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彼の旅は、順調だった。一代で航空業界を、のし上り、成功を収めた男の一人旅。一般的には『寂しい奴だ』っと思われるかもしれないが、この一人旅は、“今”の彼にとって、とても重要な事柄なのであった…。
砂漠の一本道を車で直走っていた彼は、車を路肩に停めた。そして、車を降りると、左右を大きく見渡して、その場で考え込んでしまった。右手で口を覆い、険しい顔をしていると、背後から声がした。
「ケッヘッヘッヘッヘッ…。お困りのようだね…」
彼が振り返ると、そこには不気味に笑う老婆が立っていた。
「な、なんだ、婆さん…。俺に何か用か…?」
「いやいや、困っているなら、助言をしてやろうと思っただけだよ」
「助言だって?」
「そうさ。どちらに進もうか悩んでいたんだろう?」
彼は図星だった。
「この道を行くものは、必ずこの十字路で、一度立ち止まるんだよ。皆んなそうなのさ」
「ほう…」
「何、この看板に書いてある通りさ。左に行けば、過去に行ける。そして、過去を改められるんだ。誰だって改めたい過去の出来事が、一つや二つくらいは、あるものさ。現状をより良くしたい者は、迷わず左に進んで行くんだよ」
彼は、自らの過去を振り返っていた。確かに老婆の言う通りなのだ。頭の中では、『あの時、こうしておけば良かった!』と思える事が、すぐに数個浮かんできたのだ。
「この十字路を真っ直ぐ行けば、現状を突き進める。この道を通る者は、皆んなそうさ。現状には、満足している。富も名誉も、たんまりあるが、“今”を失う事を恐れている。現状を維持したまま、幸せに暮らしたい者は、この道を真っ直ぐ進んで行くよ」
彼は、現状を振り返った。決して恵まれた環境ではなかったが、自身の才能と努力で、現在の富と名誉を手に入れたのだ。苦労して手に入れた、“今”を決して『失いたくはない!』と、ゆう気持ちを少なからず持っていた。
「そして、右に行けば未来に行けるよ。アンタらみたいな成功者には、結構多いんだよ、自分の未来に興味を持つ者がね。
確かにそうだ。未来に行く事が出来れば、さらなる成長だって可能なんだから」
「?どう言う事だ?」
「ケヘヘッ…。つまりはね、今の財力と名誉を持ったまま未来に行けるのさ。たとえ、そこが自らにとって酷い未来だったとしても、何とでも、やりようがあるって事さ。未来の進化した技術や理念で、さらなる成長が見込めるんだよ」
「なるほどな…」
男は、さらに考え込んだ。
「フッフッフッ…。悩むがいいさ。何せ、ここから先は、引き返せないからね…」
その時であった。真っ暗な高級セダンが路肩に停まって、一人の男が降りて来た。
「何だい、ここは?」
彼は、その男を知っていた。その男は、大手自動車メーカーのCEOで、その才能と手腕で、このメーカーを世界トップクラスのシェアにまで引き上げた、やり手の人物なのだ。
「ケッヘッヘッヘッヘ…。ここはだね…」
相変わらず不気味に微笑みながら、老婆は、先程彼にしたのと同じ説明をCEOの男にもした。そして、老婆の話を聞き終わると、CEOの男は、車に乗り込んだ。
「お、おい!もう行くのか?」
「ああ。俺は過去へ行く。十年前、俺は、守りに入ってしまったのだ。あの時、もっと設備投資を、しておくべきだったのだ…!そうしておけば、今頃俺は…、まぁ、そうゆう訳だ。じゃあな!」
そう言うと、CEOの男、は勢い良く十字路を左に曲がって行ったのだった。
“キキッー!”
ブレーキ音がした。真っ赤なスーパーカーが止まって、中から容姿端麗な女が降りて来た。彼は、この女の事も知っていた。コスメ業界で、多くのセレブや女優からの支持を得ている化粧品メーカーの敏腕社長だ。
「ケッヘッヘッヘッヘ…。この十字路はだね…」
老婆は、この女社長にも同じ話をした。女社長は、老婆の話を聞き終わると、車に乗り込んだ。
「も、もう行くのか⁈」
「ええ。何も悩む必要なんて無いわ。私は、真っ直ぐ進むの。だって、今の私が一番美しいのよ?過去の幼い私も、未来の老けた私も嫌だもの!じゃあね〜♪」
そう言うと、女社長は勢い良く十字路を真っ直ぐに進んで行った。
“バムッ!”
ドアが閉まる音がした。振り返ると、大男がトラックの脇に立っていた。彼は、その男も見覚えがあった。荒野を次々と開拓してゆき、世界でもトップクラスの面積と収量を誇る大農園のオーナーだ。
「何だ何だ⁈何を立ち止まっている⁈」
「ケッヘッヘッヘッヘ…。ここはだね…」
大男は、老婆の話を聞き終わると、トラックに乗り込んだ。
「もう決めたのか⁈」
「ああ!俺は未来に行くぜ!現代の気候や環境の変化は、この惑星全体の重要な問題だ!俺みたいに自然環境に左右されやすい業種は、その年々でどうなるか分からないから、未来に行って、様々な事象を見極めて、さらなる成功を掴むのさ!ガハハハッ…!
あと、お前さん!分かっているとは思うが、出来る奴ってのは、判断が速くなくっちゃ、いけないぜ⁈じゃあな!」
大男のトラックは、土煙を巻き上げながら、十字路を右に曲がって行った。
「あ、あのぉ…」
振り返ると、メガネをかけたか弱そうな男が自転車を押しながら立っていた。その男は、小さな島国の長で、代々世襲して来ている何代目かの男であった。
「ケッヘッヘッヘッヘ…。ここはだね…」
長の男は、老婆の話を聞き終わると、Uターンして、今来た道を引き返そうとし始めた。
「ひ、引き返してしまうのか…⁈」
「はいぃ…。ここでの判断は、とても私一人では、決めかねますので…。一度、国に戻って議会で、検討をしたいと思います…」
長の男は、そう言うと自転車で、今来た道を帰って行った。その様子を、呆然と見ていた彼に、老婆は捲し立てるように言う。
「さぁ…!どうするんだい…⁈これまでの四人はある意味で、皆んな正解なんだよ…!さぁ!アンタの正解は、どの方角なんだい…⁈見せておくれ…!」
何やら嬉しそうな老婆に、彼は言った。
「そうだな…。でも、俺はもう、どこに向かうかは決めているんだよ…」
「ほう…!で、どっちに行くんだい…⁈早く見せておくれ…!」
「ああ。だが、少し待ってくれ」
「?」
そう言うと、男は車に乗り込んで、タッチパネルを操作し始めた。
“ガション、ガション!ウィーン!キュイーン…、ババババババババッ…!”
すると、男の車は、瞬く間にヘリコプターへと形を変えた。
「な、何だい…、それは…⁈」
「悪いな、婆さん。俺は、この変換式ヘリコプターで、今の富と名誉を手に入れたんだ。つまり、俺に道なんてものは、必要ないんだよ…!じゃあな!ハハハハハハッ…!」
男は、ニヤリッとして、空の彼方へと消えて行った。老婆は、いつまでもヘリコプターが飛んでいった空を呆然と見上げていたのであった…。終
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