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第10話「隠しきれない個人情報」
こほんと、ひとつ咳をしてから、高瀬さんは話しはじめた。
「西崎さん、この情報社会では個人情報を完全に隠しておくことは不可能です。」
ほんとうに相手の自宅住所を知りたいのなら抜け道はいくらでもあります」
「そうですよね! あたし、絶対に突き止めます。
男の名前と勤務先は分っているんですから、探偵社に頼めば自宅住所くらい簡単に手に入るでしょう」
「……ええ。すぐにわかりました。もう、手配済みです」
高瀬さんはA4サイズが入るバッグから、クリアケースを出した。
スミレの前に置く。
「あなたなら、そういうかと思って、あらかじめ本職の探偵社に依頼を出しました。
ここにあなたのカレ、石原文明さんの住所が書いてあります。地図も、ご家族と一緒の写真もあります。
ほんとうに知りたいのなら、お渡ししましょう。
これが事実です。真実かどうかは知りませんが、事実ではあります」
きゅっ、とスミレは手を握りしめた。薄いクリアケースの中に、スミレの知らない恋人の生活がある。妻と子を持つ男の生活が……。
あたしは思わず、スミレの手をおさえた。
「スミレ、見なくてもいいのよ。見ないで、何もかもなかった事にしてもいいんだよ? 忘れたほうがラクじゃん」
「わかってる……でも、つらくてもいい。正確な事実を知っておくことが、正しい対処法だと思う。まともな未来への近道だと思う」
スミレはクリアケースを手に取った。さすがにすぐに開けることはしない。
ぺこりと高瀬さんに頭を下げ、
「高瀬さん、ありがとうございました。これ、帰ってからじっくり見ます。
あっ、調査料金は別途振り込みますね」
「経費精算は、いそぎません。とりあえず私が立て替えてありますから、落ち着いてからお支払いください」
「ほんとうに、いろいろとありがとうございました……むつみ、ごめん、先に行くわね。うちでゆっくり、考えたほうがいいみたい」
「うん……またあした、スミレ」
スミレはぺこりと若林課長と山中さんにも頭を下げてカフェを出ていった。
その後姿を見た山中さんは、軽くうなるように言った。
「ありゃ、本気だな。だいぶやる気だぜ、どうするよ、バヤさん?」
『バヤさん』と呼ばれた若林課長はメニューをにらみながら答えた。
「どうって、あとは個人の判断だよ、僕はしらない。
あー、ミックスサンドも食べようかなあ……凪ちゃん、ここ、経費で落ちる?」
「落ちるわけないでしょ、自分で払ってよ」
なぎちゃん……って高瀬さんを名前で呼ぶ人は初めて見たな。若林課長と高瀬さん、親しいんだな。
ちょっと、うらやましいかんじ。この二人、完全にフラットな関係なんだもの。あたしと爽太さんとは全く違うかんじ……。
ちょうど体温がおなじ生物どうしがシーソーの両端で完璧なバランスをとっているみたいな雰囲気なのよね。
そんななか山中さんは大きな手で顎をさすりながら、まだ心配そうにスミレが出ていった後のドアを見ていた。
「ヤバいよ、あれ。ああいうタイプの女が本気になるとあぶねえんだ」
「へえ、めずらしいね? 山中さんが女について話すの、初めて聞いたよ」
「そうか? 俺の親友は女だぜ。
客あしらいがうまくて頭が切れるが、本気で怒ったら男一人くらい平気で狂わせる女だ」
「やだなー、そんな人と知り合いなんだ?」
「名古屋には、そいつに会いに来たんだよ、俺の後輩でもあるしな……いや、まじで怖いわ、女は……」
そんなことを聞いているうちに、あたしも怖くなってきた。
スミレ、大丈夫かな……。
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