第21話「住所変更届が早すぎる」

1/1
前へ
/41ページ
次へ

第21話「住所変更届が早すぎる」

3d181b90-c838-4546-b3be-4f2c11f3f3df(Unsplashのnoah chaosが撮影)   あたしは目をぱちくりさせて、ファイルを持つ高瀬さんを見た。 「住所変更届……? 青井さんが提出したんですか?」 「そうです。現住所が『門脇むつみ方』になっているので、お聞きしておこうかと」 「……あ」  そうだった、昨日の夜、爽太さんが言っていたんだ。 『前の部屋はもう契約解除しちゃったから、住所変更しておくよ』って。 「そうです、間違いないです」 「結婚後も引き続き、そちらに住むわけですね?」 「はい」 「わかりました。実は、住所変更届はご結婚後に他の届と一緒に出せばいいと申し上げたんですが、出すとおっしゃっていました。几帳面な方ですね」    あたしは仕事を始めながら考える。  ……几帳面?  爽太さんはきれい好きだけど、几帳面ではない。面倒くさがりだ。  手続きなら一度で済ませたがるはず。  そんなひとがいったい、なぜわざわざ結婚前に住所変更届を出したの……?  ふと高瀬さんを見ると、手を止めているのが見えた。  珍しいな。普段は機械みたいに正確に時間配分を決めて仕事を進めているのに。考え込んでいるなんて、初めて見た。  微かなつぶやきが、聞こえた。 「……あわない……。  あの写真の一件だけが、きれいにおさまらないのよ。  なぜあんなにピンボケなの……?」  ……しゃしん? 何のことだろう。社内イベントで撮影した写真整理の事かな? あれも総務の仕事だし……。  仕事を進めるうちに昼休みになった。  あいかわらず『総務の賢者』は大人気。今日の一番目は営業二課の先輩女子だ。  彼女はあたしを見て、 「あら、門脇さん。おめでとう」 「はあ……?」 「結婚、決まったんでしょ? 青井君が言っていたわよ」 「……あ、ありがとうございます」  あたしの返事を聞いて、先輩はちょっと妙な顔をした。 「ごめんね? ひょっとして結婚のことは、まだ秘密だった?」 「あ、いえ。なんかまだ……ピンときていなくて」 「ふふ、幸せなのね。あなたたち付き合い始めからオープンだったし、青井君は何もかもしゃべっていたから、結婚もすぐに報告するんだなって思ったわよ」 「そですね……ただ、まだ結納が終わっていないから……」  そのとき、高瀬さんが声をかけた。 「どうぞ、お入りください」 「あ、はーい」  先輩が行ってしまうと、あたしはモヤモヤの正体が少しわかったような気がした。  マリッジブルー。  これ、マリッジブルーってやつなんだ。  つまり結婚したら、なくなる不安なのね。  ほっとして、ランチのために総務室を出た。 『賢者』の城からは、冷静な電卓の音が鳴りはじめる。 「はい、『あっても自分の話しかしない男』……マイナス330点。 『こちらの話をすると面倒そうな顔をする』……マイナス260点。 『つねにホメ言葉を強要する』……マイナス140点。 『小さな嘘を平気でつく』……マイナス730点……」  ああ。まったく。  この世にはダメンズじゃない男って、どこにもいないの?    それにしても爽太さん、会社で結婚宣言するのは結納後でよかったんじゃないかな?  まあ、これも幸せな悩みか。  うふふふふ……。  ところが、その幸せは二日後に音を立てて崩れた。  あれから一週間。  あたしはスミレの部屋に引きこもり、泣きつづけている。  人生は終わった。バラ色の未来も、すべて終わってしまった……。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!

131人が本棚に入れています
本棚に追加