第2話「昼休み、『賢者』は書棚の中央で恋の神様になる」

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第2話「昼休み、『賢者』は書棚の中央で恋の神様になる」

532c68bd-1064-4395-b125-b7cd33305011(UnsplashのViktor Bystrovが撮影)    あたしは同期のスミレからきた社内メールをにらみながら、考えた。  ……どうしようかな、高瀬さんに相談予約の空き状況を聞いてみてもいいけど、たぶん今月はもう一杯なんだよな……。  なにしろ、高瀬さんに恋愛相談したい人は山ほどいる。  以前は、昼休みの総務室に女子社員が列を作ったほど。  さすがに最近は業務に支障が出てはいけないということで『予約制』になった。予約はだいたい2カ月待ち。  あたしはタイミングを見はからって、高瀬さんのデスク脇に立った。音速キーボード入力の邪魔をしないように、そっと声をかける。 「あの高瀬さん、予約表を見てもいいでしょうか」 「いいけど。今月はもういっぱい……あっ、あさっての12:45からの枠に、キャンセルが出たところ」 「ありがとうございます、そこ、頂きます」  大急ぎでデスク脇にひっかけてあるノートに、スミレの名前を書き込んだ。  とにかく早い者がちだから、書いてしまわないと。  ちなみに、高瀬さんは音速でキーボード入力ができるくせに、普段の生活ではデジタル機器を使いたがらない。携帯はいまだにガラケー、SNSは一切やらず、うわさでは自宅にパソコンもタブレットもないそうだ。  まさに『隠者』の生活。  ……何が面白くて生きているんだろう?   まあいい、あたしは恋愛相談をする気がないし、仕事上の関係だけだから。余計なことまで知る必要はない。  席に戻り、スミレに社内メールを打つ。 『あさって12:45から、予約できたよ』 『まじ? むつみ、神か! じゃあ、ドバイとのミーティング時間をずらすわ』 『冗談でしょ? ドバイの顧客を待たせてまで恋愛相談したいってこと?』 『トーゼンでしょ! あんたね、今や『賢者』の予約は三ツ星レストランの個室を取る以上の難関ミッションなのよ。ありがとう!』  スミレは海外事業部のホープだ。帰国子女で英語、フランス語、ドイツ語、インドで4億人が使っているというヒンディー語がペラペラ。  冴えない私立大を卒業して総務部で働くあたしとはランクが違う。あちらは同期の出世頭。あたしはしょせん、そこらの平社員。  しかし、そんなスミレが『総務の賢者』に恋愛相談をしたがるなんて。  スミレのかかえる恋愛トラブルは深刻そうだ。 「あたしなら人に相談しないで決めるかな……」  そっとつぶやいたとき、高瀬さんは巨大な電卓をもって、総務の応接セットへ入っていった。  そこは背の高いキャビネットに四方を囲まれ、ちょっと個室みたいな空間になっている。  昼休みの『賢者』は書棚の中央で、恋の神様になる。  彼女が応接セットに入ると同時に、最初の相談者がやって来た。  総務室に入る前から、もう目を泣きはらしている。  あたしは惰性で声をかける。   「お疲れ様ですー。高瀬さん、もう『中』にいますよー」  そう言ってから、お昼ごはんをもって会議室へ向かう。今日のランチはコンビニパスタ。出勤途中で買ってきた。  社内の女子社員の恋愛相談なんて、聞きたくもないもんね。  でも、総務室を出ていく前に、もう高瀬さんが叩く電卓のリズミカルな音が聞こえた。  カタ……カタタタタ……。 「事前にいただいているエントリーシートのデータから係数を割り出しました。  あとからスプレッドシートを差し上げますが、まずは計算データだけ。  ええとですね、『突然の音信不通』マイナス210点、 『彼の新しいヘアスタイル』マイナス70点、 『週末デートのドタキャン3回』マイナス780点……」  ああ、まちがいなくそいつはダメンズね。  あたしなら付き合っている人のダメンズ係数なんて、ぜったいに計算してもらわない。  そんな必要なんてない。  付き合っている男がダメンズかどうかなんて、自分でわかるはずなのに……。  ランチのために会議室に向かう途中であたしは思い出した  今夜は爽太さんが部屋に来る日だ。  夕食の買いだしをしておこうかな……。
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