上昇と下降と欄干に足をかける

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 階段は無限に続くようだった。いや、実際に無限に続いていた。  その証拠に、僕はもう三時間以上も階段を上り続けていた。 「精が出ますね」  息も絶え絶えの僕を、壮年の男が追い抜いていった。表情の判然としない、灰色っぽい男だった。  彼に追い抜かれるのは、これでちょうど百回目だった。僕も彼もどちらも同じ方向に階段を上っているにも関わらず、だ。  肺が締め付けられるように痛んだ。僕はこのままここで死んでしまうのだろうか。こんなところで、誰からも見つけられないまま乾涸びてゆくのだろうか。  どうしてこんなことになってしまったのだろうか。  薄れゆく意識のなかで、僕はあの日から今日までのことを思い出していた。    ※  僕が“初めて入った絵”は、ミレーの『落穂拾い』だった。  高校生のころ、世界史の資料集にその絵が載っていて、僕は世界史の授業中になんとなくその絵を眺めていた。  当時の僕は絵画になどてんで興味がなく、授業がつまらなくて、かといってすることもないので、ぼんやりと『落穂拾い』を眺めていた。  すると僕は『落穂拾い』の中にいた。『落穂拾い』の絵の中に入っていたのだった。  そこは見渡す限りの草原で、そこには腰を曲げて落穂を拾う三人の女性がいた。奥の方には高く積まれた収穫物の山も見て取れた。 「変な男がいるわね」  そこには青、赤、茶の帽子をかぶった女性がいた。一番手前にいた茶色帽子の女性が僕に気づくと、ほかの二人に向けてそんなことを言った。 「あら、ほんと」 「確かに、変な男ね」 「変な男、変な男」  青、赤の帽子の女性も怪訝な表情で僕のことを見た。 「あの、僕、さっきまで授業受けてて、それで……」  あまりに突然なことにもごもごとしていると、青い帽子の女性が言った。 「あなたも異国から来て、お腹を空かせているんでしょう。こっちに来て手伝いなさいよ」  そうして僕は異国の地――というよりも絵の中で、見知らぬ女性たちと落穂を拾うことになった。 『落穂拾い』の絵は何度か見たことがあったけど、実際に落穂を拾ってみると、それはとんでもなく大変な作業だった。腰は痛いし手はしびれるしお腹は減るし、二、三時間もすると僕はしんどくて立ち上がるのも難しいような状態になっていた。  どこからか、この絵から逃げ出せないだろうか。僕は出口を探してみるけど、透明な壁のようなものに阻まれて、絵画に描かれている以外の場所に移動することはできなかった。  だいたい、どうして落ちている穂なんて拾わなければいけないのだろうか。こんなことをしなくても、奥にはたくさんの収穫物が積まれているじゃないか。極限の疲労状態の中で、僕の不満は大きくなっていった。  三人の女性たちには悪いが、こんなひもじくて惨めな思いはまっぴらごめんだった。  そして次の瞬間、僕はいつもの教室で世界史の授業を受けていた。  腰が痺れていた。手には落穂の感触が残っていた――というより何粒かの穂がくっついていた。時間は数分しか経っていなかったが、僕は確かに絵画の中にいたのだった。  その日から、僕は絵画の中に入れるようになった。いや、正確に言うと自分の意思に関わらず強制的に絵画の中に閉じ込められてしまうようになったのだった。  絵画の中に入れるなんてなんて夢のある話だろうって? モナ・リザと愛を語り合ったり、モネが描いた水連を一日中飽きずに眺めたりできるんだろうって? それは間違ってるよ。  僕だって最初はいろんな絵の中に入って誰も味わったことのない絵画の中の世界を体験しようと思っていた。  だけど、この特技(というよりも呪い?)はそんなに甘いものじゃなかった。  まず、どんな絵画の中にでも入れるわけじゃなかった。  なにか条件があるのか完全にランダムなのか知らないけど、年に数回ほど、忘れた頃に突然やってくるので心の準備もできていなくて非常に困った。  そして一番厄介なのが、絵画から出る方法が分からないことだった。  ムンクが描いた『叫び』の中に入り込んだときには、出る方法が分からずに男の甲高い叫びを十数時間も聞き続けて三度気を失って、偶然絵画から出られたあともPTSDに悩まされることになった。  それでも僕は、高校ではそれまで全く興味のなかった美術部に入り、私立の美大にかろうじて合格し、そのまま卒業までしてしまった。絵画に入る体験は僕を困らせる悩みの種であったが、やはりそれは僕にとって素晴らしい体験でもあったのだ。  ただ、絵を描く才能があったかというとそうでもなく、美大を卒業したものの、僕は絵を描いて生計を立てることを半ば諦めてしまっていた。  二十三歳になった僕は流されるように、画材店でアルバイトをしてなんとなく日々を過ごす、まあいわゆるフリーターというやつになっていた。  