲者が命を落とすまでの短い時間、可能なかぎりそれを増幅させることで、飢えを満たすのだ。  僕はバードを憎んではいない。多分恐怖もそんなには感じていない。だからただ苦痛だけが増幅される。神経が焼き切れるような苦痛だけが、彼の糧となる。  飢餓から解放された彼のエネルギーのポテンシャルは今は安定している。だから傷の修復ぐらいは苦もなくできてしまう。それでも彼は声をかけるのもはばかられるぐらいに真剣な顔をして、その作業にいそしんでいる。  そこには夕べのマールの面影はみじんもない。濃い鳶色の髪を持ち、エジプトだかモロッコ人だかみたいな浅黒い肌をしたハンサムな青年の姿だ。彼が普段人の姿を取るときの姿なのでこちらも見慣れている。もともとは誰かの姿を写し取ったものなのか、そうでないのか僕は知らない。
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