朝靄に消えて

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

朝靄に消えて

「また、会えましたね」  交差点で立ち止まると彼女はそう言った。俺は、聞こえないふりをして、信号を見ていた。  鳶色の髪はベージュのワンピースの上で揺れている。年は、俺より少し下の20代後半位。清楚な感じの美人だ。  生きてる人だったらよかったのに。    俺は居酒屋の雇われ店長をやっている。夜働き、帰るのは夜明け前だった。  交差点の手前の道端に花が置かれていた。ユリの花だ。その側に女性が立っている。この世の人ではない。  俺は小さな頃から、そういう存在が見えてしまう。霊感体質というやつだ。いつもではないが、疲れていたり、神経が昂っていると見えることがある。まわりの人に言ったことはないし、幽霊に対しても、見えないふりをしている。ただ、あちらから、見えていることがわかるのか、時々話しかけられることがある。  幼い頃は怖かったが、見ない、聞かないという態度でいれば、とくに問題はないと気づいた。   「また、会いましたね」  この女性は、3日前にもここに立っていた。 「今日もお客さん少なかったなぁ」  突然言われ、つい女性を見てしまった。 「やっぱり、見えてるやん」  女性は笑った。  関西の人のようだ。  聞いてはいけない。また無視を決め込んだ。  信号が青に変わり、俺は通りの向こうへと早足で渡った。    週末だというのに、お客は半分ほどしか入っていない。  他の店がいっぱいで、あふれたお客が、しかたなしに入店したという感じだ。  来月には、店長会議がある。このままだと、また絞られるだろう。キャンペーンとか、何かイベントの案でも考えておくか。  店を閉めて、駅に向かう。始発の時間ちょうどになるころだ。まだ夜は明けていない。    交差点にさしかかると、またあの女性が立っていた。 「また会いましたね」  俺は、無視を決めこむ。 「週末やのに、今日もお客さんはいらんかったの?あんたの店なぁ、パッとしいへん。混んでないのに、料理は遅いし、従業員はおしゃべりしてるし」  俺は、言い返そうと、女性の方をみたが、喉まで出かかった言葉をのみこみ、前を向いた。 「少しくらい話したっていいやん。別に取り憑いたりせえへん。私はただの地縛霊やから」  俺は少し間をおき、女性を見た。 「事故?」  関西弁のリズムに乗せられ、つい言葉がでた。  女性に顔を向け、足元のユリの花に視線をおとす。 「そうや。まさに美人薄命やろ」  ユリの花が儚げに風に揺れた。 「今のとこは、突っ込むとこやで。もう、だいたいあんた、暗いわ。幽霊の私より暗いで!」 「笑えない状況だと、思うけど」 「どっち。私、お店?」 「両方」  彼女は溜息をついた。 「店の雰囲気もよくないわ。従業員も覇気がないというか、気配りがたりんというか」  それは俺も感じてはいた。だが、体育会系のノリでガンガンいくのは性に合わない。 「でも、味はまあまあ美味しいで。特におでん、美味しいわ」 「うちの店、来たことあるの?」 「うん。何回かある。カレ、おでんが好きで、予約とって行ってたわ」  予約で来てくれるお客はほとんどいない。数名で来たり、女性と2人で来てたこともある。ぼんやりとだが、記憶にある。その時一緒にいたのがこの人なのだろうか。 「そのカレって藤沢さんていう人?」  「せや、知ってるん」 「予約してくるお客さんほとんどいないし、いつも、最初におでんを注文すから憶えてるよ」  真由は懐かしそうに空を見上げた。 「あのおでんは、母親の味なんだ。実家にいるとき、よく作ってくれた。それを再現したんだ。ほかの料理も母親のレシピかな」 「そうなんだ。あ、そろそろ時間かな。私、真由」 「俺は、憲一」 「よろしくね。ケン。お店、従業員に言われへんのやったら、自分で動くしかないわ。最初は面倒くさい顔するけど、誰かがついてくるやろ」  真由は横断歩道を指さした。 「青やで」  俺は信号を渡った。振り向くと真由の姿は消えていた。  俺は翌日から、少し早めに店に出て、掃除やら、準備とかをせっせとこなした。