1.初めての職質

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1.初めての職質

 桜前線が勢いよく日本を通過し、華やかに咲き乱れた桜が早くも散り始めた頃。雲ひとつない晴れ渡る空がオレンジ色から藍色へと変わり、家々からは様々な夕飯の匂いが漏れていた。  そんな中を、小さなコンビニ袋をぶら下げた松原忌一(まつばらきいち)はひとり、大通りから一本入った閑静な住宅地にある小さな公園へと入り、寂しげに二つだけぶら下がっているブランコのひとつへと、おもむろに座る。ビニール袋には晩飯となる予定のカップラーメンと高菜のおにぎり、そしてお茶のペットボトルが入っている。そんな彼の頭上からは、侘しさを演出するように桜の花びらがハラハラと舞い降りていた。  四方を住宅に囲まれたこの公園は、二人掛けのブランコとシーソーが一台ずつに、あとは砂場くらいしか遊具がない。植木や花壇は申し訳程度にしかなく、桜の木もブランコの隣に一本だけ佇んでいる。公衆トイレは男女其々一人分の個室しかないものが隅にちょこんと建つだけで、敷地内は中央に一台だけの街灯の明かりで、概ねぼんやりと照らせるほどだ。  もちろんこんな時間にこの公園に居るのは、いい歳してニートな忌一くらいである。  家に帰ればもうすぐ養父(ちち)が帰宅するだろう。精密機器部品メーカーで働く忌一の養父は、最近仕事が忙しくないのか、以前ほど残業で遅くなることはめっきり少なくなっていた。なので近頃は帰りがけにスーパーへ寄って酒のつまみを買っては、毎晩家で晩酌をしている。  今帰れば養父との晩酌に間に合うだろうが、ここ数日バイト先を無断欠勤している忌一にとっては、到底そんな気にはなれなかった。 「どうするかなぁ……」  足元に向かってポツリと呟く。期待した返事はなく、忌一の言葉は静まり返る公園へと吸い込まれた。  忌一が悩んでいるのは、世間一般でよくある「仕事を辞めようか、どうしようか」といった単純なものではない。彼が勤めていた警備会社の取引先にが居たことで、現在身の危険に晒されているのだ。その上こともあろうか、職権乱用でそいつに自宅がバレ、一度自宅にまで来られている。  このまま実家でニート生活を続ければ、いずれまた奴が訪れて養父にまで危険が及ぶかもしれない。家を出るとしたら部屋を借りなければならないが、仕事を辞めれば当然部屋など借りられるわけがなかった。 「伝手(つて)が無いわけじゃないけどな」
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