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仕事を終わらせた男は、疲れた体を引きずりながら帰宅した。
リビングに行くと、まだ電気をつけていない部屋の中に、カーテン越しの月明かりに照らされた謎の成人男性らしき人物が綺麗な姿勢で立っていた。
「誰だ、お前……っ!!」
男がそう叫ぶと、謎の人物はお手本のようなお辞儀をした。
「私、寿命泥棒をしております後藤アキラと申します。以後、お見知りおきを」
「寿命泥棒? 何だ、そのふざけたものは!?」
「ふざけたものなんかじゃないですよ〜。泥棒と名前についてますが、ちゃんとした職業なんですわ」
後藤は、狐面を彷彿させるような笑みを浮かべて、男に一歩一歩近づく。
「とある方からのご依頼で、貴方様の寿命を盗んでくれと頼まれまして、この度お会いしに参りました」
「寿命を盗む……? そんなこと、できるわけが……。それに誰だ、そんな依頼した奴は!?」
その問いに対して、後藤の口から出た依頼主の名前を聞いて、男は暑くもないのに汗をかいた。
「お知り合いですよね?何せ、貴方様が殺したお相手なんですから」
「何で、殺したことがバレてる!? まだ、警察すらアイツが死んだことに気づいてないのに……っ!!」
というわけで、と後藤はスーツのジャケットの胸ポケットからスポイトを取り出した。
「ご依頼主様から、貴方様の残りの寿命全て盗めるだけの報酬をいただいておりますので、誠に残念ながら、今から天寿を全うされることになりますね」
男が避ける間もなく、スポイトが男の胸の真ん中に突き刺された。
スポイトを刺された男は1ミリも動かなくなり、されるがままーーーースポイトで寿命を吸い取られる。
「スポイトやと、少しずつしか吸い取れんから不便やわ〜。もっと便利なの、あらへんのか?」
愚痴をこぼしながらも、後藤は真面目に仕事をこなしていく。
寿命を全て取り除くと、直立不動だった殺人犯の男は、バタリと倒れた。
「これにて任務完了〜。円間さん、褒めてくれへんかなぁ」
寿命泥棒の男ーー後藤は霧散するように部屋から姿を消した。
男から寿命を盗んだあと、後藤は深夜の静かな公園の古びたベンチで、上司の円間を待っていた。
円間は、赤茶色のウェーブのかかったロングヘアーのクール系美女で、生活も冷静沈着ーーというより冷徹だった。
円間という呼び名が名字なのか、下の名前なのかも分からないような謎のヴェールに覆われた女性だが、後藤は円間に惚れている。
待つこと5分。歩いてきた様子もなく、突如、後藤の目の前に円間が姿を現した。
「回収した寿命は?」
「ちゃんと保管してますよ〜。すぐに密封したので、鮮度もバッチリです!!」
後藤は黒いジャケットから、シンプルなデザインの小瓶を取り出した。小瓶の中身は人間には目にすることができない。
「やっぱ、殺人鬼の寿命って嫌な色してますねぇ……。こんなの欲しがる人がいるんですか?」
「貴様には関係のないことだ。じゃあな」
「えっ、ちょ、待……っ!!」
「何だ?うるさい……」
「こう、何ていうか。もっと頑張ったなとか、良くやったなとか、褒め言葉はあらへんのですか!?」
「労働は義務だ。それを褒める必要がどこにある?」
そう言い残して、円間は夜風と共に姿を消した。
「冷たいわぁ、円間さん……。まぁ、そんなところも魅力的なんやけどね!」
円間は現世から、とある場所に帰還していた。
「お帰りなさいませ、閻魔大王様」
「ただいま、戻った」
そこは、あの世の底ーー地獄。
円間の正体は、地獄の閻魔大王であった。
「あいつに寿命泥棒の仕事をさせるためとはいえ、女のふりをするのは面倒だな。しかも、もう元の姿には戻ることもできやしないしな」
「でも、そのお姿は地獄で働く鬼たちにも人気があるみたいですよ」
円間の側近は、そう苦笑した。
「ところで、あの寿命泥棒の働きはどうです?」
「あぁ、そこそこ優秀だよ。さすがはーー元は軍神だっただけのことはある」
円間が、後藤ーー当時は名前さえも失った元軍神の男に声をかけたのは、終戦間もない焼け野原でだった。
その元軍神は、戦国時代には自身を信仰する武将たちに武運の加護を施し、勝利へと導くことで有名な神様であった。
しかし、時代が進み、化学兵器が主流となった世界大戦では、その軍神の加護は力が足りなかった。
それ故に、軍神だった男は人々からの信仰を失い、見捨てられ、必要のない神だと判断された彼の神社は焼き払われた。