こんなことですぐお客の入りが伸びるとは思わないが、何もしないよりはましだろう。  後から、出勤してきたスタッフが、ニヤニヤしながら、どうしたんですかとか、珍しいとか、からかわれた。 「気分転換」  俺はただ、笑って答えた。  営業時間中もできるだけ、明るく振舞った。おしゃべりしているバイトの女の子にそれとなく注意しながら一日を終えた。  無理をしているせいか、気疲れもあったが、充実感もあった。  その日の帰り、交差点に真由は現れなかった。なんとなく寂しさを感じたが、しょせんはこの世の人ではないのだ。    出勤するころの夕方から小雨が降りだした。店に向かう途中のコンビニ前で女性が雨宿りをしていた。時折、店に来てくれる人だ。  向こうも俺に気づいて、軽く頭を下げた。 「傘よかったら」  俺は差し出した。 「ええ、でも」 「店まですぐそこですから」 「ありがとうございます。後でお店に返しに行きますから」 「大丈夫です。店にもまだありますから」  俺は、コンビニの中に入った。  彼女とは、店の中で、何度か言葉を交わしたことがある。近くの雑貨店で働いているらしい。その時は普通に話せるのだが外へ出ると緊張してうまく話すことができない。  1度雑貨店の前を通り、中を覗いたことがある。店内は女性が好みそうな品がほとんどで、実際その時も若い女性客しかいなかった。男が1人で入れる雰囲気ではない。   朝方仕事が終わっても雨はまだ、降っていた。 「また会いましたね」  交差点に真由は現れた。彼女は傘もささずに立っていた。 「会いましたね。ところで、なぜ、それは標準語?」 「ああ。元カレとつき合うきっかけ。取引先の会社に行ったとき、会ったの。彼は、車の営業で来てて、私は保険会社にいたの。2回目偶然会った時、言われた。『また会いましたね』この言葉の響きが気に入ってんねん」  まだ暗い街に車が通り過ぎて行く。彼女はその車を見つめている。 「彼氏が自動車屋で、保険会社の女が交通事故で死ぬなんて、シャレにならんなぁ」  雨は真由の身体をすり抜けていく。この世の人ではないと、改めて感じた。 「雨は大丈夫なの?」  彼女は顔を上げ空を見上げた。 「大丈夫やけど」  そう言われたが、気の毒に感じ、傘を差しだした。 「やさしいんや」  彼女はちょこんと踏み出し、俺の傘の中に入った。 「『また、会えましたね』の”え”だと、偶然。会”い”になると、作為的な意味が入る気がする。彼は、2度目に会ったとき、”い”やってん。」 「偶然ではなく、君に会うためにその会社に行ったみたいな」 「そう。知らんけど」  彼女はいたずらっぽく笑った。 「それで、つきあったの?」 「何度か遊びに行った。映画観たり、食事に行ったり。彼、出張が多くて、あんまり会われへんかってん。これからっていう時、こないな事になってしもうた」 「それが、残念で成仏できないの?」 「そんなことないわ。気がついたここにおってん」 それでもやはり心残りだろう。俺は彼女の気持ちを考えると可哀そうでしかたがなかった。 「今日は顔色いいやん。お客さん入った?」 「まあ、少しは。とりあえず店の雰囲気を変えようと、動いてる。みんな陰で笑ってるけど」 「笑いたいやつは、笑わせとけばいいやん」 「俺も、笑って仕事してる」  彼女はうんうんとうなずいた。 「今日、藤沢さん来たよ」  彼女と視線が合った。 「イケメンやろ。女の人と来てたの?」  表情が少し曇った気がした。 「いや、5人で来てた。女性は2人いたかな。おでん食べてくれたよ」 「そう。ケンは、結婚してないよね。彼女とかいないの?」 「ああ。彼女もいない」  東の空が少しずつ明るくなってきた。 「好きな女の子いるんやったら、手を貸すけど」 「手を貸すって、どうする気」 「取り憑いて、きっかけぐらいつくってあげようか?」  本気とも冗談ともとれる笑顔を見せている。 「やめてくれ」 「冗談やって。ほな、行くわ」  朝靄の中に消えていった。  数日後、藤沢孝宏が数人の仲間と店にやって来た。 「予約した藤沢ですが」 「藤沢様、お待ちしておりました」  俺は、彼らを席に案内した。  