そんなとき、バイト先の店長にもらったのが、『エッシャー だまし絵の世界展』のチケットだった。  油絵を専攻していた僕はエッシャーの版画には明るくなかったが、その名前は知っていた。紙から這い出すトカゲや下から上に向かって流れる水などの騙し絵を描いた版画が有名な画家だった。  思えば美大を卒業してからというもの、美術館や展覧会に近づいていなかった。むしろ遠ざけようとしていた。だがこれもなにかの縁かもしれない。  僕はその翌日、チケットを握って展覧会の会場へと向かった。  そして会場に足を踏み入れ、『上昇と下降』を目にした瞬間、僕はエッシャーの代表作の一つであるその版画の中にいたのだった。 『上昇と下降』について簡単に説明すると、それはひと棟の屋敷を描いた版画作品だった。  屋敷の屋上には、中庭がある中央部分を取り囲むように、ちょうど漢字の“回”のような形状の階段があった。  そこには階段を上ったり下りたりする人びとが描かれてはいるのだが、不思議なことに、その階段は途切れることなく一周が繋がっていた。つまり、そこに描かれた人びとは同じ階段を無限に上り、同時に無限に下っていたのだった。  きょろきょろと辺りを見回す僕の横を、階段を上ったり下りたりする人たちが迷惑そうに通り過ぎていった(彼らは灰色で表情がなかったが、なんとなく彼らの年齢や性別は分かった)。 「なにをじっとしてるんだ、早く上るか下りるかしたらどうだ」  僕がそこで呆然としていると、まだ若そうな男に背中を蹴っ飛ばされた。男はふんと鼻を鳴らすと、そのまま階段を下りて行ってしまった。  なんて乱暴な男なのだ。僕は憤慨するが、このままこうしていてもこの世界から出られる気配はなかった。  僕は仕方なく、乱暴な男のあとを追うように、同じ場所をぐるぐると回るようにして階段を下りはじめた。  階段を下りながら観察していると、階段には二十六人の人間がいるようだった。うち十三人が階段を上っており、残りの十三人が階段を下りていた。  彼らは全員が同じペースで足を動かしており、屋敷の幾何学的な趣と相まって、僕はその整然とした光景に一種の感動さえ覚えた。  だが、階段を下りはじめて十分ほどが経過しても変化が訪れる兆しはないため、僕は前を歩いていた乱暴な男に尋ねてみた。 「これって皆さん、なんのために階段を下ってるんですか?」  男は少し考えて答えた。 「前にいる人が階段を下ってるから、それについて下ってるに決まってるだろう」 「ついていかなかったらどうなるんですか?」 「つべこべ五月蠅いやつだな、そんなことを考える暇があったら、黙って足を動かしてればいいんだよ」 「はあ、分かりました」  さらに十分ほど階段を下りてもなにも起きないので、僕は男からそっと離れ、逆に階段を上ることにした。 「精が出ますねえ」  勢いよく階段を上っていた僕に、後ろにいた男が声をかけてきた。 「どうしてもここから出ないといけないんで」  僕は男に歩幅を合わせて答えた。足にはかなり乳酸が溜まっていた。 「ここから出る? どうしてそんな必要があるんです?」 「だって、こんなことを続けていても意味なんてないじゃないですか」 「意味があるかないかがそんなに重要なんですか?」 「だって、このまま階段を上っていてもどこにもたどり着かないんですよ」 「どこかにたどり着かないと階段を上ってはいけないんですか?」 「それは……」  僕には答えられなかった。男は諦めたように先を歩いていってしまった。  それからさらに十分が経ち、二十分が経った。少し休んで、僕はまた階段を上った。そのまま一時間、二時間と経過し、僕が壮年の男に追い抜かれるのも百回目を数えてしまった――。    ※  ついに限界が訪れた。  僕はその場に倒れ込んで、一歩も動けなくなってしまった。人びとが迷惑そうに僕のことを跨いでいった。僕はその場で嘔吐して、落ち着くとそのまま階段に大の字になって転がった。空腹で胃が痛かった。僕は本当にこのまま死んでしまうのだろうか。  階段に横になったまま上空を見上げる。そこには空も天井もない無機質な空間が広がっていた。  ミレーの『落穂拾い』の中で見た空は高かった。僕は唐突にはじめて絵の中に入り込んだときのことを思い出した。  あのときは知らなかったが、あの絵は、当時フランスにいた貧困層を描いた絵であるという。  自らの土地を持たない貧しい寡婦や貧農、異国民の権利として当時あった、刈り取った後の畑に散らばる落穂を拾う姿を、あの絵では描いているという。それは当時、そうせざるを得なかった人たちの権利だった。  そこでふと、僕の頭に閃くものがあった。  あの絵から出る直前に、僕は“こんな惨めな思いはしたくない”と思ったはずだ。