第二話

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二軒隣の人に聞いたことがあります。あれは中学校三年の時です。 プリントは祖父母のポストに入れておきます。 戻ってきたのを学校に出すのですが、何度出しても戻ってこないのがありました、それが三者面談です。 学校には、高校にはやらないからの一点張りで電話応対だけで切られていたそうで。先生が面倒くさそうに来たのを覚えています。 虐待とかあったら困るという事で、先生が近所の方に聞いて回っていて、その方に聞いたのです。 偏屈で、人と関わりたくない、町内でも、浮いた存在の祖父母。娘、私のお母さんがいたときはまだよかったという。 その時に、裏口に住んでいるのかと聞かれた、それがどういうことなのかわからなかった。 お爺ちゃんが関西にある大学の研究で行き詰まった時に、娘を殴りつけ、キッチンだけを囲ってそこに住むようにしたらしい。泣き叫び謝っている声が何日も聞こえ、警察を呼んだというのを近所の人に聞いた。 しつけだからほっといてくれという父親に帰るしかなくて、私たちが何度も見に行ったのよなんて言う。それからはその叔母さんとは挨拶をかわす程度でいる。 結局先生は会えなかったのだけど、何度も来てくれて、とうとうじいちゃんが折れて出て来た。先生の隣に立つ私に「高校へ行け、それでいいだろう」といってピシャリと戸を閉めた、先生もあきれていたけど、ね、難しいでしょ?適当にお願いしますと先生に頭を下げたのだった。 学校は好きだった。 人がいっぱいいるのが楽しかった。 給食もおいしかった。 今になって考えます。なぜ母は、親と一緒に住んでいるのに、こんな風に別に過ごさなくてはいけなかったんだろうか?母は、二人の元を家出してまで、仕事をして自立しようとしていた。でも、十七で私が生まれて、それでも必死に育ててきて。私の手が、こんなことにならなかったら、私は母と今頃幸せに生きていたかもしれない…… 生きていけたのかな?…… それを知るすべはありません。 私は、漫画の中の家族にあこがれてきました。サザエさん、ドラえもん、ちびまる子ちゃん、クレヨンしんちゃん、どの家族も私にはない家族で、一生知ることのない家族です。 それと、左手です。 義手、結構します。体が大きくなるからそれに合わせて作るのも、大変な作業だ。たぶん、今あるこの二本で終わり、あとは自分で稼ぐしかない。 もちろん障碍者として国からの補助もあったのでこうして学校にも行く事ができたので、感謝はしています。 祖父母も年金暮らし。毎月生活費はもらっていますが、それも覚悟しています。 私は一人、誰にも愛されることはないのですから。 だから、妄想の世界に入れるものが好きなんです。妄想の中なら何をしてもいいんです、だれにも迷惑をかけない。 だから疑似恋愛や家族ごっこをして楽しむんです。 感動して泣くことはあるけど、寂しくて泣くのはやめた、誰も慰めてくれないから。だから笑った。馬鹿と言われ続けた。 馬鹿でいい、笑ってさえいれば、人は冷たい目を向けなくなることをずっと前に知ったから。 ずっと前に、こういわれた。 お前はただ笑って黙って座っていればいい……と。 だから、いつでも笑っていた。 変なやつ! きもーい! なにへらへら笑ってるんだよ! 恐いよー! 「あっちへ行け!手無し!」 「佐々木、放課後進路指導室な」 はて、いつの間にホームルーム、ヤバイ。 「またー?」 またー、絶対こいよと言って担任は教室を出て行った。 はーい、とから返事。行ったってなー。 「がんばれー」 「資格の世の中だよ、頑張れ」 二人に背中を押され、進路指導室へと向かった。 資格ねえ、結構持っているんだよなー。 ハア。
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