そうして、男は神でも人でも妖怪でもない、呼称のない存在へと成り下がったのだった。
「貴様、何もやることがなく、死ぬこともできず、何の目的もない生を送るのと、私の部下になるのと、どちらかを選べ」
「お前さん、何者だい……?」
「私は円間。人間や亡者から依頼を受けて、生者から寿命を盗む仕事を作った者だ。それで、貴様には寿命泥棒の助手を頼みたい」
「寿命泥棒ねぇ……。よく分からんが、生きているのに死んでいるかのような今の暮らしよりかは楽しそうだ……。良いよ。やりますよ、寿命泥棒」
そうして、円間と後藤アキラと名付けられた男は、上司と部下の関係になったのだった。
今日の後藤の仕事は、あまり気分のいいものではなかった。
何故なら、依頼主本人の寿命を盗むという任務だったからだ。
何でも認知症になったから、子供や孫たちに迷惑をかけないよう、早くあの世へ行きたいらしい。
「何で神様って奴は、人間を苦しめるような病気をこんなにたくさん作ったんやろう……」
後藤はモテるために練習した関西弁で、そう呟いた。
深夜の介護施設に扉も開けず、すぅっと通り抜けて侵入した。
目的の部屋に入ると、優しそうな老婆が後藤に笑顔を見せた。
「こんばんは。お前さんが寿命泥棒さんかえ?」
「そうでございます。……本当によろしいんですか?貴方様の寿命を盗んで……」
「いいんだよ。人に迷惑をかけて生きるぐらいなら、死んだほうがマシさ」
それに、と老婆は言葉を続けた。
「早く天国にいる旦那に会いたいのさ」
「……かしこまりました。貴方様の残りの寿命を全て盗ませていただきます」
「あぁ、頼んだよ。糸目の兄ちゃん」
「糸目はコンプレックスなので、言わないでください」
寿命を吸い取るスポイトの中でも、今日は特に値段の高い、命を吸い取られる間に心地良さを感じれる品物を、後藤は用意してきたのだった。
それを使い、老婆から寿命を盗む。
「兄ちゃんは神様かえ?それとも天使かえ?」
「それは、自分でも分かりかねます」
「私はね、昔に軍神様に空襲の炎から助けてもらったことがあるらしいんだわ。私の母は人ならざる存在が見える人でね、そう教えてもらったのさ。その軍神様の神社は終戦後、可哀想に役立たずな神などいらないって焼かれちまってね……。でも、私の一族だけは今でも神社のあった場所に毎日お供えものをして、手を合わせてるんだよ……」
老婆は、瞳から涙を流した。
「軍神様を守れなかったことが悔しいんだ……。今、軍神様は何処で何をされているんだろうねぇ……」
気がつけば、後藤の瞳からも涙がこぼれていた。
だが、後藤には何故、自分も泣いているのかが理解できなかった。
「旦那様に会えるといいですね」
「あの世で浮気してなきゃ、いいんだけどねぇ」
そう最期に笑って、老婆は亡くなった。
「ーーーーってことがあったんですわ。何で俺、あの時泣いたんか分からへんのですわ」
「……依頼主に感情移入したんじゃないのか?」
「うーーん……。それとは違うような気がするんやけどなぁ……」
「ほら、次の依頼だ。行ってこい」
「はいはい、分かりましたよっと」
円間は、仕事に向かう後藤の後ろ姿を見つめた。
件の老婆の一族の信仰心のおかげで、今も何とか後藤は消えずにいる。
その真実は、閻魔大王の心の中に仕舞われた。
亡者たちの絶叫が扉越しに微かに聞こえる執務室で、閻魔大王ーー円間は帳簿を睨んでいた。
「目標運営費まで、あともう少しか……」
何故、円間が寿命泥棒という職業を作ったかというと、それは地獄の運営費を増やすためだった。
近年、地獄に落ちる人間が増えすぎていた。
それ故に、地獄で働く鬼たちに支払う給料や、地獄の住人の増加に合わせて、地獄の面積の拡張のための経費など、出費が増え、そのため、神々から与えられる報酬だけでは、地獄の運営が危うくなってきていたのだった。
そこで思いついたのが、寿命泥棒という商いだった。
世の中は残酷で、生きるべき善人が早くに亡くなり、生きる価値のない極悪人が長生きをしたり、神に与えられた長過ぎる寿命に苦しむ人間などが存在し、それを逆手に取り、始めてみた仕事だった。
生者、亡者問わずに営業に回り、来世の寿命を報酬として依頼主が望んだ人物から報酬に見合った分だけの寿命を盗むという業務だ。
盗んだ寿命を買い取ってくれる神が存在し、それで何とか地獄の運営費を増やしていた。
最初は寿命泥棒の仕事を円間が1人でやっていたのだが、地獄の閻魔大王と寿命泥棒の両方の仕事を両立させるのは、予想外に大変だった。
