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第7話「真実には、知る価値がある」
(UnsplashのLarm Rmahが撮影)
そこからは、水が流れるようだった。
高瀬さんはスミレの話を聞きながら、手慣れた損益計算書を作るときのように電卓をたたいていった。
「……はい、『会うのは月に3回と決まっている』マイナス10点……。
『会うのは夜だけ』マイナス510点……。
『デートは女性の部屋オンリー、外へ出ない』マイナス680点……。
『深夜に部屋へやってきても、ぜったいに泊まらず帰る』マイナス940点……。」
スミレの言葉はすさまじいマイナス点となって積みあがっていった。
いや、マイナスだから『積み下がっていった』というべきか。
「それから……『外食なし、女性の部屋でしか食べない』マイナス930点……。
ええとですね、西崎さん」
合計がマイナス3000点を超えたところで、高瀬さんはスミレを止めた。
「……だいたい見当がついていらっしゃると思うんですが、これ以上計算していてもマイナスが相殺される見込みは少ないでしょう。
むしろどんどん下方向へ加算されていきます。続けますか?」
スミレはきれいな顔を一瞬だけ下に向けた。ネイビーブルーの仕立てのいいスーツの膝をじっと見る。
「彼は……既婚者だと思いますか?」
「それは分りません。私が計算するのは係数だけです。
既婚者という可能性もありますし、女好きのただの自己中男という可能性もあります。これ以上の事は、計算では出せません」
一瞬、スミレが泣き出すかと思った。
だけど悧巧な親友は目をうるませただけで、ぐっと手を握りしめた。
あたしはそっという。
「スミレ……もうよそうよ、これで十分じゃない?」
その時、スミレは押し殺したような声で高瀬さんに尋ねた。
「……計算以外に、事実を突き止める手段はあるんですか?」
「スミレ??」
高瀬さんは、何も言わなかった。
そしてスミレの話から割り出した『ダメンズ係数』をじっと見た。
「……ない、こともありません」
「あるんですか!?」
あたしとスミレはびっくりして大声を出した。
まさか『総務の賢者』に、電卓をたたく以上の事ができるなんて……。
高瀬さんはまっすぐに伸びた背筋をより真っすぐにしながら、スミレにいった。
「ここから先は、経費が掛かります。どうしますか」
「お願いします。お金の問題じゃないんです。私、真実を知りたいんです!」
スミレもまっすぐに高瀬さんを見た。
「このままじゃ、モヤモヤして、気持ちが悪い……」
「西崎さん。真実は、あなたの望むものではないかもしれません。
本当に知りたいですか?」
くっ、と一瞬だけスミレが息を飲んだ。でもすぐに顔を上げて、
「知りたいです。真実には、知る価値があります。彼の嘘はもうたくさんです」
「わかりました。では経費は見積もりができしだい、お伝えします。
見積もりの段階でお断りになってもかまいません。
見積もり後、正式に発注されたら中止することはできませんが、いいですね?」
「いいですね、です!」
スミレは胸を張って答えた。高瀬さんは少しだけ変な顔をした。スミレの日本語がおかしかったからだろう。
そして電卓をメモの上に置くと、あたしたちを見て言った。
「では三日後、終業後にここでお会いしましょう」
すっと小さなカードが差し出された。
『カフェ リリー』
駅前の雑居ビルの住所が書いてあった。
巨大な電卓を抱えてデスクに戻る高瀬さんを見て、あたしの頭にはクエスチョンマークしか出てこない。
いったいこの人、どういうひとなの……?
4年も一緒に働いていながら、あたしには高瀬さんという人間が、全く分かっていないみたいだ。
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