いつものようにおでんを注文し、楽しそうに食事をしている。たしかにいい男である。気取らず、酒が入っても大騒ぎすることもない。  2時間ほどで、会計を済まそうと仲間達と席を立った。彼が外へ出ようとしたところを見計らい、声をかけた。 「あの、少しよろしいでしょうか」  店の雰囲気は以前に比べると少し明るくなり、お客さんも少し増えたような気がする。料理の組み合わせを変えてみたり、セットメニューを増やしたりしたのも効果があったようだ。。  真由は、最近姿を現わさないが、来ているのかもしれない。俺の体調で見えたり見えなかったりする。最近店のことでストレスが少なくなったせいかも知れない。それでも、やってみようと思った。  夜明け前、藤沢さんがキャリーバッグを持ってやってきた。 「おはようございます。すみません。こんな時間に呼び出したりして」  俺は丁寧に頭を下げた。 「いえ、どうせ出張でこの時間に出ないといけなかったので」 交差点で立ち止まり、藤沢さんに話を始めた。 「以前うちの店に、一緒にに来ていただいたことのある、真由さんのことです」  先日、彼には真由さんとことでお話がしたいと伝えていた。彼はどういうことか理解できずにいたが、彼女の知り合いと言い、ここに来てもらった。まんざら嘘ではないが、幽霊と話したとはさすがに言えなかった。  ただ彼女があなたと出会い、とても楽しかったということを、亡くなったこの場所で伝えておきたかった。  「彼女が亡くなったのは僕が、海外出張へ行っている時でした。つき合っていたわけでもなく、まわりの人たちにも彼女のことは話していませんでした。先週帰ってきて、同僚に聞いて初めて知りました」 「彼女のことは好きだったのですか?」 「ええ、会ったのは2,3度位でしたが、海外から戻ってきたら、話してみようかと思っていました。ただ、僕は出張で飛び回っているので、彼女はどう思うか心配でした」  そう言って、道路脇に持ってきていたユリの花束を置いた。  そのユリの花のそばには、彼女が立っていた。涙が頬をつたっている。 「その気持ちはきっと彼女に通じていると思います」  彼には見えていないはずなのに、彼女に向かって手を合わせた。 「では、僕はこれで」 「お気をつけて行ってらっしゃい」  藤沢さんは横断歩道を渡って行った。 「よけいなことをしたかな」  彼女は首を横に振った。 「ありがとう」 「最近見なかったから、もう行ってしまったのかとおもったよ」 「私も自由に姿を現わせるわけやないねん。これで、ほんまに思い残すことないわ」  真由は、涙をこぼさないようにか空を見上げた。 「ずっとここにいるわけではないのか?」 「四十九日ってあるやろう。たぶんそのあたりに、別の世界に行くみたいや」  夜の闇が少し薄らいでいく。もうすぐ夜が明ける。  「もう会えないのか?」  「そやな。幽霊とおってもしょうがないやろう。ケンは、早く生きてる女の子見つけや」  真由は、交差点の向こうにある信号を指さした。 「青になったで」 「うん、それでは行くよ」 「うん。見送ったるわ」  俺は道路を渡った。振り向くと、真由がまだそこにいた。そして、朝靄の中にゆっくりと消えていった。  夕方、出勤の時交差点に差しかかると、真由のことを思い出してしまう。あれからやはり彼女は現れない。もう別の世界へ行ってしまったのだろうか。  仕事帰りとは逆の方から交差点を眺める。信号は青の点滅をはじめていた。その時一人の女性が走り出し、横断歩道を渡ろうとしている。  走り出した勢いでバックが揺れ、中からスマホが落ちた。彼女は立ち止まり、それを拾っているうちに信号は赤へと変わってしまった。女性は歩道へともどってきた。  雑貨店の彼女だった。変なところを見てしまったバツの悪さがあり、声をかけようか迷ったが、彼女の方が僕に気づいた。 「あっ、また会いましたね」  彼女は肩をすくめ笑顔を見せた。                 (了)  
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!