そしてそれは偶然にも、あの絵が描こうとしたであろう本質に肉薄していたのだ。  ひょっとして――絵画が描こうとしたものへの共感こそが、絵の中から外に出る条件ではないだろうか。  僕は疲労も忘れてその場から起き上がった。  そこでふと、僕の目に映るものがあった。  これまで階段の上り下りをすることで精いっぱいで気が付かなかったが、屋敷には階段を上り下りする二十六人のほかにも、二人の人間がいた。  一人は地面から屋敷へと繋がる階段に腰かけて佇んでおり、もう一人は屋敷のバルコニーに立ち、欄干に背を付けて階段を上り下りする人を見上げていていた。  僕はその階段の人たちを見上げる男(それは二、三十代男のように感じられた)に、どこか自分と近い匂いを感じた。僕は慎重に屋敷の屋根を伝って、その男の元へと向かった。  男は僕に気づくと、少し驚いた様子を見せた。この版画の中の世界では、客人は珍しいのかもしれない。 「ここでなにをしてるんですか?」おそるおそる、僕は彼に尋ねた。 「見てるんだよ。階段を上ったり下りたりしている人を」 「見てるって、どうしてですか?」  しばらくの沈黙のあとで、男は答えた。 「僕もあそこに行って、階段を上ったり下りたりした方がいいのか考えてるんだ」  男は少し寂しそうに笑うと、また顔を上げて階段のほうを向いてしまった。  僕はその横顔(実際は灰色の能面な顔なのだが)に見覚えがある気がした。  その男は、子供のころは病弱で、療養施設で長い時間を過ごしたらしい。その後も学校に興味を持てなかった彼は二年間の留年を経験してからグラフィックアーティストになったが、長らく収入が乏しく、両親や義理の両親から経済的な支援を受けていたという。  そんな彼が、人びとが当たり前のように学校に行ったり仕事をしてお金を稼いだりすることに対して、疎外感を感じていなかったと言えるだろうか。  この絵の本質とは、そのような“世界からの疎外感”であり、それはこの景色を版画として描いた、目の前に立つエッシャー自身が覚えていた感覚なのではないだろうか。  僕は彼に向かって言う。それは僕がずっと、そう信じたかったことだった。 「階段なんて、上りたい人が上ればいいし、下りたい人が下りればいいと思いますよ。だってこの屋敷にも階段以外の部分が描かれているじゃないですか。それは、あなた自身も、人生が『上昇と下降』だけじゃないことを理解しているからでしょう?  本当の世界はもっとずっと広くて、人と同じことなんかする必要ないって、あなただって本当は分かってるんですよ」  僕はそう言ってバルコニーの欄干に足を乗せると、そこから飛び降りた。  体が落下する感覚に思わず目を閉じる。  怖かった。  それでも、僕は自分の直感を信じた。僕はエッシャーが描きたかったことの一部分でも、きっと感じ取れることができたと信じていた。  いつまでも衝撃はやってこなかった。  ゆっくりと目を開ける。そこには一枚の版画があった。  その版画にはある屋敷が描かれていた。その屋敷には、階段を上り下りする二十六人の人びとと、階段に腰かける人、そしてもう一人――。それはさっきまで僕がいたエッシャーの『上昇と下降』だった。僕は絵の中の世界を抜け出し、展示会に戻ってきたのだった。  ただ、その版画は僕が知っている『上昇と下降』と少し違っていた。  僕が話したバルコニーにいた男は、階段を行き来する人たちを見上げていたはずだった。だが、彼はもう階段を見上げてはいなかった。  彼は欄干に片足を掛け、今にもそこから飛び出そうとしていた。ちょうど僕が絵の世界から抜け出すためにそうしたように。  僕は新しい世界に飛び出そうとする彼に心の中でエールを送ると、それ以上エッシャーの作品を視界に入れないように気を付けて展覧会をあとにした。  帰り道、僕はアルバイト先の画材店に電話を掛けた。  もう一度だけ、絵と真剣に向き合ってみたい。アルバイトはしばらく休ませてほしい。僕が矢継ぎ早に告げると、店長は「まだ若いんだから、やりたいように頑張ってみな」と言ってくれた。 『上昇と下降』が描かれた(印刷された)のは一九六〇年のことだそうだ。エッシャーは六十歳を超え、すでに世間的に認められていた。エッシャーがかつての自分自身を思い返してあの作品を作ったのか、本当のところは誰にも分からない。  ただ僕の中ではそれが真実だったし、僕が『上昇と下降』の世界に入ったことで受け取ったパワーは紛れもなく本物だった。  家に戻り、真っ白なキャンパスと向き合う。その中にはあらゆる可能があり、無限の世界が広がっているようだった。  僕はエッシャーの絵の世界で体験した感覚を思い出しながらキャンパスに筆を乗せた。  人びとは階段を上り、下りる。そして僕は――。
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