そこで、寿命泥棒の助手を探すことにした時に出会ったのが、元軍神の神格を失い役目も名前も失った男ーー後藤アキラだった。
後藤は、円間にとって都合のいい存在だった。
神格を失ってはいるが、とある一族のおかげで消えずにいる脆弱な人間よりは強い存在。そして、神ではなくなったことで、立場も円間より格下の存在となっていた。
そんな後藤だからこそ、寿命泥棒の助手を任せられる。
現在は、営業や取引は円間が行い、現場での盗みの仕事は後藤が担当している。
盗んだ寿命を買い取ってくれる神々が、それを何に使用しているのかは閻魔大王である円間には知ることができないし、興味もなかった。
何せ、円間には神々の思考など理解できないし、理解するつもりもなかったのだから。
円間と出会ってから始めた寿命泥棒という仕事。
最初は都合のいい暇つぶしだったが、盗んだ寿命は何に使われているのか教えてもらえず、そのこともあって、自身の在り方について後藤は考えるようになった。
復讐のために被害者からの依頼で罪人から寿命を盗む任務はやり甲斐を感じるが、先日の老婆のような仕事は心が痛む。
『自決なんか褒められたことじゃない。最後の最後まで生き残ることを諦めずに戦い続けろ』
ここ最近、幻聴のように頭の中に響くようになった言葉は、何を意味しているのか分からず、それが後藤を更に悩ませていた。
心が痛む依頼をしてきた者たちの墓参りをするのが、後藤の心の傷みから逃れる術だった。
今日は先日の、とある軍神を唯一信仰している一族だという老婆の墓参りに来ていた。
目的の墓を目指していると、先客がいることに気づいた。
関わらないほうが良いだろうと思い、引き返そうとした後藤だったが、回れ右をする前に「こんにちは」と、挨拶をされてしまった。
無視するわけにもいかず、後藤も「こんにちは〜」と挨拶を返し、そのまま先客の青年と共に墓参りをすることになった。
墓に水を優しくかけて、手を合わす。
横に立つ青年からの視線が痛い。
「何ですか、そんなに見つめて……。穴が空きそうですわ」
「あっ、すいません!!いや、その漆のような美しい黒髪に狐面のような糸目が僕の一族が信仰する軍神様の特徴と一緒だなぁって思って……」
「へぇ……」
さっさと、この青年から離れたい後藤だったが、青年は「うちの一族だけが信仰する軍神様の話を聞いてくれませんか?」と引き止められ、青年から逃れることは果たせなかった。
「祖母の母は、霊感が強い人だったみたいです。幽霊はもちろん、妖怪や神様の姿も見えるし、会話もできる人だったそうです」
「へぇ……」
「祖母も空襲の時、この辺りで信仰されてた軍神様に助けられ、祖父も海軍に入隊するとき、その軍神様からお言葉をいただいたそうです。『自決なんか褒められたことじゃない。最後の最後まで生き残ることを諦めずに戦い続けろ』と……」
後藤は、言葉を失った。
頭の中に流れ込んでくる記憶。
成人女性と、まだ未成年だろうと思われる軍服姿の少年の姿。
「このお言葉を守って、祖父はどれだけ上官から厳しい罰を受けても、特攻隊には志願せず、戦争が終わるまで戦い続けました」
僕が、こうして生まれてきたのも、その軍神様のおかげなんです。
後藤の瞳に涙が滲む。
救いたかったのに、散ってしまった命は数えきれないほどだった。
そんな、役立たずな神だった自分にも、守れた命があったこと。
そして、今も恩を忘れず、自分を信仰してくれている存在がいること。
その事実は後藤の心を温め、瞳の水分量が増えてきたが、青年の前では泣きたくなくて、後藤は夏の青い空を見上げた。
「円間さぁん。これからは営業と取引も、俺に任せてもらえまへん?」
「何でだ?」
「自分の仕事は、自分で選びたいじゃないですかぁ」
そう笑みを浮かべる後藤を、円間はじっと見つめた。
「何か、あったか?」
「あ、俺のプライベートに興味あります?うれし……」
「そんなものはない。……まぁ、良いだろう。これからは貴様に一任する」
「ありがとうございます〜!」
もう、自分は神に戻れない。
人間にもなれない。
そんな半端者でもーー。
「命ある者たちを救う。今度こそ……」
寿命泥棒という閻魔大王の都合のいい駒が、寿命泥棒という英雄になるのは未来の話。
寿命泥棒の後藤の戦いは、まだ始まったばかりだ。
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